60年代の雑誌

「月刊平凡」1967(昭和42)年3月号&4月号

1967(昭和42)年3月号

1967年3月号の表紙は、西郷輝彦とナベプロ三人娘の一人、園まりであります。西郷輝彦は、このコーナーでは、最初の号である1966年7月号、中3カ月おいて1966年11月号、さらに、中3カ月おいて、この1967年3月号と、コンスタントにローテーション通り起用されていることになります。
 一方の園まりは、中尾ミエ、伊東ゆかりとともにナベプロが三人娘として売り出した歌手の一人で、1963年と64年の紅白歌合戦に三人娘としてセットで出場、65年に「逢いたくて逢いたくて」でソロとしては初出場、その後、66年「夢は夜ひらく」、67年「愛は惜しみなく」と、毎年、着実にヒット曲を放ち、紅白にもソロとして連続出場を果たしています。ですから、この表紙を飾ったのは、「夢は夜ひらく」の大ヒットとそれに続く「愛は惜しみなく」のヒットとの間辺りのタイミングで、恐らく、人気的にも頂点だった頃のはずで、三人娘の中でも、人気の点で園まりが頭一つ抜け出していたような時期ではなかったかと思われます。
 西郷輝彦の方は、すでに書いた通り、橋・舟木とともに御三家の一人ですが、やはり、人気的にはこの頃がピークだったことから、中3カ月というような頻度の高さで、表紙に起用されていたのでしょう。
 新聞広告に目を転じてみますと、この号は珍しく表紙と新聞広告の写真使いが一致しておりまして、66年の夏以降、新聞広告では常に最大のスペースを撮っていた加山雄三が、付録の歌本の表紙の扱いで登場するにとどまっております。誌面企画としては、「豪華6大対談」と銘打って、表紙コンビの西郷&園のほか、橋幸夫&水前寺清子、吉永小百合&浜田光夫、舟木一夫&恵とも子、三田明&和泉雅子、加山雄三&荒木一郎、という6組の顔合わせの対談特集が目を引きます。特に、注目されるのが、前年の1961年に「空に星があるように」でレコード大賞新人賞を受賞、この年も、「いとしのマックス」「朝まで踊ろう」などの大ヒットを飛ばし、紅白歌合戦に初出場することになる荒木一郎の登場であります。前年から自作の曲で次から次へとヒット曲を連ねていた加山雄三同様、荒木一郎もヒットした作品は何れも自分の手によるものでしたが、私などにとっては、詞・曲ともに手がけていた荒木一郎の方が、和製フォークあるいは和製ポップスの世界での、いわゆるシンガー・ソング・ライター第一号としての印象は強いものがあります。大衆芸能誌での対談企画ですから、あまり音楽的に突っ込 んだ話をしているとも思えませんが、一応、どんな話をしているのか、非常に気になる顔合わせではあります。


1967(昭和42)年4月号

 1967年4月号の表紙は、三田明と由美かおるであります。
 三田明は、昭和39年に「美しい十代」でデビュー、写真家の秋山庄太郎氏をして「昭和の美少年」(だったかな)と言わしめたほどの恵まれた容姿で、あっという間に御三家と並ぶ人気を獲得した歌手であります。すでに活躍していたジャニーズとは別の意味で、後年の郷ひろみなどの男性アイドル歌手の原型を作った歌手と言えるのではないかと、私は考えています。その辺りは、あまり、このコーナー向きのテーマではありませんので、「60年代の歌謡曲」のコーナー辺りで詳しく突っ込んでみたいと思います。
 何れにしても、この時期の三田明というのは、「旬の人気」というような意味合いでは、すでに、御三家と並ぶものがあったように記憶しています。『月刊平凡』の表紙に登場するのも、1966年10月号以来、中5カ月でありまして、この頻度は、加山雄三や舟木一夫に匹敵するものであります。初期の歌は、内容的にもいわゆる青春歌謡に属するものでしたが、デビューのタイミングがちょっと遅く、御三家の仲間にカテゴライズされることもなかったため、昭和歌謡史的な意味合いでは、埋没しがちな存在であることが、残念です。
 私の記憶の中では、叔母や姉が大ファンだった舟木一夫は別格として、恐らく、この時代に、最も歌詞をよく覚えた歌手の一人であり、ぜひ、頑張っていただきたいと思うわけであります。そういう思いがあるせいか、何なのか、よく分かりませんが、先日、銀座のレストランで一緒に食事をする夢を見た私は、やっぱり、ちょっと変なおじさんなのでしょうか。
 新聞広告の方はといいますと、何といっても、このコーナーの対象となっている1966年7月号以来、常に大きなスペースを占めてきた加山雄三の写真が初めて使われていないということに、一応、注目しておきたいと思います。
 誌面企画として注目されるのが、「怪獣とデート」という訳の分からない企画であります。当時、ウルトラQやウルトラマンを、きちんとまじめに見ていた少年だった私は、まさか、あのレッドキングが、こんな形で『月刊平凡』に登場しているとは、つゆ知らないのでありました。SD版やキッズ版などが作られるようになり、怪獣のアイドル化、キャラクター化が進んだのは、ここ数年のことと思っていたのですが、初代のウルトラマンシリーズが放映されていた当時、すでに、怪獣のアイドル化、キャラクター化の現象は、その兆候を見せていたということになるわけです。






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