「改新の詔」には「軍制」に関する用語が出て来ますが、その中に「烽火」があります。
「其二曰。初修京師。置畿内國司。郡司。關塞。斥候。防人。騨馬。傳馬。及造鈴契。定山河。凡京毎坊置長一人。四坊置令一人。掌按検戸口督察奸非。其坊令取坊内明廉強直堪時務者死。里坊長並取里坊百姓清正強■者充。若當里坊無人。聽於比里坊簡用。凡畿内東自名墾横河以來。南自紀伊兄山以來。兄。此云制。西自赤石櫛淵以來。北自近江狹々波合坂山以來。爲畿内國。凡郡以四十里爲大郡。三十里以下四里以上爲中郡。三里爲小郡。其郡司並取國造性識清廉堪時務者爲大領少領。強■聰敏工書算者爲主政主帳。凡給驛馬。傅馬。皆依鈴傅苻剋數。凡諸國及關給鈴契。並長官執。無次官執。」
このように「改新の詔」で「烽火」を制定しているようですが、これと関係していると考えられるのが「大野城」などの「山城」です。
ところで、各所で確認される「山城」及び「神籠石」についてはその相互の距離が「22km以上」あることが確認されています。
通常「地平線」までの距離は人間が「平地で直立した場合」の視点では「4km」程度ですが、視点が上がれば、その距離は格段に伸びていきます。
各地の山城はかなり「標高」が高く、各々の「烽火台」と思える場所の平均標高で「100m」以上あると思われ、これであれば「地平線」までの距離は「36km」以上になります。
「山」のように高所に「烽火台」を設けると(同じ高さであった場合)「理論的」には「地平線」の距離の2倍まで「視認」できます。
もちろん昼は「煙」、夜は「火」で確認するとされていますから、「煙」ならば直接見えなくても良いかもしれませんが、「火」ならば「直接」見える必要があり、「発火地点」が「直接観測可能」である必要があります。この事から、よほどの高所に「烽火台」を設けないかぎり、「36km以内」に「隣」の「烽火台」が存在する必要があるでしょう。
実際には「山城」の全体が確認できる距離に、隣の「烽火台」を含む「山城」が置かれたものと見られ、おおよそ相互の距離は「30km以内」であったと考えられ、「烽火」が置かれたと推定される「山城」や「神籠石」の相互の距離が「22km」程度であることと大きくは矛盾しません。
この「烽火」については「唐」では以下のように規定されていました。
「烽火以置於孤山頭、縁江相望、或首里、或五十里、或三十里、寇至則挙以相告、一夕行萬里、孫権時、合暮挙火於西陵、鼓三竟達呉郡」(太平御覧巻三百三十五兵部)
「凡烽候所置、大率相去三十里、若有山岡隔絶、須逐便安置、得相望見、不必要限三十里」(唐六典)
またその後の「養老令」の中に規定された「軍防令」によれば以下の通りとされていたようです。
「凡置烽皆相去冊(四十)里、若有山崗隔絶、須逐便安置者、但使得相照見、不必要限冊里」
つまり、「唐制」には「三十里」とあるものが「倭国」では「四十里」と改められたようです。
「唐制」を完全に模倣したのであれば「三十里」はそのままであったはずですから、ここでは「唐制」を単純に模倣しているわけではないこととなります。
そのことからこの「四十里」という数字は倭国において以前より適用されていたという可能性が考えられ、それが遺存していると思われます。そうであればこの値は元々「短里」で表されていたはずであると考えられることとなり、この四十里は「長里」ですから「短里」に変換するとおおよそ「二四〇里」となります。
そのような規定が施行されたのは「唐」との国交が回復する時代以降というようなものではなく、それをかなり遡る時期である事を推察させるものです。
「倭国」では「山城」が多く、これは「朝鮮」(主に百済)の形式に倣ったものと考えられますが、「隋」「唐」に比べ「烽火台」の「標高」が高くとれるため、規定よりも「長い距離」でも問題なかったものと思料します。
実際には「山城」を築くのも簡単ではないし、適当な高さの山が適当な場所にない場合もあるわけであり、「視認」可能な範囲でなるべく長い距離としたとも考えられます。
また、「九州」に配置されていた「軍団」の数が判明していますが、その数と確認されている「神籠石」の数がほぼ合致しています。
たとえば「筑前」に置いては「軍団数」が「四」であるのに対して「神籠石」は「五個所」、「筑後」では「軍団数」「三」に対して「神籠石」が「二」などと、かなりの確度で整合していると考えられます。
このことは「神籠石」遺跡が「山城」であり、軍団が常駐するような設備があったことを示しますが、「烽火台」もそのようなもののひとつであったと思われます。
この「神籠石」については、全てではないかもしれませんが、かなりの数がこの時代より「以前」から存在していたと考えられ、それを「再利用」しようとしたのが「難波朝」期であったものと思われます。この段階で「神籠石」の数に合わせて、軍団を配置したという経緯が想定できます。
(この項の作成日 2012/08/12、最終更新 2013/07/02)