2 - 7 - 3 ポントス式


 名前はポントス(黒海)となっているが、実際はエトルリアの、おそらくはヴルチで制作されたものであり、六世紀の後半に年代づけられている[1]。様式的にはカエレ式に近く、東方ギリシアからの影響が強くうかがえるが、よりエトルリア化が進んでいる。主題は動物が中心であり、神話などが描かれることもあるがその描写は幼稚である。陶土の質は良いとはいえず、白や赤紫も用いられるがカエレ式のような華やかさはない。

 紀元前520年頃のヴィラジュリア博物館所蔵のキュリクスはその内面に狼頭人身の怪物を中心として、そのまわりにデイアネイラ、これを追うネッソス、さらにそれを追うヘラクレスが描かれている。構成的にはおもしろいがそれぞれの像のバランスはあまり良くない。また同じくヴィラジュリア博物館所蔵のこれも同じ画家による壺にはライオンに襲われる鹿が描かれているが、その色彩の用い方はあまり適したものとはいえない。

 これとは少し異なる様式を持つのがフィレンツェ考古博物館所蔵のヒュドリアである。装飾においては東方ギリシアとのつながりがうかがえるが、人物像の表現はほとんどアッティカ式と同じもので、この頃すでに市場を独占しつつあったアッティカ式の強い影響をここに見ることができる。ここに描かれている主題はヘラクレスがオリンポスの神々の仲間入りをする場面である。これらの陶器が純粋なエトルリア人によるものなのか、ギリシアからの移民によるものなのかは明らかでないが、いずれにしてもその数はわずかで、高度な技術を誇ったアッティカ式に太刀打ちするすべもなかった。

[1] ポントス式については、Ure, P. N., "A new Pontic amphora", JHS 71, pp.198-202, Amyx, D. A., "A 'Pontic' oinochoe in Seattle", Collection Latomus 58, pp.121-134参照。