2 - 2 - 2 キオス式


 キオスのWild Goat Styleは空間充填文を多用するアニマル・チャリススタイルを最後に六世紀半ばでWild Goatから黒像式のグランドスタイルへと移行した[1]。その最大の特徴は動物ではなく人物を中心的に描くことと、よりポリュクローム(多彩画)的な試みがなされていることである。男性の肌はやや明るめの茶色で塗られるか、陶土に上塗りされた白い色のまま残すかのいずれかで、女性の場合はさらに白い色が塗り重ねられることが多い。紫は以前よりも広い部分に用いられた。画題は酒宴や行列、戦いの場面などが多いが、まれに神話の場面も取り上げられる。

 出土はほとんどがナウクラティスからで、わずかにトクラやキュレネ、アイギナなどで見つかっている。年代は六世紀の第二四半期位置づけられる。しかしキオスからの出土例がないことから、ナウクラティスをその製作地とする学者も多いが、陶土分析はキオスの土に近い結果を示している。もちろん陶土そのものを輸出していた可能性もあるが。

 アニマルチャリススタイルが始まった頃、一部の陶工は初期コリントスの流行を受けて黒像式を試み始めた。これらはスフィンクス・ライオングループと呼ばれ、キオス伝統のチャリスは極めて少なく、鉢やオイノコエ、プレートなどが主であった。画面を分かつ文様についてはWild Goat的なものが多く、空間充填文も古くからのものが用いられることもあるが、コリントス式で好まれたロゼッタ文も使用された。

 画題はライオンとスフィンクスが多く、牛やセイレーン、水鳥なども描かれた。構図的にはまとまっているものの描写は雑であった。しかし紫が所々に用いられたりして、明暗のコントラストが効果的に用いられている。この様式は600年頃に始まり、560年頃まで続いたと考えられる。出土はキオスが中心で、ナウクラティスも多く、黒海地方やコルキュラ島、シュバリスなどからも出土している。

 キオス伝統のチャリスを製作しつづけたのがコマストグループで、画題もコマストがほとんどであり、まれに女性のパートナーを伴うことがある。男性は尖った帽子を被り、突き出したお尻にはパッドが入っていたらしい。女性は男性と同じく黒像式で描かれるが、裾の長い服を着ている。紫はしばしは用いられたが、白は用いられなかった。チャリスの内面は黒く塗られて紫や白でロータスやロゼッタ文が描かれた。

 出土はスフィンクス・ライオングループとほぼ同じだが、ボイオティアのRhitsonaなどやや広範囲に広がっている。年代的には570年代から540年代に位置づけられている。しかし六世紀の後半になると像の描かれた陶器は作られなくなってしまう。

[1] キオスの黒像式については、Lemos, A. A., Archaic pottery of Chios: the decorated styles, (1991) 参照。