「書紀」の「六七六年」の年次のこととして「放生」が初めて出てきます。このその記事の直後が「金光明経」の講説記事であることはこの二つに関係が深いことを推察させます。さらにその後「猟」をする際の「わな」などについて禁止令が出されると共に「禁漁期間」を設定するなど「資源保護」的なルールが定められます。さらに「指定された動物について「食するべからず」という禁止令までが出されます。
「庚寅。詔諸國曰。自今以後制諸漁獵者。莫造檻穽及施機槍等之類。亦四月朔以後九月卅日以前。莫置比滿沙伎理梁。且莫食牛馬犬猿鶏之完。以外不在禁例。若有犯者罪之。
これらのことは「資源保護」もさることながら、「仏教」の本質である「不殺生」に基づいているといえるものです。
「放生」という行動や思想は「仏教」の神髄ともいうべきものです。そう考えると、この「放生」を行った人物は「仏教」に深く帰依していたと考えられますが、他方同じ人物が「生け贄」を伴った儀式を行ったとされます。
そのような人物像と「生贄」を伴う儀式は両立しないと考えられ、このような「不殺生」を体現する「放生」を行なった人物としては「七世紀初め」の「阿毎多利思北孤」こそふさわしい人物といえるでしょう。
その「放生」という考え方は以下のような「薬師信仰」と共に「倭国」に浸透したと考えられます。
「藥師琉璃光如來本願功徳經 (玄奘譯 )」
「爾時阿難問救脱菩薩曰。善男子。應云何恭敬供養彼世尊藥師琉璃光如來。續命幡燈復云何造。救脱菩薩言。大徳。若有病人欲脱病苦。當爲其人。七日七夜受持八分齋戒。應以飮食及餘資具。隨力所?供養?芻僧。晝夜六時禮拜供養彼世尊藥師琉璃光如來。讀誦此經四十九遍。然四十九燈。造彼如來形像七躯。一一像前各置七燈。一一燈量大如車輪。乃至四十九日光明不絶。造五色綵幡長四十九?手。應放雜類衆生至四十九。可得過度危厄之難。不爲諸横惡鬼所持」
「佛説灌頂七萬二千神王護比丘呪經 (帛戸梨蜜多羅譯 )」
「爾時衆中有一菩薩名曰救脱。從座而起整衣服。叉手合掌而白佛言。我等今日聞佛世尊。演説過東方十恒河沙世界。有佛號瑠璃光。一切衆會靡不歡喜。救脱菩薩又白佛言。若族姓男女其有?羸。著床痛惱無救護者。我今當勸請衆僧。七日七夜齋戒一心。受持八禁六時行道。四十九遍讀是經典。勸然七層之燈。亦勸懸五色續命神幡。阿難問救脱菩薩言。續命幡燈法則云何。救脱菩薩語阿難言。神幡五色四十九尺。燈亦復爾。七層之燈一層七燈。燈如車輪。若遭厄難閉在牢獄枷鎖著身。亦應造立五色神幡然四十九燈。應放雜類衆生至四十九。可得過度危厄之難。不爲諸横惡鬼所持」
「同上」
「救脱菩薩語阿難言。閻羅王者主領世間名籍之記。若人爲惡作諸非法。無孝順心造作五逆。破滅三寶無君臣法。又有衆生不持五戒不信正法。設有受者多所毀犯。於是地下鬼神及伺候者奏上五官。五官料簡除死定生。或注録精神未判是非。若已定者奏上閻羅。閻羅監察隨罪輕重*考而治之世間痿黄之病困篤不死一絶一生由其罪福未得料簡。録其精神在彼王所。或七日二三七日乃至七七日名*籍定者。放其精神還其身中。如從夢中見其善惡。其人若明了者信驗罪福。是故我今勸諸四輩。造續命神旛然四十九燈放諸生命。以此旛燈放生功徳。拔彼精神令得度苦。今世後世不遭厄難。」
これら「薬師関連」の信仰と共に「放生」という「不殺生」の極致というべきものも受容されたと考えられ、それは「施薬院」を造り「医療」に心を注いだという「聖徳太子」伝承につながるものであり、また「阿毎多利思北孤」に重なるものであるといえるでしょう。しかし、「書紀」では「天武紀」(「天武五年」(六七六年))になって始めて「放生」が記事として現れるのですから、これも大きな「矛盾」といえるものであり、これは本来「推古紀」に遡るべき記事であることが強く推測できるものです。
(この項の作成日 2013/02/14、最終更新 2013/04/25)