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 アルティエーロ・スピネッリ(1907〜1986)
 [履歴]
 1907年 ローマ生まれ
 1924年 イタリア共産党青年部に加入、反ファシズム地下活動に従事。
   その活動には、哲学者で党幹部のグラムシも注目していたという。
 1927年 反ファシズム活動によりミラノで逮捕。国家保安特別法廷で禁固16年8月の判決
   10年に減刑されるも、ルッカ、ヴィテルボ、チヴィタベッキアで収監
 1937年 収監は解かれるが、ポンツァ島の政治犯収容所に移送
   スターリンによるモスクワ粛正を批判し、収容所内の共産党組織から除名される
 1939年 ポンツァ島収容所閉鎖に伴い、ヴェントテーネ島収容所に移送
 1941年 ロッシ、コロルニとともに「ヴェントテーネ宣言」を起草
   この文書はコロルニ夫人のヒルシュマンにより本土の活動家に回覧される
 1943年 ムッソリーニ失脚に伴い釈放。ミラノで同志たちと「欧州連邦主義運動」を創設、
   同運動の総書記に就任(〜1962)、独軍の残る北部を避け、スイスに亡命
 1944年 欧州各国の連邦主義者と会談、行動党に入党
 1946年 全欧組織「欧州連邦主義者連合」創設
   制憲議会議員に立候補(行動党)するも落選(小党の比例名簿下位で及ばず)
   行動党は1947年に解党
 1947-1948年 モントルー、ハーグ両会議で党派的利害にこだわる既存政治勢力を批判
 1951年 デ=ガスペリ首相宛覚書で欧州政治共同体構想へのヒントを与える
 1957年 トリーノで欧州人民会議を開会
 1965年 ローマに国際事情研究所(IAI)を創設
 1969年 ネンニ外相(社会党)の私設顧問に
 1970年 EC委員(産業・研究担当)、担当分野よりもECの制度改革に注力
 1976年 ローマ市議選の共産党名簿筆頭(左派勝利の場合は市長)に名前が上がるが固辞
   下院議員(イタリア共産党選挙名簿内・独立左派 〜83)に当選、独立左派下院議員団長、
   イタリア議会代表として欧州議会議員にも就任
 1979年 初の欧州議会直接選挙で欧州議会議員に選出
 1980年 欧州議会内の有志で「クロコダイル」グループを結成
 1984年 欧州議会で代表提案者となった「欧州連合設立条約草案」が採択される
 1986年 ローマで死去

  イタリアの欧州連邦主義運動の指導者。レジスタンス運動に発する欧州連邦主義運動
 の記念碑的文書「ヴェントテーネ宣言」により欧州各国にもその活動が広く知られており、
 80年代に欧州議会で「欧州連合条約設立草案」を採択させた「クロコダイル」グループの
 中心人物としても知られる。
 
  死後も彼の論集、日記、演説集がボローニャの名門出版社イル・ムリーノから続々と
 刊行されている。

  今日、ブリュッセルのEU本部の建物の一つには、彼の名前がつけられている。

 [エピソード]
  
 [関連リンク]
  

 (随時改稿:この項は書きかけです)

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