2006年イタリア総選挙

   終身上院議員の大研究


  実に158対156(無所属1)で極度の与野党伯仲になった上院には、定数外の「終身上院
 議員」が現在7人います。元大統領全員と、歴代の大統領が在任時に任命した各界の共和
 国への功労者(上限5人)がいるのですが、意外なことに単なる名誉職でなく、議員としての資格
 はフルにあり、議決権はもちろん、動議の提出や討論など、選挙で選出の議員と全く同じ
 にできます。従って、上院ではこの終身上院議員が最後の決定的な影響を与える可能性が
 出てきました。特に、イタリアでは両院がまったく対等ですから、首相の信任投票や法案
 の可決に上院は欠かすことができません。つまりは、イタリア政治のすべてに影響を持つ
 存在として、にわかにクローズアップされてきました。
  (このページの末尾にその後の動きを追記:5月7日)
  (再追記)ナポリターノが大統領に選出、就任し、終身上院議員でなくなり、前大統領と
       なったチャンピが終身上院議員に就任。

 
  まずは、現在の終身上院議員を任命(就任)順にご紹介しましょう。

 (1)ジューリオ・アンドレオッティ(元首相、1919年生まれ)
    コッシーガ大統領が任命(1991年6月1日)。社会及び文学での貢献。
   文学での貢献とは、この人は文筆でも知られ、自らが政治生活のなかで出会った
   各界の人々との思い出をつづった「間近で見た人々」(Visti da vicino)という本が
   ベストセラーになったこともあります。学生時代からキリスト教民主党の活動家で
   政治家としては、戦後復興期の大政治家であるデ=ガスペリ(日本で例えると吉田
   茂のような人)の特別秘書から各大臣を歴任、長命で戦後政治の生き字引であり
   しかし自前の派閥はほとんどなく、インテリである点も含めて日本で言うと宮沢さん
   に似ています。しかし、長くイタリアのNATO外交の中心であり、アラブや東欧にも
   独自のコネクションを持っていて、イラク戦争では派兵目的を医療とロジに限ると
   いう決議を可決させたり、旧DC右派ながら、無教養なベルルスコーニは嫌いで、
   一時第3極を目指した「ヨーロッパ民主党」を作る(成功せず後に他党に吸収)など、
   いまだに政界に一家言持つところは中曽根さんに似ているかもしれません。今回の
   首班投票も最後の瞬間に決める、と相変わらず油断ならない人。マフィアとの関係
   も長く噂され、彼を「シチリア総督」と呼ぶ批判者もいます。動物でいえば、才知に
   長けた狐キャラ。

 (2)フランチェスコ・コッシーガ(元大統領、1928年生まれ)
    大統領辞任により就任(1992年4月28日)。大汚職事件発覚で揺れる政界の刷新
   を早めるため、任期切れ前に敢えて辞任した「第1共和制の壊し屋(picconatore)」。
   辞めてからもその狸親父ぶりは変わらず、スペインで右派の人民党が勢力を伸ばす
   とアスナール首相(当時)との交流を深め、第1次プローディ内閣が再建共産党の
   閣外協力解消で総辞職すると、中道諸派を集め新党「共和国民主連合」を自ら結党、
   かつての政敵の旧共産党出身のダレーマを首班に推し、やがてその支持を覆すなど、
   これまた、なかなか生臭い人です。現在も新聞、雑誌に多く寄稿しています。彼も
   旧DC右派だが、首班投票での選好は読めない。

 (3) オスカー・ルイージ・スカルファロ(元大統領、1918年生まれ)
    大統領任期満了により就任(1999年5月15日)。プローディと同じミラーノ聖心大学
   卒。カトリック行動団で反ファシズム運動にも参加した硬骨漢。1946年に制憲議会
   議員に選出され、イタリア共和国憲法起草に加わった旧DCの長老。1950年、ローマ
   市内のトラットリーアで肩を出した軽装の女性を注意して、この女性がたまたま極右の
   活動家で警官を連れてきたため、尾ひれがついて「女性をビンタした」と報道された
   エピソードがある。信仰が篤く、政教分離の守護者である共和国大統領にふさわし
   いか問題視する向きもあったが、人格高潔で大汚職事件摘発で政界が揺れた時期
   に最適と白羽の矢が当たった。支持表明に訪れた当時の左翼民主党書記長に職責
   を守ると約束し、実行した。憲法の番人として当時1期目の首相を務めていたベル
   ルスコーニを激しく譴責、その頑固親父ぶりが好感を集めた。イラク派兵の際には、
   同じく制憲議会議員だった旧共産党議員とともに疑義を呈し、護憲派の論陣を張っ
   た。旧DC政党で現在中道・左派の人民党に属し、プローディ支持は確実。


 (4)リタ・レーヴィ=モンタルチーニ(生物学者、1909年生まれ)
    チャンピ大統領による任命(2001年8月1日)。科学及び社会分野での貢献。
   イタリアの女性科学者の最高峰。ノーベル医学賞受賞。ファシズム期に反ユダヤ
   人種法により亡命、渡米し、神経細胞の成長に関わるNGFの発見で成果を挙げる。
   イタリア学士院、ローマ教皇アカデミー、イギリス王立協会会員。モラルの点でも
   真に尊敬すべき人物。今回の首班投票ではプローディを支持する。

 (5)エミーリオ・コロンボ(元首相、1920年生まれ)
    チャンピ大統領による任命(2003年1月14日)。社会分野での貢献。
    やはり、キリスト教民主党の政治家で重要閣僚を経験。80年代の欧州統合の進展
   の先駆けとなる「ゲンシャー=コロンボ宣言」の推進者。外相経験者で国際関係で
   以後の政権の指南役も務める。この人は長老らしく落ち着いていて派手な行動には
   出ない。自らは保守派だが、今回の首班ではプローディを支持する意向を表明。

 (6)ジョルジョ・ナポリターノ(元下院議長、1925年生まれ)
    チャンピ大統領による任命(2005年9月23日)。社会分野での貢献。
   旧共産党、左翼民主主義者の重鎮。旧共産党時代には「影の外相」として、同党の
   外交政策を欧州志向に転換した国際派。第1次プローディ内閣の内相でもあった
   彼は、当然、プローディを支持する。次期大統領の有力候補でもある。大統領選挙
   のほうが先になれば、彼がプローディの首班指名を行うこともあるかもしれない。
   →第11代共和国大統領に選出。同時に、終身上院議員ではなくなる。

 (7)セルジョ・ピニンファリーナ(経営者、1926年生まれ)
    チャンピ大統領による任命(2005年9月23日)。社会分野での貢献。
   この不思議な苗字は、フェラーリなどの車体メーカーとして有名な同名の会社名に
   創業者のバッティスタ・「ピニン」・ファリーナの愛称を苗字に添えて使っていた、
   つまりもともとはビジネス上の商標だったものを、大統領令で苗字として認められ
   たものである。セルジョ氏はその2代目にあたり、イタリアの経団連会長を務めた。
   いわば、名門企業であり、経済人といっても、ベルルスコーニのような新興企業家
   とは性格を異にする。そのため、彼を中立的な上院議長に担ぐ声も上がっている。

  そして、次に終身上院議員になる(まだならない?)のは、この人。

 (番外)カルロ・アゼーリオ・チャンピ(現大統領、1920年生まれ)
    大統領任期が満了すれば、この人は自動的に終身上院議員に。ただ、問題は高齢
  (85歳)にも関わらず、大統領再任を期待する声が絶えないこと。それは、彼自身が
   青年期に反ファシズム・パルチザン活動に加わったこと、財政危機の際にはイタリ
   ア銀行総裁から非議員のまま首相に就任し混乱を収拾したこと、第1次プローディ
   内閣では国庫相としてイタリアのユーロ参加に成功した、などの輝かしい功績に
   よる。終身上院議員になるのに何の不思議もない人。あまり知られていないが、
   奥さんはプローディの遠戚にあたる。思想的には青年期から世俗派(非DC)。
   →ナポリターノ新大統領の就任に伴い、元大統領として終身上院議員に

  いずれにしても旧キリスト教民主党(DC)右派が多いと言っても、現在のベルル
  スコーニの中道・右派とは必ずしも重ならず、旧DC左派出身のプローディの方が
  有利ということは終身上院議員を見てもいえることです。しかし、この人たちは、
  もし左派がしっかり統治できなければ、自らの意思で一票を入れられるわけですから、
  やはり今後も目が話せないところです。

  ところで、終身上院議員ウォッチングで重要なのは、本人の年齢と健康状態です。
  共和国の功労者たちはいずれも高齢で、死亡による終身上院議員の職責全うまでに
  体力の限界から登院が不可能になることも多いのです。

(5月7日追記)この記事を書いてからの終身上院議員の動きについて付記します。
 左右伯仲となった上院では、一人の欠席でも結果に影響が出る情勢となり、終身上院議員
 も全員出席しました。議長選挙は慣例で長老議員が仮議長を務めるのでスカルファロが
 議長席に着き、議長選挙を行いました。左派の候補はマルゲリータ(中道派)のマリーニ
(元労相、カトリック労組の指導者)で、左派でなく旧キリスト教民主党の候補を出すのは
 こういうときは正解ですが、なんと右派側の候補がアンドレオッティ。本来、隠居の立場
 の終身上院議員を議長に担ぎ出したわけです。反共だがベルルスコーニも無条件で支持し
 ない彼は、むしろ自分の立場を楽しんでいるように、辞退はしませんでした。右派として
 はマリーニも霞むくらいの旧キリスト教民主党の大物で左派側の裏切りを誘うとともに、
 形勢不利な自陣から直接候補を出すよりは1票でもキープしておくという作戦でしょう。
 アンドレオッティと親しいコッシーガ(自らは第1共和制の破壊に寄与したものの、アン
 ドレオッティを終身上院議員に任命し、彼がマフィア関連の疑惑で裁判中も誕生日にお祝
 いをかかさない)の支持も確実です。結果は、日本でも報道されたドタバタの末、2日間、
 4回目の投票でマリーニが議長に選ばれました。この間、最高齢(97歳)のモンタルチー
 ニ女史も投票に参加しました。


(最終更新=2006.5.7 随時更新)


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