レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

「アーバンチャンピオン」

Media :FAMILY COMPUTER
Maker :任天堂
種 別:ストリートボクシングゲーム(?)
発売日:1984年11月

 私事だが、ゲーセンに最も入り浸っていたのは、小学生の頃だった。
勿論、校則で禁止されていたが、そんなことは完全に無視して毎日のように友
人とゲーセンに入り浸っていた。
それが中学、高校と進むにつれ、あまり足しげくゲーセン通わなくなり、高校
を卒業してからしばらくすると、全く足を向けなくなってしまった。
これは色々はあるものの、おいらの場合高校卒業以降ゲーセンに行かなくなっ
てしまった最大の理由は「格闘ゲームの台頭」である。

 ストリートファイター2がリリースされたのがちょうど、おいらが高校を卒
業する頃と重なり、今はどうなのか分からないが、その後のゲーセンは、ほと
んどの台が対戦格闘ゲーム、ということになってしまった。
個人的にこのテのゲームは下手だし、あまり好きではない、というのもゲーセ
ンに通わなくなった理由のひとつではあるが、それよりも「格闘ゲームしかな
くなってしまった」という事実そのものが、おいらがゲーセンと決別した最大
の理由である。


 おいらが小学生の頃のゲーセンは、それこそおもちゃ箱をひっくりかえした
ように色々なゲームが揃っていた。
ゲームそのものも、今より個性的なものが多く、それぞれの持ち味を楽しむこ
とが出来た、その楽しみが奪われてしまったことがおいらがゲーセンに通わな
くなった最大の理由である。


 さて、対戦格闘といえば、コナミのイー・アル・カンフーあたりがその元祖
ではないかと思っているが、殊、機種をファミコンに限定すれば、それはこの
アーバン・チャンピオンである。
ファミコンは、1983年7月の発売以来、1984年夏のハドソン参入まで、ソフト供
給はハードメーカーの任天堂の一社のみだったが、そんな初期ファミコンユー
ザーのいおいらが抱いていたファミコンソフトの最大の不満は「攻撃的なゲー
ムが無い」ということである。

 ナムコが参入する1984年暮頃までのファミコンには驚くなかれシューティン
グゲームというジャンルのゲームが1本のも存在しなかった。
アーケードゲームではシューティングが全盛期だったにも拘わらず、である。
任天堂が供給するゲームの多くは、ドンキーコングであったり、ポパイであっ
たり、敵を直接的に攻撃できるゲームはなかった。
それがおいらの初期ファミコンゲームに対する最大のフラストレーションだっ
たが、どうもこれは任天堂そのものの企業方針なのかもしれない、と最近にな
って思うようになってきた。

 任天堂は他アーケードメーカーと比較すると、シューティングや格闘系のゲ
ームのリリース率が非常に低い、任天堂のシューティングといってすぐに思い
浮かぶのは、スターフォックスくらいのもので、メトロイドを強引に含めるに
しても、リリースはかなり後になってからである。


 そんな時に、任天堂自身からリリースされたストリート・ボクシングのゲー
ムがこのアーバンチャンピオンである。

 プレイヤーキャラはコンピュータキャラとひたすら路上で殴りあう、相手を
殴ることにより、距離を稼ぎ相手を右端に追い詰めればボクシングでいうとこ
ろのダウンを取ったことになる。
2つダウンを取ると、画面右端にマンホールが出現し、そのステージで相手を
右端に追い詰めることが出来れば、相手をマンホールに落とすことが出来、1
人クリアとなる。

 攻撃方法は、威力は弱いが速度が速いAボタン・パンチと威力は強いが、時
間がかかるBボタン・パンチの二種類を上下段それぞれの位置から繰り出すこ
とが出来る。

 また、これは正式なボクシングではなく、あくまで「路上の喧嘩」なので、
時折、パトカーが通りかかる場合があり、その時は両者ともに両端に移動して
「なんでもありませんよ」とばかり白々しく口笛を吹いてパトカーをやり過ご
す、といった愛嬌満点の演出もある。

 また、クレイジクライマーのように、二人が窓から顔を出したオジさんが「
コンチクショー!」とばかりに植木蜂を落としてきたり、相手をマンホールに
落とすことが出来れば、女の子が窓から顔を出し紙ふぶきを撒いてくれる。


 なんともシンプルで古き良き時代のゲームといった雰囲気だが、おいらは子
供の頃、このアーバンチャンピオンと、同じく任天堂のファミコンゲーム、「
ホーガンズ・アレイ」には妙な思いいれがあった。
両作品ともジャズをベースとしたBGMや、1930年代頃のアメリカを彷彿とさ
せるタッチのキャラクター達や背景グラフィックなどが妙に味があって大好き
だった、
今見てもこの2作品のセンスの良さはちょっと他のゲームには真似が出来ない
と思うし、はじめからアメリカで生まれた洋ゲーよりも、当時のおいらは、こ
れらのゲームに「アメリカ」という国を感じていた。

 そして、それは、リバーヒルソフトのJ.Bハロルドシリーズに出会うことまで
続くことになった。



AXL 2001

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