やっぱり森永ね…森永ミルクキャラメル
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このTVCMも、また、ペコちゃんいくつキャンペーンと同様に、先史時代に当たる昭和20年代、1954(昭和29)年のものであります。
ペコちゃんキャンペーンと同じ1分近い長尺モノで、CMソングの前奏部分では、エンゼルが矢を放ち、矢の当たった鍵盤の音が出ているかのような凝ったしかけとなっています。
天野祐吉氏は、『TVグラフィティ』(講談社編)の中で、当時のCMについて、次のように解説しています。
「はじめに詞があった。初期のテレビCMでは、まずコマーシャルソングが作られ、それに合わせて絵を考えるというケースが多かったという。『コマソンはできたけど、どんな絵ができあがるのか』と、いつもスポンサーは、おっかなびっくりの表情であったらしい」
このCMは、天野氏が解説する通り、まず、コマーシャルソングがあり、それに合わせて、実写の映像とアニメを組み合わせたものと思われる作りになっています。
三木鶏郎氏の作詞作曲による「やっぱり森永ね」というこの作品は、CMソング時代を開いた代表作と位置づけられる作品として評価されているものだそうです。
歌詞を見ると、CMソングというより、画面の説明文と言った趣が色濃いものとなっています。
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「 晩のご飯は楽しいご飯
みんなのお話聞いた後で
オホンと大きく咳払いして
パパがあのねと話し出す
今日はね 会社でね
キャラメル出したらね
大事な会議もね
重役がニコニコで
カンタ〜ンにまとまったよ
みんなが大笑い
やっぱり森永ね
チャンチャンチャンチャ〜ン 」
今では、こういう夕食時の家族団欒というもの自体が、かなり、珍しい光景になってしまいましたが、確かに、かつて、父親を中心に家族が円い座卓を囲み、母親が座卓の脇においてあるおひつのご飯を一人一人の茶碗によそうという光景は、夕食時の風景としては、ごくごく当たり前のものでありました。
大家族の家庭の場合、両親と子供達だけでなく、これに、おじいちゃんやおばあちゃん、両親の兄弟のおじちゃんやおばちゃんが加わったりすることも珍しくなかったはずです。
何れにしても、こうした食卓の中心には、一家の主としての父親が厳然たる存在感を示しながら、食事前の晩酌を楽しみ、おかずも一品多かったりしたものでありました。
今時は、親父だけ、おかずが一品多かったりしようものなら、子供達から「ずる〜い」の大合唱を浴びるところでありますが、当時、そんなことを言う子供はいなかったのであります。
このCMはまさしく、そうした時代をきちんと反映したものになっており、母親が井戸端会議で仕入れてきた話を基に隣近所の最新情勢を解説したり、子供達が今日の学校での出来事なんかを一通り話終えた後で、「オホン」と一つ咳払いをしてから、真打ち親父の話が始まるという筋書きになっているわけです。
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親父の話は、会社の会議で偉いさん達にキャラメルをあげたら、難しい会議がまとまってしまったという他愛もない話ですが、家族は一応、大笑いをするわけでありまして、親父も笑いながら、一番下の男の子の頭などを撫でつけたりしています。
ダイニングキッチンのテーブルで食事をすることが一般化し、ちゃぶ台や座卓といった言葉自体が殆ど死語となりかけ、保温機能のついた電気炊飯器の普及でおひつがある家が珍しくなっている今。
、そして、バブルの崩壊で残業も減り、平日に家族と夕食を共にする機会こそ、一時期に比べて増えたのではないかと思われるものの、親父が威厳を持って食卓の中心に位置することなど及びもつかなくなってしまった今。
そうした今という時代から、このCMを振り返って見ると、やはり、60年代という時代が、歴史上の一つの時代として遠いものになりつつあることを実感せざるを得ないわけであります。