戦後のイタリア下院選挙(1948〜1992年)政党別獲得議席数

  政党別得票率(1948〜1992年)  戦後の歴代政権一覧  1994年下院選挙結果 

 1948年のイタリア憲法施行による初の総選挙から現行の選挙制度に改正される前の1992年まで。戦後の主要政党
 の全てが解体、再編される以前の、いわゆる「第1共和制」の全ての選挙。比例代表制により議席が分散。
 青太字は各党が共和制期で最大議席数を得た回、赤字は最低の回。

政党名1948 19531958 19631968 19721976 19791983 19871992
イタリア共産党(PCI)(*4)183 143140 166177 179227 201198 177(*1) -
左翼民主党(PDS)- -- -- -- -- -107
再建共産党(PRC)- -- -- -- -- -35
新左翼諸政党 (*2)- -- -- 06 67 8-
緑の連盟- -- -- -- -- 1316
プロレタリア統一社会党(PSIUP)(*3)- -- -23 0- -- --
イタリア社会党(PSI)(*4) - 7584 8791 6157 6273 9492
イタリア社会民主党(PDCI)33 1922 33(*5) - 2915 2023 1716
イタリア共和党(PRI)9 56 69 1514 1629 2127
レーテ・民主主義運動- -- -- -- -- -12
キリスト教民主党(DC)305 263293 260266 266263 262225 234206
急進党(PR)- -- -- -4 1811 137
イタリア自由党(PLI)19 1317 3931 205 916 1117
君主党 (*6)14 4025 86 -- -- --
イタリア社会運動(MSI)6 2924 2724 5635 3042 3534
ロンバルディア同盟- -- -- -- -- -55
その他6 35 43 44 66 76
合計575 590596 630630 630630 630630 630630


 *1  イタリア共産党は1991年、左翼民主党に改称、これに反発する勢力が新たに再建共産党を興した。

 *2  1968年の学生運動や新しい社会運動を背景に誕生した「革命的左翼」の諸政党。思想的には共産主義だが
    共産党よりも直接的な政治運動を志向し、リバータリアン的な政治潮流にも近い。1972年は小党派乱立で
    獲得議席なし。1976年はプロレタリア統一党 (Pdup)、闘争継続 (Lc)、労働者の自律 (Ao) らの選挙連合
   「プロレタリア民主主義 (Dp)」で議席獲得。1979年は Pdupのみで6議席を獲得したが、プロレタリア民主
    党 (Dp) を中心とする統一新左翼 (NSU) は議席獲得ゼロ。1983年以降はプロレタリア民主党の獲得議席。
    80年代にこの勢力の一部は「緑」の諸政党に参加。プロレタリア民主党は1991年に再建共産党に合流。
 
 *3  もともと戦後初期の社会党の正式党名であったが、社会民主党との合同に反発する左派の一部がこの名称
    により独立した。1972年総選挙で議席を獲得できず、共産党に合流。

 *4  1948年のみ、共産党と社会党が「民主人民戦線」として共同で選挙戦に臨んだ。(データは共産党の欄に)

 *5  1966年に社会党と社会民主党が合同、統一社会党(Psu)となるが、1969年に再び分裂。
 
 *6  1953年は国民君主党 (Pnm)。1958年は国民君主党(2.2%)と同党から分裂した人民君主党(Pmp:2.4%)
    の合計。1963年以降は君主主義勢力が再統一した君主主義統一イタリア民主党 (Pdium) の得票率。1972
    年選挙に際しPdiumから多くがイタリア社会運動に合流した。

(注)
 表の配色は原則として政治的な起源が近いものを同じ色にしてある。伝統的なイデオロギー色(共産主義=赤、
 ファシスト=黒、王党派=白)や党のシンボルカラー(共和党=緑、ロンバルディア同盟=緑)はその例だが、
 カトリック=白がより大きい勢力なので王党派は紫にした。DCの一部などが結成したレーテは白にしてある。
 自由党とその左派が結成した急進党にはドイツで自由主義にあてる黄色を充てたが、イタリアで同じような色の
 発想をするかは分からない。保守系として青色を充てたほうがいいかもしれない。社会党、社民党は左派という
 ことで赤色に近い暖色系にした。
 


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