07年10月16日  若狭〜湖北

なぜ故このお二人が?

まず一直線に目指すのは若狭にある「明通寺」です。
太古の昔より若狭は蝦夷や朝鮮半島や大陸との交流が盛んで、まさに「日本の玄関口」として栄えた地方。現代の国道を走っているとお寺の標識がアッチコッチにあります。奈良から平安時代にかけてたくさんの物・人・文化が入ってきて、京の都へと流れていったことでしょう。恐らくそれと同時に、疫病や邪気なものもやって来ることも考えられたため、京の都に入ってくる前にくい止める意味もあって、「現世利益」のある観音さんや薬師さんを祀ったお寺が多く建てられたと考えられて当然か…。
その数多くあるお寺の中で規模も大きく、国宝の本堂と三重塔がある真言宗系の明通寺。
私は以前から本尊の重文「薬師如来」の脇侍の「深沙大将」と「降三世明王」が気になっていました。
通常薬師さんに脇侍と言えば日光さんと月光さん、あるいは十二神将と決まっているのですが、この明通寺は何故かこのお二人。稚拙でシンプルな造りですが、写真で見る限り、その迫力は超一級品。是非お会いしたかった。

山門を通って左にある「鐘楼」。観光協会らしきブレザーを着たオジサンが鐘を撞いていました。
「どうぞ撞いてください、これは『かえりの鐘』と言って、行きに撞いてください。帰りに撞くのは死者のみです。」と言う。慌てて鐘を付く私。
そして国宝の本堂に入る。
本陣の正面にはもちろん重文の「薬師如来」。向かって右に迫力の「降三世明王」。しかし左にいる筈の「深沙大将」がいない。代わりに等身大の写真が貼られているではないか!?
法話が終わって御住職に聞いてみると、「若狭歴史民俗資料館」に展示中との事。ああ(涙)…時間があれば行ってみたいが、この日のうちに湖北まで行きたかったので涙を飲んで諦めました。そして御住職に私の疑問をぶつけました。結局本義は分らず色々な解釈があるとのこと。深沙が口を閉じ、降三世が口を開いている、つまり「阿吽」の金剛力士のように本尊を守っている説。あるいは薬師さんは東方浄土の主なので、密教では東方の守護神でもある降三世明王や東方の水系の神である深沙を配置した説など…でも色々な解釈があるっていうことは、それだけ想像を膨らませる事ができてかえって良かったのでは?と自分で納得。
穏やかなお顔の「薬師如来」、大迫力の「降三世明王」、そして三尊をさらに前面で守っているトロピカルなお顔(何故かそう感じた)の鎌倉時代の「十二神将」たちと別れを告げて本堂を出る。
境内を流れる松永川のせせらぎをBGMに三重塔を見上げる。
すっきりした造りに暫く見惚れていました…
さあ、第二の目的地湖北に向かいましょう。


悲しくも儚い地、湖北

私は湖北には少なからず思い入れがありました。
井上靖の小説「星と祭」。最愛の娘を亡くした父親が湖北の十一面観音巡りをしていくうちに、認めなかった娘の死を自分の中で納得させていく「生と死」を考えさせられた小説です。
そして以前から気になっていた、この小説のモチーフにもなった悲しい伝説があります。湖北に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)。ここから一番近い岬である葛籠尾崎(つづらおざき)にかけて湖底から縄文時代から平安時代にかけての土器が時々漁師の網に引き上げられるそうです。このあたりは水深は琵琶湖で最も深く誰がどのうような理由で縄文から平安の長き時期にかけて土器を沈めたのか全く謎です。
そしてこの地は古くから戦が多く、負けた武将や兵士たちが逃げ場を失い、琵琶湖に浮かぶ竹生島めがけて泳いでいくうちに力尽きて沈んで行ったという。しかし沈んだ者たちは湖底の奥深い千畳洞窟で水底の世界を作り、時化(しけ)で沈んだ漁師たちと生活をしている。しかし冬の寒い日には、あまりの冷たさと人恋しさで、湖(うみ)から上がって、夜な夜な村の戸を叩く。村人は冬にはそれに備えて仏壇に熱い茶や燗酒を供えたという悲しい伝説。時々今でも漁師の網に白蝋化した遺体が引き揚げられるそうです。水温が低いため、遺体は腐らずそのままの形で沈んでいるといわれているそうです。
前置きが長くなりましたが、そんな遺跡、引き揚げられた遺物を、湖北の「尾上公民館」に展示されているそうなので、十一面観音めぐりに合わせて是非訪れてみたかった地です。


感動の十一面さん。

まずは以前から是非会いたかった善隆寺の「十一面観音」。
ナビに善隆寺の位置をインプットしてしたので迷わず行けました。
駐車場がなかったので、お寺の前に路上駐車(もちろん通行の妨げにならないように)させてもらってお寺に突入。
しかし拝観には前もって管理している人に連絡しなければならず、それを忘れてなんとお寺に着いてから電話しました(スイマセン)。
すぐにお寺に隣接する民家からおばさんが出てきて、境内の池で鯉に餌をやっていた90歳くらいのオバアサンに「○○さ〜ん!兵庫から拝観に来てはるで〜!」と鍵を渡す。オバアサンは「ようお越しになられましたな」って私に挨拶して、観音の居られる和蔵堂(わくらどう)の鍵をガチャっと開けてくれました。
以前から写真で憧れていた観音さん、もううっとりでした〜。
正面から見ると、お顔の頬の張りが大きく、日本人離れした感じがしますが、横から見させてもらうと表情は一変。鼻筋がすっきりして穏やかな表情、以前から見ていた写真通りのお顔!感動しました。
オバアサンンが語りだす。
「井上靖先生の『星と祭』を知っていますか?」
「ええ、最近読み終えたばかりです」
「その本を書く時に井上先生はここを訪れて、この観音様をご覧になりました、そのとき私がご案内しましたが物静かなお方でしたよ」
「昨日もある仏師の方が来て、『この線が僕には出来ないんだなぁ』って言って帰って行きましたよ」
なんて話をオバアサンと30分ほどしました。

観音様と同じようにあったかいオバアサンにも感動して善隆寺を後にしました。次はいよいよ国宝の渡岸寺の十一面さんです!


チョイ消化不足の渡岸寺

渡岸寺の収蔵庫(観音堂)に早速突入。
入ってみると御住職の法話が始まっていました。私以外に50人ほどの拝観者が既に入っていて、座る場所がなかったのでしばらく立ったまま聞いていました。法話が終わって自由に拝観出来るようになりましたが、観光協会のお姉さんらしき人と御住職の話が聞こえてくる。
「次は80人以上来ます」
「このお堂には入りきらないなぁ〜立ったまま聞いてもらうか」
「もうそこまで来ているそうです」
「すぐに入れてください」
なんて会話が。こっちはさっき来たばかりでゆっくり拝観したいのに…
とりあえず後ろに回って「暴悪大笑面」見るが、お堂の入り口に次の集団が待ち構えているではないか。
次の集団に押し出せれるようにお堂を出ます。私にとって渡岸寺の十一面の「ファーストコンタクト」はあっけなく終了。
超人気なお方だけにある程度仕方ないのですが、それでもチョイ消化不足でありました…


湖北の熱い心に触れた

次に向かったのは湖北町の尾上地区にある「尾上公民館」。
公民館内にある「葛籠尾崎湖底遺跡資料室」を見せてもらうためです。
公民館前に到着して「湖北町教育委員会」に連絡する(いつも到着してからいきなり連絡する私、湖北のみなさんスイマセン)。公民館を管理している人の電話番号を教えてもらってさっそく電話。しかし
「こちらはNTTです。おかけになった電話番号は現在使われていません」
困った私は再度教育委員会に電話して確認してもらいましたが、やはり連絡が取れないとのこと…
「わざわざ来てもらったのにどうもすいません」
仕方がないので、次のお寺に向かおうとすると再び携帯に連絡が。
「もしよかったら、この近くに『小谷城戦国歴史資料館』がありますが見に来てください」私は歴史は好きな方だったので、「分りました」と返事をする。そして場所をナビに登録して向かおうとすると再び連絡が。
「すいません、本日は休館日でした」
ガーン…
「でもせっかく来てもらったので、特別に係の者を向かわせて開けさせます」
その言葉に甘えて、向かった「小谷城戦国歴史資料館」。到着するとすでに来ていた職員が開けてくれて、小谷城に関する展示資料を一つ一つ説明してくれました。
小谷城はこの地を治めていた浅井氏の山城で、織田信長に攻められて落城する悲しい歴史を持つ。
自ら浅井氏の末裔という職員の方が熱く丁寧に説明してくれてうれしかったです(本当は湖底遺物を見たかったが)。
湖北教育委員会で電話で対応してくれた「ヨシダ」さん、資料館の職員さん本当にありがとう。湖北って以前から暗いイメージがあったが、善隆寺のオバアサンを含め温かい人ばかりで、チョット私の中でイメージが変わりました。
資料館で時間がかかって、十一面観音を展示している「己高閣」やほかにも「鶏足寺」あたりに行けなかったけど湖北の熱い心に触れて満足でした。

その後琵琶湖の夕日を見に行く。
西の空が赤くなって、比叡山に日が沈む。

さあ宿に向かいましょう。明日は早朝、夜明け前の奈良を堪能、そして興福寺「阿修羅」と東大寺戒壇院「広目天」との会話を一対一(サシ)で楽しむ予定。早く寝なれば…

若狭の海。車窓からポチリと…
昔から文化や物資の流れの中にあった若狭は、「海のある奈良」とも呼ばれていた。
私の巡礼はこの海を見ることから始まりました。

お寺のパンフレットから。
実物は2.5mの大きさです。深沙さんに逢えなかったのが悔い。

これが「かえりの鐘」。私も撞きましたが、弱かったので「ボヨヨ〜ン」。ブレザーのオジサンに笑われました…

国宝の「三重塔」。
屋根下を支える垂木(たるき)の並びがカッチョよかった!

葛籠尾崎と竹生島の間に落ちる夕日。
この湖底には今でもたくさんの人々が沈んでいるという…

チョット寂れた感じ(失礼)の尾上公民館。昭和の匂いがします。入れなかったのが残念。

善隆寺の和蔵堂。
この中に私の憧れの人が…

私が以前から憧れていた善隆寺の十一面さん。
スッキリしたお顔に憧れます!
(ある本のスキャン)。

収蔵庫。
拝観者が絶えません。これも人気者のために仕方ないです。

「小谷城戦国歴史資料館」。
かつて小谷城があった地に建つ。
丁寧に説明してくれた職員さんに感謝。

夕陽のように熱い心に触れた湖北、また訪れてみたい…

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※ここに掲載する写真は一部パンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                



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