AT Lady! 〜早すぎたのか、それとも単なる失敗作だったのか

作者/のむら剛(現・岡野剛)
執筆年度/1989〜1990年(読みきりを含めると1988年〜)


 少年ジャンプ短命漫画セレクションの第1号としてこの作品を選んでみた。作者は後に『地獄先生ぬ〜べ〜』で大ヒットを飛ばし、最近まで『魔術師(マジシャンスクウェア)』を連載していた岡野剛。その岡野氏のデビュー作である。 内容は、7万馬力の馬鹿力と脳天気とお人よしが取り得のロボット婦警さん(この場合は「さん」をつけなければならない)・7号が織り成す大ボケで構成されているギャグ漫画である。絵柄は、現在の岡野氏のそれよりもかなり線が細いし、ロボット婦警さんの描きかたは後の『ぬ〜べ〜』にも相通じる萌え系の絵である。方向性さえ間違えなければ(ここが一番大事なところだが)、現在でもヒットする要素はあると思う。これは、当時の認識も同じだったらしく、赤塚賞では入賞に入っていたし、連載前に読みきり作品が数多く掲載されたことを考えると、前人気は高かったのだろう。実際私も連載当時は結構楽しみにしていたりした。
 それにしては10週程度で終わってしまった。その理由は何だったのだろうか。
 今にして思うに、ストーリー部分に問題があったと思われる。最近、10数年ぶりにブックオフで単行本を読み返して思ったのだが、はっきり言ってつまらない。ストーリーがワンパターンで、7号の大ボケのかまし方に多少無理があるというか、ご都合主義を感じてしまう。例えば、7号が高圧電流を受けると凶暴化するところなど。特に問題なのは、他のロボット婦警さん1〜6号がほとんど目立っていなかったということだろう。せっかくそれぞれ違った特技・性格・ルックスを持っていながら、それが作品中に生かされていなかったのは痛い。読みきりではあまり重視されなかったこれらの諸問題が連載時に表面化してしまい、短期で打ち切りという結果になってしまったのであろう。
本当のことを言えば、ロボット婦警さんの誰かを主人公にしてそこに7号を絡ませるという、「ぬ〜べ〜」的な作りのほうがよかったのではないか。そのほうが、それぞれのキャラにファンがついて、いい美少女漫画になったと思うが、どうだろうか。(当時のジャンプには合わないかもしれないが)。
 今から考えると、AT Lady!は、受ける要素はあったけれど、それを生かしきれなかった作品だと思う。今、上記のようなやり方でリメイクすれば、その筋の人は確実につかめると思う。しかも、舞台は2001年(!)だし。このチャンスを生かせなかった岡野氏および集英社はきっと泣きを見ることであろう。本人にとっては忘れたい過去かもしれないが。

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瑪羅門の家族〜裁かれるのはだれか

作者/宮下あきら
執筆年度/1992年〜1993年


 あの「酒鬼薔薇聖斗」が読んでいた漫画ということで、非常に不本意な形で有名になってしまった作品である。このタイトルを見ただけで、すぐに神戸の例の事件を思い出す人が多いだろう。これを書くにあたり、某googleで検索をかけたところ、例の事件関係のサイトが大量に現れたことからも伺える。(関係ないが、「酒鬼薔薇聖斗」の顔写真や実名をこのとき見ることができた。今になってみると感慨深い)
 しかし、この漫画を読んでみればわかると思うのだが、この漫画はそれほど危険な思想をもつ漫画ではない。むしろ、瑪羅門に真っ先に裁かれるのは「酒鬼薔薇聖斗」のほうであろう。
 ここで、『瑪羅門の家族』の内容を紹介しておこう。そのストーリーとは、「聖なる力(チャクラ)」を自在に操ることができる主人公・瑪羅門龍とその家族が、それを使って法では裁けぬ世の悪を裁くという名目で、世の悪人を殺したり破滅に追いやるというものである。言ってみれば、宮下版「必殺シリーズ」といってもいい実際、依頼する時は、瑪羅門寺に絵馬を捧げるというシステムになっている(第一回目のみ)。
 また、単行本1巻の宮下氏のコメントは以下のようなものだった。
「この頃、新聞やテレビを見ていても腹のたつことが多い。俺自身のまわりにも腹のたつことが、いっぱいある。皆さんのまわりにも悪い奴とかいやな奴とかいるでしょう。そんな奴等は全員瑪羅門の裁きだ!!」
 このコメントを見ればわかるように、宮下氏が「必殺シリーズ」を目指そうとしたことは明らかである。今もそうだが、当時の政治は腐敗の一途をたどり、国民の政治不信はこの頃から根強いものがあった(実際、この漫画が終了してから数ヵ月後に自民党が政権から外れる)。そんな中、世の中の悪に立ち向かうヒーローを作ろうとしたのだろうと思われる。
 しかし、実際はそんなに甘くなかった。受けなかったのか、7回目あたりから早速路線変更を行う。瑪羅門の宿敵であり、影で世界を操ろうとしてきた一族・魔修羅が龍たちの前に現れる。そして、龍は瑪羅門一族のトップである天輪聖王として、全世界から選ばれた瑪羅門の7人の戦士たちと共に魔修羅と戦うという話になってしまった。この時点で、『魁!男塾』と大差がなくなってしまったのが残念である。一応、7人それぞれが違った能力を持っているということなので、それを生かした話もあるのだが。このために、タイトルに「家族」と入れた意味がなくなってしまった。ちなみに終盤に龍の家族はちゃんと出てくるし、龍の兄・凱が敵の罠にはまり自害するという展開になるが、遅すぎたという感じがする。
 結局、物語は政治家として日本を支配しようとする魔修羅のラスボス・孔雀院一馬の所へ龍たち7人が乗り込むところで終わっている。結局、男塾の壁を越えられなかったということだろう。宮下氏は、これ以降も『天より高く』や『暁!男塾』などで男塾のキャラをバンバン出している。こういう路線がやはり宮下氏には合っていたということだろう。
 それにしても今にして思うのは、いま、この作品を描いてみたら案外受けるんじゃないかということである。よく考えたら、世の中に法では裁けない悪がゴロゴロしているではないか。自らの利権と票の数しか考えてない政治家、自分だけはどうしても生き残ろうと様々な策略を練る官僚、法の盲点を突きあらゆる手段をもって罪を免れようとする犯罪者……もっと他にもいろいろある。あのタリバンもビンラディンも魔修羅の手先かもしれない。いまこの手の問題に手を出さないでなんとするか!
 そういう意味で、この漫画が受けなかったのは私にとっては惜しい。

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ロケットでつきぬけろ!〜もっと早く知っておくべきだった

作者/キユ
執筆年度/2000年

 はじめに断っておくが、私は、連載されていた当時は、ジャンプをまともに読んでいなかったせいか、この漫画の存在を知らなかった。存在を知ったのは今年に入って2ちゃんねるの少年漫画板のスレッドにやたらと「キユ」の文字が目立つようになってからである。その当時でも、「キユ」の意味がわからなかった。単なる荒らしと思っていた。そして、とあるホームページでの紹介文と、本屋に並べられていた単行本を見てやっとジャンプの10週打ち切り漫画だとわかったというのが現実である。そのため、現在ではもっと早くに知っておくべきだったと後悔している。そうすれば、この漫画と作者(+コメント)の?凄さをもっと理解できたと思う。
 さて、本題に入ろう。ストーリーは、カートをはじめて間もない主人公・春田ミチオが、伝説のF1ドライバーと呼ばれた赤城慎吾にその実力を認められ、F3→F1ドライバーへと成長していく物語である。
 ……とこれだけ書いただけでは、何の変哲もない漫画と思うかもしれない。しかし、この漫画の独特な点を挙げるとすれば(あのコメントは読んでないので除く)、異様なストーリーの展開の速さだろう。最初のうちはカートサーキットでその実力を周囲の人に見せ付けていくミチオの姿を描いていたが、赤城が登場してからは急遽一変。この時点で打ち切りが決定したのか、急遽ミチオはF3ドライバーに。しかも、第一話で都さんという思いを寄せているヒロインがいるにもかかわらず、突然ありすという彼女がミチオにできていたりする(このあたりは単行本のコメントでフォローしているが)。また、クライマックスシーンであるF3のマカオグランプリは、1話が前振り、そしてもう1話(最終回)が本レースと、たった2話で終わっている。打ち切りに終わったがゆえのヤケクソだったのだろうか。
 今から考えると、この漫画は、作品自体にはあまり書くところがない。それよりも、あのコメントに代表されるように作者本人に注目が集まるという稀有なパターンであろう(キユという目立つペンネームのせいもあるだろうが)。今後も何か作品を発表した時はチェックしてみたいものである。

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魔術師〜あと一歩というところで踏みとどまったやおい候補漫画

作者/岡野剛(監修・北見マキ)
執筆年度/2001年

   『地獄先生ぬ〜べ〜』で大ヒットを飛ばし、その次の『釣りッキーズピン太郎』でコケた岡野剛が、次に手がけたのが手品漫画である。
 内容は、単純がとりえのツッパリ風のムサシと、美少年クロードが様々な手品を使って問題を解決していくという話なのだが……第1回目から、やおい臭が漂っていた
 その第1回目は、マジックショーを見に行った幼少時代のムサシが、そのショーに出演していた美少女に恋をし、自分もマジシャンになると決意をするところから始まる。しかし、その美少女とは、女装していたクロードだった……というオチ。よく考えたら、凄いオチだ。編集部は狙っていたのだろうか。このあとも女装クロードが出てくるし。
 物語はこのあと、関西弁をしゃべるノリコを加えた3人で、手品部を作り、世界一のマジシャンになるために日夜努力する(含むやおい)……という話になるはずだった。しかし、どう見ても、無理があると思う。この漫画は手品漫画であるから、毎回手品の種明かしをしていくのだが、これではどうしても地味な展開になりがちであろう。まず、バトル漫画に持ち込むことは難しいし、手品もいつかはネタ切れになってしまう。
 中盤からは、クロードの両親が残したマジックのタネを残したファイルをめぐって、世界的な興行団とのバトルが繰り広げられるが、これも、テコ入れの域をでない。この頃になると、打ち切り情報が漏れ出したこともあって、2ちゃんねる上では最終回前にやおいの世界に本格的に入るという噂が流れたほどだ。そうこうしているうちに、このバトルもなし崩しに終わってしまう。
 そして最終回。それはあまりにも意外な展開だった。デパートでのヒーローショーをクロードたちがマジックを使って盛り上げるという話と書けば、単なる普通の話と思うだろうが、いろいろな意味で期待を裏切ってくれた。この回で何の伏線もなく、シズカという美少女が登場。岡野氏は何を思ったのか、彼女にパンチラ付きのアクションをさせたり、メイドやバニーガールのコスプレをさせる始末。やおい行為に走るという期待を見事に裏切ってくれた(当たり前か)。
 それにしてもシズカという美少女は何者だったのだろうか。連載がこれ以上続いたら出すつもりだったのか、最終回のヤケクソで出したのだろうか。もし前者だったら、もっと早く出しておけば、もう少し評価が変わったものの……

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CYBORGじいちゃんG〜当時はこの作者がブレイクするとは思ってもいなかった

作者/土方茂(現・小畑健)
執筆年度/1989年

 最近、『ヒカルの碁』の単行本を読み始めるようになった(といっても1〜2巻くらいだが)。その独特のすっきりとした画調と、碁に何も興味のなかった主人公の少年が碁に目覚めていくという正統的なストーリーが支持されたのだと思う(真剣に読んでいる訳ではないので、間違いだったらごめん)。
 今になって思うのは、小畑氏がここまで有名になるとは思わなかったということである。案外知られている話であるが、小畑氏は『ヒカルの碁』以前は数多くの短命漫画を生み出していたからである。アラビアの熱血魔人を主人公にした活劇漫画『ランプランプ』、少し前まで角界のスターだった若貴兄弟の伝記漫画『力人伝説』など、覚えている人も多いだろう。その小畑氏の初連載作がやはり1年足らずで終わった『CYBORGじいちゃんG』である。最近単行本がなぜか復刻されたので、知っている人も多いだろう。
 内容は、農民兼科学者の主人公が、より進歩した農業を営むためにサイボーグ「Gちゃん」となって大暴れするギャグ漫画である。とはいうものの、家族を振り回して大暴れするというのがお決まりのパターンであるが。この漫画の独特なところは、主人公が「ジジイ」のくせに「サイボーグ(外見は完全にロボット)ということであろう。そのGちゃんが農業とは名ばかりの破壊活動を繰り返すのである。その他家族のキャラクターが弱いこともあってか、ストーリーはあってないようなものである。宿命のライバル・社礼頭(しゃれこうべ)博士や、10年前に死んだのを無理やり生き返らせたサイボーグバアちゃんなど、危ないキャラはそれなりに立っているのだが。
 さて、当時は気づかなかったけれど、今になって単行本を読み返して思ったことは、絵がきれいに描き込まれているということである。『ヒカルの碁』のような簡潔な絵もいいと思うが、あの強調線(正しい呼び方があったら教えてください)を駆使した絵も捨てがたいものがある。また、レギュラーイレギュラー含めて、美少年美少女キャラクターには結構萌えるものがある。特に、時々出てくるGちゃん&バアちゃんの若返りバージョン(ヤングバージョン)には。絵の素質は当時から評価されていたのだろうか。
 なお、最終回3話は、打ち切られてヤケクソになっていたのか、それまでの設定を半ば覆したものになっている。詳しい内容は省くが、例によって若返った社礼頭が、Gちゃんに50年前の復讐を果たすというものである。もう、最初の設定はどうなったんだと突っ込みたくなること間違いなし。やっぱり、この漫画にストーリーはあってないようなものだったんだ。この後、小畑氏は原作者をつけるようになった。
 それにしても、小畑氏が今になって有名になるとは思わなかった。これはやっぱり小畑氏本人やバックアップする編集部の力が大きかったんだなと思ってしまう。何しろ、『CYBORGじいちゃんG』から『ヒカルの碁』まで10年間もかかったのだから(その間も短命漫画多数)、よくもここまで耐え忍んだというべきだろう。継続は力なりということを思い知らされる。

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大相撲刑事〜ジャンプ史上1・2位を争うカルト漫画

作者/ガチョン太朗
執筆年度/1992年

 かつて、少年ジャンプで、『GAGキング』なる新人賞があった(今でもありますか?)。その名の通り今までにない斬新なギャグ漫画を開拓しようというのが目的だったと思う。当時は吉田戦車に代表される「不条理ギャグ」が全盛を誇っていたのでジャンプもそれに乗っかろうとしたのだろう。実際、漫☆画太郎やつの丸、うすた京介(この人もだよね)など、現在も活躍している漫画家を送り出していることを考えれば、この新人賞にも大きな意義があったと思う。そんな中、突然生まれた漫画がある。その名は『大相撲刑事』。作者は「ガチョン太朗」という人物である。この人もGAGキング出身の漫画家である。
 とにかく、この漫画はあらゆる意味で特殊である。私も古本屋で単行本を購入して、そのわけのわからなさに呆然としてしまった。ここではその作品を紹介してみたい。
 内容は、FBI出身のくせして、なぜか全てを相撲的な流儀で解決しようという刑事を主人公としたギャグ漫画である。この手の漫画の常として、ストーリーはないに等しい。絵は無茶苦茶汚い。おそらく私が今まで読んできた漫画の中でワーストワンであろう(ボーボボと同レベルと、2のつく例の掲示板で読んだことがあるけれど、それはボーボボに対して失礼だ)。
 第1回の内容をここで紹介しよう。
 日本行きの飛行機のファーストクラスの中に土俵を持ち込んだ主人公・大関幕太郎が冒頭で登場→その飛行機がハイジャックされる→ハイジャック犯が土俵に唾を吐きかけたことによって大関が切れ、ハイジャック犯を成敗する→国技館の上を通ることに気づき、大急ぎで土俵ごと脱出する
 ……というのが大まかなあらすじである。
 なお、犯人を成敗した後には、「木工用ボンドと登校きょひについて」「エレキギターとはな毛きりについて」「少女コミックを描く」といったタイトルの数百枚のレポートを書かせ、「それを書けば罪が軽くなるんですか」と犯人が聞いたあとに大関が「ならん!」と答えるのがお決まりのパターンである。
 ……今読み返してもわけがわからない。この漫画はそんなもんなんだなと開き直るしかない。それでも、この漫画の強烈なインパクトがカルトなファンを生み出しているのかもしれない(実際ファンサイトもある)。また、作者の「ガチョン太朗」という人物はこれ以降行方不明になったらしい。おそらく本気で漫画化になる気はなかったのだろう。そんな意味ではジャンプの裏歴史に残る漫画であろう。
 こんな漫画が、たとえ10週とはいえジャンプに載ったという事実は評価されてもいいだろう。当時のジャンプはこんな漫画を掲載できるほどの余裕があったということを示しているのだから

 P.S
 私は去年の夏にこの漫画の単行本をブックオフで100円で購入した。しかし、同じ頃にヤフオクでチェックしたら1500円くらいの値がついていた。私は幸運だったのだろうか。

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うるとら☆イレブン〜かませ犬になった子供向けサッカー漫画

作者/薮野てんや(構成・渡辺達也)
執筆年度/1994年

 1993〜4年は、アメリカW杯やJリーグの幸先よいスタートなど、現在でも続くサッカーブームが勃興した頃であった。このブームを、かつて『キャプテン翼』を大ヒットさせた少年ジャンプが放って置くわけがない。そんな中、ブームに便乗して始まった漫画のひとつが、この『うるとら☆イレブン』である。
 作者の薮野氏は、現在Vジャンプで活躍していることからもわかるように、比較的「子供向け」の画調の絵を描く人である。実際、作品自体も、『キャプテン翼』とは違い、無難な子供向けに仕上がっている。
 しかし、この作品はある種、不憫な作品である。同時期に始まった『ある作品』のおかげで、かませ犬になった感が強い。それでは、この作品を振り返ってみよう。
 物語は、選手個人の能力は高いものの、チームワークがバラバラなため連戦連敗の少年サッカーチーム・城東FCが、試合の中で戦略やチームプレイを学び、強豪チームに勝つという話である。「楽しみながらサッカーを覚える」というコンセプトからか、様々なサッカーのテクニックを劇中で説明するというのは子供向けということを考えれば悪いことではない。また、試合展開はきれいにまとまっていた感じがする(10週で終わったというのが大きいだろうが)。
 と、長所ばかりをあげてきたが、もちろん短所のほうが大きい。
 まずは登場人物のネーミング。主人公格の熱血ストライカーが「羅本」で、その相棒が「火浦」、キャプテンが「桂谷」などといったように、当時の日本代表選手をモチーフにしている。当時からサッカーに疎かった私は全てのキャラのネタ元はわからなかったが、あまりにも安直過ぎである。
 第二に、「あれ?こんな選手いたっけ?」というような選手をいきなり登場させること。本来なら、試合前や試合スタート時に先発イレブンを紹介させて登場人物を覚えさせるというのというのが普通のやり方だろう。ところが、この漫画では連載2回目から試合を始めているために、そんな時間が取れなかったようだ。そのため、登場の仕方が唐突過ぎである。しかも、試合中、羅本や火浦などを含めて、9人しか名前が出てこなかったのは痛い
 さらに痛かったのは、同時期に『ある作品』がスタートしたために、どうしてもその作品に注目が集まってしまったことだろう。その作品とは、ずばり『キャプテン翼 ワールドユース編』である。もちろん、あの大ヒット作の正当な続編である。とても勝負がつとまる相手ではない。編集部としてはベクトルが違う両者を上手く共存させようと思ったのだろうが、そうは問屋がおろさなかったようだ。このような時代背景を考えればこの漫画は『キャプ翼』のかませ犬にされたのかとも思ってしまう。
 いくら子供向けとはいっても、あまりにも安直な展開を考えると、どうしてもかませ犬のように思えてしまう。ジャンプもキャプ翼一本に絞っていればよかったものの、これではあまりにも不憫だ。

P.S
 これを書いたあとに2ちゃんねるを見て、なんと初めから短期集中連載だったということを知った。どうりで、ジャンプの漫画にしては展開がきれいにまとまっていたはずだ。

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翔の伝説〜一発当てた漫画家が送り出した大風呂敷漫画

作者/高橋陽一
執筆年度/1988年〜1989年

 人間って、一度成功するとやたらと調子に乗るものである。一度成功すると、なんでも自分の思い通りになると過信してしまうのであろう。そして、すぐにその鼻っ柱を折られて、現実に戻るのも現実である。今回取り上げる『翔の伝説』はそんな漫画である。
 当時の作者・高橋陽一氏は、あの『キャプテン翼』を終了させたばかり。それだけに、どんな作品を描いてもいいと思い込んだのだろう。しかも、初めから狙っていたような超大作を。また、連載が始まったのは、『キャプテン翼』が終了した4ヵ月後ということを考えると、編集部もその辺の意欲を汲んでいたのだろう。
 『翔の伝説』は、当時の超売れっ子作家と500万部雑誌が世に送り出した超大作のはずだったのである。

 この漫画のストーリーを簡単に述べておこう。
 物語冒頭のシーンはこうである。ウインブルドンのコートに一人立つ若者。そしてこんな見出しが。

 「これは日本人として初めてテニス史に、その名を深くきざみつけることになる翔という名の若者の半生を描いた物語である──。」

 成功していたら壮大なストーリーになったんだろうけどねえ。
 そして、本編は主人公・高見沢翔が5歳の頃から始まる。翔は、テニスのサーブを必至に練習していた。かつて、テニスプレーヤーとして将来を期待されていた父・涼にテニスを教わる条件として、サーブを100本連続して決めろといわれたのである。そして、手のマメを潰しながらも、翔は100本連続サーブを成功させる。しかし、その影で、翔に養子の話が持ち上がった……というのが第一話のストーリーである。
 第一話目の時点で、「百発百中のサーブを持つ」というテニスプレイヤーとしての翔の長所を押し出しているし、翔を養子にもらいたいという謎の紳士を登場させ、後々まで続く伏線を張っている。第一回目では、つかみは上々だったように思える。
 その後、テニスを本格的に再開した涼と一緒に世界一のテニスプレイヤーになるべく歩き出していくという展開となる。生涯のライバルとなるであろうキャラを登場させるなどして、順調に続いているかのように見えた。

 しかし、現実はそう甘くなかった。この作品の最大の欠点は、「伏線が多すぎること」である。上に挙げた生涯のライバルキャラはまだわかりやすい方で、物語のキーポイントである、翔の出生の秘密についてはほとんど断片的にしか語られていない
 実は翔は涼の実の息子ではなく、養子にもらいたいという紳士が実の父親だったという話になったり、その紳士が実際は涼の叔父だったという話になったりと、かなり情報が錯綜している。私も、かつてリアルタイムで読んでいたときに(『キャプテン翼』は読んでいなくても、この漫画は読んでいたりする)、この出生の秘密のわけのわからなさに嫌気がさしたほどである。
 あと、涼があまりにも自己中に見えるということである。せっかく翔を5歳まで育てておきながら、養子の話が持ち上がると結局翔を養子に出してしまい、自分は渡米してしまうのである。この点は、翔の出生の秘密と絡めて後々明らかにするつもりだったのだろうが、それができなかったため、涼は明らかにイメージを悪くしてしまった。
 こうした部分が原因となって、前作のような支持を得られず、半年ほどで終わってしまう結果となってしまったのだろう。特に、翔の出生の秘密は打ち切りが決まった時点でいいから、明らかにすべきだった。

 最週巻(3巻)のコメントで、高橋氏はこのように反省している。
 「ボクの力不足で、『翔の伝説』は、この巻が最終巻になってしまいました。最初の構想の10分の1も描けないまま終わってしまい、この先の展開を期待していたファンの皆さんには、申し訳ない気持ちでいっぱいです。(以下略)」 
 本当に調子に乗っていたことを感じさせられるコメントである。
 『翔の伝説』が残した教訓は、「初めから伏線を張りまくると失敗する」ということだろう。最初の2〜3話に全力を注ぎ込み、単純明快な話にするのがやはり正しいジャンプ漫画なのだろうということを考えさせてくれる。調子に乗って長期連載を狙うと失敗するといういい好例である。

 

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