今年も、成人式の季節がやって来た。今年も全国各地の会場で新成人たちが暴れ回る光景が見られ、マスコミも派手に報じることだろう。産経新聞あたりは、相変わらず「ここまで新成人が乱れるようになったのは戦後教育のせいだ」等と社説に書くだろう。
しかし、私は思う。成人式とはそんなに大きな行事なのだろうか。そのあたりがどうも納得がいかない。確かに、場所をわきまえずに暴れまくる新成人は私もバカだと思う。しかし、成人式を変に重要視するのもいかがなものか。はっきり言って、成人式なんて単なる行事もしくは旧友たちとの再会の場にしか過ぎない。「大人になる意識」なんてすぐに根付くのものではないのだから。
ここで、私の成人式の体験談をしたいと思う。私もウン年前に成人式を迎え、会場である某市の市民会館へ行った。市民会館前の広場では数千人の新成人であふれかえっていた。第二次ベビーブームの真っ只中の世代であることと、35万人都市であるために新成人の数が元々多かったのである。しかし、誰も会場であるホールに入る気配はなかった。それどころか、式典が始まるというアナウンスもなかったのである。私はホールに入ったのだが、人があふれかえっていて立ち見になってしまうのでホールからすぐに出た。ホールの周りには私と同じ立場の人間が、まるでどこかの繁華街のようにたむろしていた。旧友たちと出会えたことはうれしかったが、ただそれだけである。
結局、私の成人式は、中学・高校時代の旧友と久しぶりに再会したことと、まんじゅうや手帳やサ○○ターの歯磨き粉といった引き出物をもらっただけで終わった。こうした経験から、私は成人式を重要視できないのである。バカな奴だと笑われるのは承知である。
さて、たかが成人式を迎えたくらいで、新成人が急速に「大人になる」ということを自覚できるだろうか。そんなわけはない。私は、当時は実家で親のすねをかじっている大学生であったし、大人ということを自覚もしていなかった。ただ、あのような場所で暴れてはならないと一般常識としてわきまえていたが。大体成人=20歳という概念など法律的な物差しでの基準でしかない。やっぱり大人になるためには実社会でもまれるくらいしか方法はないのだ。時期は早かれ遅かれ、これは誰もが避けては通れない道である。
つまり、大人になるということは当然のごとく年齢なんて関係ない。江戸時代以前は12・3歳頃になると元服式を済ませて大人の仲間入りをするのだから、それを考えると20歳というのは遅い気もする。
というわけで、「成人式=大人になるための心がまえを学ぶための儀式」という概念はもう否定してもいいと思う。成人式なんてそんなにたいした行事ではないと思うから。ただし暴れるのは単なるバカである。これは、大人であろうと子供であろうと共通の常識であるから。