60年代の子供達

1957(昭和32)年冬

1957年1月24日

 とても恥ずかしい左の写真は昭和32年1月24日のものであります。私は生後1年9カ月余、ほとんど2歳になろうかという年齢でありますが、しっかりとオッパイを飲んでおります。隣の多分5歳と思われる姉は、幼稚園の制服を着ています。
 この部屋は、私が中学に入ってから私の部屋になった部屋で、片側が前面出窓になっていて、ウチでは、最も日当たりのいい部屋でありました。1月にこんなに陽光が差し込むというのは、長岡では珍しいことですが、太陽光線の角度や、姉が幼稚園の制服を着ていることなどから、午後の早い時間に撮影されたものと思われます。

 私は、人形をおんぶしたまま、お袋に抱かれて幸せそうにオッパイを飲んでいるわけですが、男の子のくせに人形をおんぶするというのは、当時、結構、オカマっ気があったということなのでしょうか。

 右の写真も同じ、昭和32年の1月24日のものです。上の写真のオッパイを飲んだ後なのか、前なのか、今となっては、知る由もありませんが、やはり、人形をおんぶしています。写真左側の座布団の上にも人形が転がっていますから、私にオカマっ気があったというよりは、単に姉のお下がりの人形で遊んでいたと素直に解釈する方が自然なのかもしれません。
 ちなみに、『1億人の昭和史[15]昭和史写真年表』によりますと、この写真から5日後の、1月29日に、南極予備観測隊がオングル島に上陸を開始し、昭和基地が開設されています。
 翌1月30日には、群馬県相馬ケ原の米軍射撃場で薬きょうを拾っていた農夫が射殺されるという事件(ジラード事件)が起きています。また、1月22日には、映画に出演した学習院大学の学生が放校になったという記録も残っています。何れも、この私の写真と同様に、当時の時代の雰囲気を伝える出来事と言えそうです。



1957年2月12日

 左の写真は昭和32年2月12日のものです。どの写真もそうですが、着ている服を見ると、終戦直後のような雰囲気さえ漂っていますが、当時は、まだまだモノが十分ではなかった時代ですし、どこの家も家計に余裕があったわけではありませんから、ウチの場合も、姉が着ているものも私が着ているものも、ほとんど、お袋が古着の端切などを使って作ってくれたものだと思います。
 姉は、ほとんど、マッチ売りの少女・越後獅子版というような趣きでありますし、私は、相変わらず、大きなよだれかけをしております。
 私たちの服装だけでなく、社会基盤もまだまだ貧弱だったようで、『新潟県の昭和史』(新潟日報事業社)によると、この年の1月、「東北電力が、電力事情の悪化で、県下の大口・一般需要者に対し15%〜30%の電力制限を実施」、1月10日からは、「管内一斉に、一般家庭に週1回の輪番停電」という記録が残っています。

 右の写真も2月12日のキャプションが添えられています。
 1月24日の写真が撮影された四畳半の部屋の出窓に私の姉が立っているものです。恐らく、雪おろしか何かで高く積もった雪の上から親父が撮ったものと思われます。最近は、世界的な暖冬現象のためか、長岡市内でこんなに雪が積もることは少なくなったと聞いていますが、僕が子供の頃は、2メートルくらいの積雪はざらにあったように記憶しています。
 という風に書くと、昭和40年代以前は長岡では、毎年、冬になると大量の雪が降っていたように思われてしまいそうですし、僕自身もずっとそう思っていたのですが、最近、こうした関係の文献を色々と読んでいると、特に、僕たちが幼年時代、少年時代を過ごした昭和30年代というのは、豪雪や水害、地震など、新潟県が自然災害に見舞われたという点では、前代未聞というか空前絶後の時期だったようです。
 ですから、最近は雪が少なくなったというよりは、そうした傾向も全くないわけではないのかもしれませんが、長岡における大雪は、昭和30年代の特異な現象だったという言い方の方がより適切なのかもしれません。

 

1957年2月26日

 新築なったウチも、初めての冬に、これだけの大雪に見舞われてしまいました。ウチは平屋でしたが、天井の高さは結構高く、近所の2階建ての家とさほど変わりませんでしたので、この年の積雪も2メートル近かったものと思われます。
 前にも書きましたが、新しい家は道路から15メートル程度奥まったところに建てられましたので、雪が降った朝は、家の玄関から道路までの道つけが大変な仕事でした。小学生くらいになってからは、私も時々は手伝いましたが、この道つけの仕事は、基本的にはお袋がやっていたように記憶しています。屋根の雪おろしは主に親父の仕事でしたが、大雪で大変jな時は、親戚の人達が、交互にそれぞれの家を回って、大勢で雪下ろしをしていたものです。
 『新潟県の歴史』(新潟日報事業社)によると、この前年である昭和30年1月8日の記録として、「県下一帯に豪雪(10日まで)。上越、信越、越後線のダイヤ大混乱。旅客、貨物列車150本運休」というのもあります。それでも、まだまだ、この程度の雪は序の口で、昭和30年代には、35年から36年にかけての豪雪と、僕もはっきりと記憶していますし全国的にも有名な昭和38年の「38大豪雪」というのもありました。








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