歌謡曲の世界では、この歌本の表紙を飾っている舟木一夫さんが、この年の8月「高校三年生」で鮮烈なデビューを飾り、この『月刊明星』11月号が発売される頃は、すでに、国民的アイドルとしての地位を着実に固められていた頃だったのではないかと思います。私も、まだ、小学三年生の洟垂れ坊主ではありましたが、気分はしっかり「こうこぉ〜さんねんせい〜っ」てなもんで、この曲を歌い込んでいたものでありました。 いつものように、この歌本の1回目の企画ページでありますので、全体の構成などを紹介させていただきたいところではありますが、前文にも、書かせていただいた通り、この歌本は、三重県桑名市の稲葉小僧さんにお貸しいただいたものでありまして、なにぶんにも古い資料のため、一部、ページの欠落している箇所などもあり、冒頭の目次ページが存在してないため、目次で全体構成を確認することはままなりません。 そこで、実際に、現存するページだけで、順に確認していきますと、この歌本では、冒頭部分で、作曲家別の特集が組まれていたようで、手元にある一番若い数字のページが35ページなのですが、すでに、「遠藤実ヒット・コーナー」の半ば部分となっております。その後から、「第2部 市川昭介リサイタル」ということで、「市川昭介ヒット・コーナー」というページが続いていますから、「第1部」として「遠藤実リサイタル」というようなことになっていたものと想像されます。 そして、第3部が、今回の企画ページで取り上げさせていただく「明星愛読者が選んだ今月の歌謡ベスト★テン」、第4部が「レコード6社/新しい歌のパレード」ということで、コロムビア、ビクター、キング、東芝、テイチク、グラモフォンの各社毎の歌手の皆さんの歌が紹介され、さらに、第5部では、当時、一大ブームを巻き起こしていたらしい島モノの歌特集として、「“島育ち”から“永良部百合の花”まで〜特集/島のうた」というスペシャル・セクションが続き、第6部が「レコード6社〜あなたのリクエスト・コーナー/歌謡曲・ポピュラー」、第7部が「みんなで歌おう!!秋の歌」となっています。 最後の歌手索引・曲索引のページも、残念ながら欠落しておりますが、最終ページには、386のノンブルがふってありますので、表紙回りを含め、全388ページ建て、400曲という充実した歌本だったわけです。
残念ながら、票数は書いてありませんが、それでも、オリコンなどのヒット・チャートがなかった時代の貴重なベストテン・データでありますので、謹んで、紹介させていただきます。 第1位は、やはり、と申しましょうか、昭和の歌謡史に燦然と輝く“歌の女王”美空ひばりさんの「哀愁出船」、第2位には、「上を向いて歩こう」改め「スキヤキ」の世界的大ヒットで、日本のポピュラー音楽史上、唯一のビルボードNo.1獲得の金字塔を打ち立て、やはり、昭和の歌謡史に不滅の名を刻み付けた坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」が続き、さすが、歌謡曲黄金時代のパワーをいきなり見せつけられる思いであります。
それにしても、この時期のコロムビアの勢いは、目を見張るものがあります。 このベストテン・チャートで言いますと、1位の「哀愁出船」(美空ひばり)、3位の「修学旅行」(舟木一夫)、4位の「ふたりぼっち」(こまどり姉妹)、7位の「高校三年生」、8位「島のブルース」(三沢あけみ)、10位の「出世街道」(畠山みどり)と、10曲中6曲までがコロムビア勢で占められておりまして、ついでに言ってしまえば、次点の「林檎の花咲く町」(高石かつ枝)もコロムビアですので、11曲中7曲、つまり、ラグビー風に言えば、ボール支配率は64%にも及ぶわけであります。 ラグビーは2者の対戦ですけれども、この当時の歌謡曲の世界の場合、メジャーなレコード会社は、コロムビア、ビクター、キング、東芝、テイチク、グラモフォンと6社が存在していたわけですから、その勢いがハンパなものではなかったことは、容易に想像されます。 残る4曲は、「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)が東芝、「大番」(三橋美智也)がキング、「白い制服」(橋幸夫)がビクター、「赤いハンカチ」(石原裕次郎)がテイチクということで、各社が1曲ずつランクインし、残念ながら、グラモフォンの曲は圏外に位置させられていたようです。 ちなみに、これまで紹介させてきていただいている昭和40年代初頭の歌本で登場していたクラウン、ミノルフォンの2社は、この時点では、まだ、存在しておりませんでした。
管野小穂子・作詞、遠藤実・作曲ということで、作詞の先生は初めて拝見するお名前だなと思ったら、歌本の貸しの最後に(「平凡」募集歌)とありますんので、詞の方は、一般の方の作品だったようです。 私が自覚的にひばりさんの歌を聞くようになったのは、「柔」とか「悲しい酒」辺りからで、昭和40年代以降のことになりますから、残念ながら、リアルタイムで「哀愁出船」を聞いた記憶はありません。 ただ、最近になってから、と言っても、すでに10年近く前になるかと思いますが、NHKのBSで昭和38年の紅白歌合戦が放送され、その時のビデオは何度か繰り返し見ておりまして、大トリを務めたひばりさんの歌われたのが、この「哀愁出船」でありました。紅組司会の江利チエミさんが、「さて、1963年、一番最後の締めくくりは、歌謡界の女王・美空ひばりさん。『哀愁出船』です。絶大なる拍手をもって、オーラスを飾ってください」と紹介しておりますので、すでに、この時点で、ひばりさんの枕詞としての「女王」という表現は定着していたようであります。
レコードにも1949(昭和24)年7月に「河童ブギウギ」でデビューしてから、この時点で、既に14年余。チエミさんの紹介の言葉に違わず、一般公募のこの歌でも、ベストテン1位を獲得し、紅白の大トリをとったひばりさんは、「女王」としての貫禄を十分に示してみせたというようなことだったものと思われます。 この曲の歌本のページには、歌詞の方にJASRACのロゴが印刷されているだけで、Copyrightのクレジットは入っておりませんでした。
「上を向いて歩こう」のヒットは、今更、何をか言わんやという感じですが、この「見上げてごらん夜の星を」も、また、すでに、「上を向いて歩こう」と同様に、日本のポップス史におけるエバー・グリーンとして、今なお、歌い継がれている名曲であります。 私自身も、いつのまにか、この曲を覚えてしまったという感じで、それがリアルタイムだったのか、後年、繰り返し、聞いているうちに覚えたものなのか、もう、定かではありませんが、曲半ばで転調するパートは、長い間、ちゃんと歌えませんでしたが、最近になって、ようやく、歌えるようになりました(と自分で思っているだけかもしれませんが…)。
私も、この曲は大好きな曲の一つでありまして、初々しいコーラスが好印象のフォーリーブスのバージョンと、AOR風テイストに仕上がっている布施明さんのバージョンが、カバーでのお気に入りとなっています。 歌本のページには、歌詞の方にも、楽譜の方にも、“'63 Watanabe Music Publishing Corp.,Japan”とクレジットされております。坂本九さんは、確か、マナセ・プロに所属されていたと思いますが、楽曲の著作権管理は、渡辺音楽出版が行っていたということなのでしょうか。 と自問させていただきつつ、坂本九さんの他の楽曲のクレジットをみましたら、「東芝音楽芸能出版社提供」となっておりますので、この「見上げてごらん夜の星を」だけが、例外的な形だったようです。
この曲については、既に、「60年代の歌謡曲」の「青春歌謡」のコーナーの舟木一夫さんの部で取り上げさせていただいておりますが、「高校三年生」によるレコード・デビューから2カ月後の1963(昭和38)年8月に発売され、この「明星愛読者が選んだ今月の歌謡ベスト★テン」でも、「高校三年生」は、まだ、7位に頑張っていて、「修学旅行」とともにベストテンにランクされていることからも、この時期には、デビュー曲と第2弾がダブル・ヒットというような状況だったものと思われます。
以前も、書かせていただきましたが、私は、この曲がヒットした後、バス遠足などの時も、出発の際には、頭の中で、必ず、この曲が鳴り響いていたものであります。 歌本のページでは、歌詞の方で“(C)'63 by Oka”、楽譜の方で“(C)'63 by Endo”とだけクレジットされております。 …ということで、ちょっと長くなってきておりますので、この「明星愛読者が選んだ今月の歌謡ベスト★テン」につきましては、トップ3までを前編とさせていただき、4位以下につきましては、後編という形で取り上げさせていただこうと思いますので、皆様、よろしくお願いいたします。
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