[履歴]
1903年 ロンバルディーア州ソンドゥリオ県モルベーニョ生まれ
1925年 ギズリエーリ学院卒業
1930年 カッリャリ大学法学部講師(財政学・財政法)
1933年 ローマ大学法学部講師(財政学・財政法)
1937年 パドヴァ大学講師(財政学・財政法)
1939年 ヴェネツィア経済商業高等学院教授(財政学・財政法)
1943年 旧ファシスト商業労組解体監察官
1946年 制憲議会議員(キリスト教民主党)
1947年 国際貿易相(第3次デ=ガスペリ内閣)
1948年 上院議員
財務相(第5次〜第8次デ=ガスペリ内閣、ペッラ内閣)
1954年 予算相(シェルバ内閣、第1次セーニ内閣)
1956年 国庫相臨時兼任、上院で審議中に急死
経済学者でキリスト教民主党の創始者の一人。「ヴァノーニ・プラン」と呼ばれる
経済計画の立案者。
パヴィーアの名門私立単科大学ギズリエーリ学院で法律を学び、学位論文の指導教官
だったベンヴェヌート・グリツィオッティの助手としてパヴィーア大学法学院で研究を
続ける。1926年に奨学金を得てミラーノのカトリック聖心大学で経済学を学んだ後、1928
年に奨学金を得てドイツに留学した。
ローマ大学講師時代にパスクワーレ・サラチェーノ(ローマ大学教授、後の産業復興
公社総裁)、セルジョ・パロネットとの親交を通じて、やがてデ=ガスペリ、ゴネッラ
といった後にキリスト教民主党の中心となる人々と知り合った。
財務相としての功績は、年収の申告に基づく現代的な徴税法を導入したことだが、
脱税は期待したほど減らなかった。エネルギー部門統括の公企業「炭化水素公社」(ENI)
の設立法案を立案したのも彼が財務相だった時期である。
1954年、予算相として以後「ヴァノーニ計画」と呼ばれることとなる「イタリアの雇
用と所得の増進10ヶ年計画(1955〜1964)」を発表し、国家介入型の経済成長を主唱し
た。その内容は、①毎年5%の所得増、②地域間・部門間格差の縮小、③400万件の新規
雇用の創出、④消費と所得の調整による所得再分配の強化、などであった。
[エピソード]
[関連リンク]
モルベーニョ市(「歴史」→「郷土の偉人」欄に伝記や関連論文をリンク)
ギズリエーリ単科大学(パヴィーア)
(随時改稿:この項は書きかけです)