レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

「ウルトラマン〜空想特撮シリーズ〜」


Media :アーケード、SuperFamicom,Mega Drive
Maker :バンプレスト
種 別:2D格闘ゲーム
発売日:1990年


 SDというのは一つの発明ではあった。
SD、スーパーデフォルメとは、1980年代にバンダイがガンダムやウルトラマ
ンなどの既存のアニメやヒーローを2頭身にデフォルメして商品化したシリー
ズの総称なのだが、SDとゲームの繋がりもまた深いものがある。
SDが流行していた頃は、ゲーム機といえば初代ファミコンだった。
現在のテレビゲーム機に比べて、非常に多くの制約を背負っていたこのハード
で、既存のガンダムやウルトラマンが大活躍するようなゲームの開発は難しか
った。
その点、二頭身で済むSDキャラは確かに便利だった。
そんな事情もあったのだろうか、SDガンダムを皮切りにバンダイの多くのゲ
ームSDキャラクターが起用された。

 しかしSDキャラクターにはまた問題もあった。
まず、SDというキャラクターそのものが子供向けなことにより、ゲームその
ものまでもどうしても子供っぽいものなってしまうということ。
次に、ファミコンがスーパーファミコンになり、プレイステーション、PS2と進
化を続けているにも関わらず、バンダイをSDにしがみつかせることになってし
まった、という点だ。

 現在のハード性能なら、リアルタイプのキャラクターでも充分に扱えるにも
関わらず、どういうわけか未だにSDキャラでゲームをさせられるというのは
SDそのものに思い入れのないおいらにとっては、ちょっとばかり屈辱的なこ
となのだ。


 そんなわけで、SD一辺倒だったバンダイが突如発表した「SDじゃないウ
ルトラマン」のゲームが本作、「ウルトラマン〜空想特撮シリーズ〜」だ。
画面だけを見れば、当時流行に火がつきはじめていた2D格闘ゲームと何ら変
るところはなく、ウルトラマンと怪獣が対峙しているだけなのだが、単に敵の
体力を0にすればいい、というわけではなく、最後のトドメは必ずスペシウム
光線を使わなければならない、という制約がある。

 このゲームでは時間の経過と共に少しづつメーターが溜まってくる。
メーターを溜めることにより、ウルトラマンが持ついくつかの必殺技を使用す
ることが出来るようになるのだ。
スペシウム光線を使用する為にはメーターを一杯まで溜めなくてはいけないの
で、仮に怪獣の体力をゼロにしても、メーターが溜まりきっていなければ戦い
を終わらせることが出来ない。
このシステムの存在が、このゲームのウルトラマンらしさを与えている。


 子供の頃に誰でも一度は思うことだが、どうせ最後はスペシウム光線で決着
をつけるなら、どうして最初からスペシウム光線を使わないのだ?という疑問
にゲームのシステムという形でうまく答えていたのはなかなか偉い。

 ゲームとしては、怪獣を倒し次のスペースへ・・・の繰り返しとなるが、ジ
ャミラやメフィラス星人、ゼットンなどが登場するステージでは原作通りの演
出が施されていて、子供の頃にウルトラマンを見て育った世代には嬉しい気配
りもされている。


 ちなみに、おいらが子供の頃もウルトラマンは流行っていたが、当時おいら
が好きだったのはレオとエースだった。
ウルトラマンやセブンも決して嫌いではないのだが、どちらも子供の目から見
るとあまり派手さのある作品ではなかった。
ウルトラマン、セブン、帰ってきたウルトラマンというのはどうやら大人受け
の良い作品らしく、あの頃子供だった今の大人達には非常に人気があるらしい
のだが、おいらの場合、子供の頃の思い込みが強いせいか、いまだにウルトラ
マンといえばレオかエースだ。

 余談だが、ウルトラマンエースの第一話というのはなかなか凄かった。
街に突如怪獣が現れて建物を破壊しはじめる、ここで多くのウルトラマンシリ
ーズだと勇敢なる若者が街を救う為に命を投げ出し、その行為に感動したウル
トラマンが彼に自分の生命を分け与える・・・というのが基本フォーマットに
なっている、エースの場合、北斗とみなみという男女が二人でウルトラマンに
変身するという特徴的な点はあるが、基本的にはエースの場合でもフォーマッ
トそのものは変わらない。

 後にエースに変身することになる二人の若者のうち、北斗はどういうわけか
パン屋の運転手をしており、みなみは看護婦だった。
病院を襲う怪獣から非難する為に、みなみは子供の車椅子を押して怪獣から逃
げるが、それを見た、北斗は怪獣への怒りを押さえきれず、道端にあったタン
クローリーを拝借して怪獣の足元に自爆特攻をかけるのだ。

 これだけでもなかなかに凄いのだが、結局、その爆発によりみなみまで一緒
に死んでしまい、不憫に思ったエースに助けられる・・・というストーリーに
なっている。

 しかし、よく考えて欲しい。
みなみは、その直前子供の患者が乗った車椅子を押していたのだ。
離れた場所にいたみなみが爆発に巻き込まれて死んだのだとしたら、どう考え
ても一緒にいた子供も巻き添えを食ったはずである。
にも関わらずエースに助けられたのはこの二人だけであり、結局のところ、北
斗さえ余計なことをしなければ、あの子供は死ななくて済んだような気がする
のだ。


 こんなシーンも含めて、後半のウルトラマンシリーズはなかなか楽しかった
だが、ゲームの方でも続編としてスーパーファミコンで発売されたのはセブン
だけで、これ以外のシリーズを見渡しても、タロウやエースやレオが単独で主
演しているゲームというのは存在しない。

 ガンダムでいうと何となくダブルゼータ的な扱いを受けているのが個人的に
は非常に悲しい。



AXL 2002

HOME