いよいよ…、などと主宰者だけが一人で力みかえっているわけでありますが、「60年代通信」の立ち上げ以来、手付かずのまま“幻のコーナー”となりかけていた「60年代の暮らし」に初メニューが登場することとなりました。
 「給食アンケート」の実施以来、折に触れて、「学校給食」をこの「60年代の暮らし」で取り上げさせていただくようなことを言い続けておきながら、不埒で無節操という自らの宣言通り、「学校給食」ではなく、懐かしの「広口ジャー」から、このコーナーを始めさせていただきます。

 「いやー、とにかく、暑い!!!」とビックリ・マークを3つも付けてしまうほど、ここのところの東京は、めちゃくちゃ暑いのであります。
 今日(1999年7月25日)の朝日新聞朝刊の天気予報によりますと、今日の予想最高気温は34度でありまして、明日以降の予想最高気温が30〜31度止まりとなっておりますので、恐らく、今日は、この夏、最高の暑さだったのではないかと思われます。
 すでに、深夜零時を回って、日付は7月26日(月)となっておりますが、今日は、まったくテレビを見ていないので分かりませんけれども、恐らく、19時のNHKニュースでは、今日の暑さがトップニュースの一項目になっていたに違いありません。
 そこで、この「60年代通信」でも、皆様に、つかの間の涼感を味わっていただこうと、「60年代の暮らし」における夏場の定番グッズの一つだった「広口ジャー」を取り上げさせていただくいた次第です。
 私が、まだ、ハナタレ坊主だった、1950年代後半から60年代前半にかけての頃、貧乏だった我が家には、ルームクーラー(という表現も既に死語であります)、つまり、エアコンはもちろん、電気冷蔵庫(これも、殆ど死語でありますが)さえなかったわけのであります。
 若い方はご存じないでしょうが、この冷蔵庫に「電気」という言葉が冠してあることからも分かりますように、当時は、「電気」ではない「冷蔵庫」もありまして、初期の頃の丸っこい形をした電気冷蔵庫に電気のコードが付いていないような、単に箱だけの冷蔵庫、いや、箱だけですから、そのままでは冷蔵庫にはならないわけで、箱の上の方、初期の冷蔵庫の製氷室があったような場所に、氷をいれて初めて冷蔵庫としての機能を果たす、「冷蔵庫」があったのでした。
 しかし、この「冷蔵庫」では、本当に、食品を冷やして食べることは難しいわけでありまして、この氷を使う冷蔵庫の場合、食品を冷やすというよりは、食品の腐敗を防止するというか、遅らせることくらいしか出来なかったので、我が家の場合、この画像にあるような「広口ジャー」、ウチでは単に「ジャー」と言っておりましたが、このジャーの中に、氷屋さんから買ってきた直方体の氷を千枚通しなどでぶっかき氷状態にして詰めこみ、たとえば、その中に、一緒にトマトやらキュウリを暫く入れき、ギンギンに冷えたトマトやキュウリを食べるというようなことをしておりました。

 スイカなどの場合は、さすがに、この広口ジャーの中に入れるわけにはいきませんから、井戸水などで冷やして食べていたわけですが、冷たくして食べるものは徹底的に冷たくして食べたいというポリシーを持っていたウチのオヤジは、本来、そのまま食べたり、ジュースなどの飲料に入れるための氷を保存するものだったと思われるジャーの中に、直接、トマトやキュウリを突っ込んでおいて、食べていたわけであります。
 ウチから自転車で10分くらいの場所にあった氷屋さんに、その直方体の氷を買いに行くのは、夏休みの間、私の重要な仕事の一つとなっておりました。
 当時、氷屋さんに行って氷を買う際には、「氷を一貫目ください」とかいう風に言ったものでありまして、長靴を履いた氷屋のおじさんは、大きな大きな氷のかたまりに、その長靴の足をかけ、荒い歯のノコギリで、シャッシャッシャッと涼しげな音を立てて、周りに細かい氷の削りカスを飛ばしながら、幅15センチ、長さ30センチ、高さ10センチくらいの直方体の氷を切り出してくれたものであります。
 私は、その氷を新聞紙に包んでもらい、自転車の荷台にゴムでくくりつけ、炎天下、氷が溶けないように大急ぎで自転車を漕ぎ、家に帰ったものでありました。



 ところで、なぜ、私が、今回、広口ジャーを取り上げさせていただいたかと申しますと、実は、今日は、日曜日であるにも関わらず、仕事のため出社したのでありますが、その帰りに、いわゆるダイヤアイスを買おうと思って近所のコンビニに入ったところ、ダイヤアイスに混じって、上の画像で紹介させていただいたような直方体の氷も売られており、子供の頃、よく自転車で氷屋さんに氷を買いに行っていたのを思い出し、その連想で、広口ジャーの記憶が鮮明に甦ってきたからなのであります。
 現在は、既に、ジャーという言葉自体、「電子炊飯ジャー」などという商品名に、かろうじて残っているだけではないかと思われるわけですが、1950年代から60年代にかけては、ジャーと言えば、この「広口ジャー」のことを意味していたわけで、夏場は、氷の入れ物として使われ、冬場には、まだ、保温機能のついた炊飯器などもない時代でしたし、我が家は、結構、いつまでも、いわゆる釜でご飯を炊いておりましたから、炊き上がったご飯を、このジャーの中に入れておいたりしたものでした。
 ですから、この広口ジャーは、現在の保温式ランチボックスの原型になったものと言えるのかもしれません。
 右上の画像は、このページを作らせていただくために、家に帰ってから、わざわざ次男を連れて、もう一度、コンビニに行って、次男を撮るフリをしながら、コンビニの冷凍食品売場を撮ってきたビデオの静止画像をキャプチャーしたものでありますが、プラスチックのケースや袋に入ったダイヤアイスに混じって、「板氷」という商品名で、直方体の氷が置いてありました。

 冷凍冷蔵庫が登場して、家庭でも簡単に氷を作ることができるようになり、ホテルのアイス・ベンダーのように出来あがった氷を自動的に落としてくれる冷凍冷蔵庫さえある時代ではありますが、何年か前からは、おいしい氷への需要に応えるべく、コンビニに袋入りのダイヤアイスが置かれるようになり、最近では、さらに、少量の氷がプラスチックケースに入ったものまで出現してきたのは知っておりましたけれども、私が子供の頃、自転車で氷屋さんにまで買いに行っていた直方体の氷が売られているのを見たのは、今日が初めてのことです。
 ですから、1950年代から90年代までの家庭における氷使いの発展史的な観点から整理してみますと、氷屋さんの直方体の氷→冷凍冷蔵庫の製氷室の氷→コンビニのダイヤアイス→コンビニの板氷、というような流れになるわけで、原点に戻ったというようなことなのでありましょうか。
 このコンビニで売られていた板氷の袋の裏には、その使用方法について、「ザ板氷は良質な水から造りあげたブロックタイプの氷です。アウトドアーをはじめ釣り・スポーツ・ハイキング・海水浴などのレジャーにいろいろな用途でお使いいただけます。また、そのまま、かき氷・飲料用としてもご利用ください」と書かれておりますから、昔の我が家のように、かき氷・飲料用としてよりも、どちらかというと、主に、保冷材の一バリエーションとして使われることが想定されているようです。
 さらに、私が買ってきた板氷は、氷屋さんのおじさんが長靴で踏みつけてノコギリで切り出し新聞紙で包んでくれたものと同じような直方体の形のものではありましたが、ちゃんと、一つずつビニールの袋に詰められ、袋の裏には、「製品には万全を期しておりますが、万一、製品に何かお気づきの点がございましたら下記お客様相談室までご連絡ください」という文章が記され、フリーダイヤルの電話番号まで印刷されておりました。
 氷を長靴で踏みつけてノコギリで切り出していたおじさんが読んだら、びっくりしてしまうかもしれません。








「60年代通信」トップページへ 「60年代の暮らし」INDEXページへ

 このページをご覧になって、甦ってきた記憶や確かめたい事実、ご意見・ご感想など、ぜひ「60年代通信」掲示板にお書き込みください
「60年代通信」掲示板=http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html

 お便りもお待ちしています
 メールはこちらへkiyomi60@bb.mbn.or.jp

(C) 60年代通信