07年10月18日  紀伊

車窓から見た熊野那智の海。
旅の締めくくりもやはり海でした。
海から湖(うみ)、そして海を巡った一人旅の終りです。

観音浄土の入り口「青渡岸寺」。

朝9時過ぎに「青渡岸寺」に到着。
しかし観光バスがすでに数台駐車場に停めてありました。お土産物屋と駐車場を兼ねたお店に車を預けて、参道に向かって歩き出します。
参道に入った瞬間、目の前に立ちはだかる500段以上の石段に一瞬ひるみます。しかしこんなな事で挫けたら観音さまに怒られると思い、意を決して一段一段上がっていきます(しかしお土産物屋さんで杖を借りたらよかった)。参道の終わり近くで、道は二つに分かれ、左は「熊野那智大社」、右は「青渡岸寺」。もちろん右に進みます。
石段を登りきった時に目の前に現れる山門。
中には慶派の仏師、湛慶(たんけい)作と言い伝えられる仁王さんがいます。
リアルな表情に思わず息を飲む。
仁王門をくぐってすぐ目の前に現れる、重文の本堂(如意輪堂)。
神仏習合のお寺だけあって、茅葺きの屋根を見ると寺というより神社っぽいです。屋根のいたるところにこの本堂を再建させた、豊臣秀吉の家紋が飾られている。
さっそく本堂に上がって本尊の「如意輪観音坐像」(お前たち)を見る。首をチョットだけ傾げ、頬杖をついていかに衆生を救おうか思案している表情はスッキリしたお顔とあいまって好感が持てました。
堂内には拝観者がひっきりなしで、次から次へ出入りする。さすがは西国三十三か所の一番札所。
朱印をもたっらオジサンに書いてもらった言葉「普照殿」の意味を聞く。
「普照」とは、普(あまねく)く観音の慈悲を照らすという意味。そのお堂がこの本堂(如意輪堂)ということか。
本堂の横には熊野那智大社の拝殿が並ぶように建つ。まさに神仏習合を目の当たりにする思いです。

次に三重塔に向かいます。
三重塔に向かう途中で、拝観者専用の駐車場があることに気付く。
「ここまで車で登ってくれば楽だったのに」って思ってはいけません、石段を上ってこそ、観音さんのご利益があるのです(って少しは思いましたが)。
三重塔は、戦国時代に兵火に焼かれて昭和47年に再建されたそうで、山の緑に朱色が映えて中々絵になる塔でした。内部はエレベーター付きのコンクリート製で一気に展望階である3階に上がることが出来ました。
三階から那智の滝を見る。風が強くて滝水が流されてまっすぐ落ちない。でもちょっとだけですが虹がかかっていて見応えあり、でした。

その後熊野那智大社をチョットだけ見学して参道、あの石段を下ることにする。
下りきった後にチョットだけ足が震えていることに気付く。普段の運動不足がこんな所で出るとは…。その後車を停めたお土産屋さんの喫茶室で、膝が震えながらアイスコーヒーを飲む。


補堕洛山寺でゾクっとする…

車を南へ10分ほど走らせて「補堕洛山寺」に着く。
以前から特に行きたかったお寺です。
かつてこのお寺には「補堕落渡海」という宗教儀礼がありました。生きたまま「補堕落渡海船」に乗って、那智の浜から観音浄土(補堕落山)に向かうといういわば「生きたままの水葬」。これまでこのお寺から25名の行者が渡海したという。このお寺の裏にひっそりあるという25名の碑も是非見たかった。
現在補堕洛山寺には住職はおらず、青渡岸寺の住職が兼任しているうようで、ひっそりとした佇まい。もちろん拝観者は私一人でした。
「寂しい」とうのが第一印象。本堂脇には復元された「補陀落渡海船」が置かれていました。
中を覗き込むと、とにかく狭い。こんな狭い部屋に閉じ込められて経典を読みながら船出していったと思うと、何か心に押し迫るものを感じる。
本堂に入ると受付のオジサンが寝ていました。私が入ってくると同時に目をさましたようです。平日なので参拝する人もほとんどいないということなんでしょうか。
朱印を貰いながらオジサンに渡海上人の墓(碑)の場所を聞く。
本堂の裏手から登っていくそうで、気をつけなさいとのこと。
早速本堂を出て、裏山に登っていくことにしました。距離的には短いのですが、道が「木の根道」になっていて登りにくい。スニーカーよりトレッキングシューズの方がよかったか。
渡海上人の碑の前に立つ。
碑の文字はほとんど読めなくなっていて、時代の流れを感じられずにはいられません。
周りは木に囲まれている。上を見ると木の緑に覆われている。まるで緑のドームの中にいるかのよう。もしくは納骨堂か…?行者たちは渡海してしまったのでここに骨は存在しないはずですが、確かにここに眠っているかのような気がしました。碑の前に立っていると、地面から何か得体の知れないような「気」が湧き出ているようにも感じられる。その時何故か足が震えていることに気付く。青渡岸寺の参道の石段のせいでそうなっていると思う、いや思いたい、などと考えいるときに背中がゾクっとするのを覚える。こんな気持ちはかつて兵庫県の清水寺の「地蔵堂」で水子供養に信者たちが納めた人形や小さいお地蔵に囲まれた時以来。
「マズイ」と思いながら、両手を合わせて「般若心経」を唱え、逃げるようにこの地を後にしました。
やはりこういう場所には軽い気持ちで来るべきではない、と改めてそう思いました…


胎内仏の千手観音にグッときまくり道成寺。

車は熊野那智から西へ走ります。目指すは和歌山日高郡にある道成寺。
「安珍と清姫」の伝説で有名なお寺で、「道成寺縁起絵巻」と国宝の本尊「千手観音三尊」(南向き観音)が有名ですが、私はもう一つの本尊、北向き観音といわれる千手観音(33年に一度の開帳の秘仏)の胎内から1987年に偶然発見された、重文「千手観音立像」を是非見たいと思っていました。
本堂の解体修理に合わせて、秘仏の「北向き観音」を調べたところ、破損した穴から仏像(千手観音)があることが発見されたそうです。うまく取り出して調べたところ、この千手観音は朽損が激しかったが調査の結果、日本最古と言われる「葛井寺」の千手観音に次ぐ古さの千手観音であるという。現在発見された千手観音は修復されて本堂の本尊として、置かれているという。

重文の仁王門を過ぎると正面には本堂が。
早速入ることにします。
正面には私が会いたかった「千手観音立像」。
朝鮮半島の仏像に通じるようなお顔は、シンプルで優しさに充ち溢れている。ある意味「広隆寺」の弥勒さんに通じるものがあると感じました。脇手の太さは合掌する手と同じ太さで、力強さを感じられます。頭上には十一面はなく、持物は何も持っていませんがそれが逆に「清い」とさえ思えてしまう。見ているうちにどんどん引き込まれていくのを覚えるほど「スゴイお方」。気が付くと20分以上も見つめていたことに気付く。

次に国宝の「千手観音三尊」(南向き観音)を見るために「大宝殿」に入ります。
大宝殿は大きく二つの部屋(大広間と宝仏殿に)分かれており、絨毯敷きの大広間では丁度御住職が「安珍と清姫」の物語を、「道成寺縁起絵巻」の写本を広げて「絵説き説法」でユーモラスに説明していました。

※安珍という熊野参詣の僧に、清姫という娘が一目ぼれをして一夜の契りを願う。安珍は「帰りに必ず」という嘘をついて逃げてしまう。裏切られたことを知った清姫は恐ろしい大蛇に変化して安珍を追いかける。安珍は道成寺に逃げ込んで、鐘の中に隠れてしまう。大蛇となった清姫は炎を吐いて鐘ごと安珍を焼け殺したあと、自ら命を絶つ。その後道成寺の僧の夢の中に二人が蛇になって現れて、「法華経」で供養してくれることを願う。経の功徳で、二人は成仏し、天に昇るという伝説…
この伝説を御住職はジョークを交えて、楽しく絵説きしてくれていました。私は途中から参加して、団体で参拝に来ていたオバアサン達とあぐらをかきながら、一緒に笑って聞いていました。

絵説き説法が終わって隣の宝物殿に移る。
宝仏殿は、まさに「仏像ワールド」。
まず国宝の「千手観音立像」。何故か脇侍に国宝の「日光・月光菩薩立像」。三人とも横長のお顔でチョットユーモラスですが、口元がキリット引き締まっているところに威厳さを感じられます。
その他にも巨大な薬師如来像や引き締まったお顔の大日如来、なんと兜跋毘沙門天、そして文殊菩薩や普賢菩薩までいる。そしてなぜかガンダーラの石仏まで…総勢21体の仏像たちが、宝仏殿の中を取り囲んでいる。参拝者の人たちが一通りいなくなった後、私一人で部屋の中心に立って周りを見渡す。私一人に仏像21体。つまり私一人が周りの仏像たちに囲まれている状態。周りの仏像たちから発せられる「気」に恐れをなして早々に立ち去ることにしました。

道成寺を出る前にもう一度本堂であの千手さんに逢いに行く。
うっとりしていると、近所に住んでいると思われる、上下黒ジャージの厳つい顔のオジサンがやってきて、「この観音さんはエエなぁ〜」と呟く。私もその言葉にすぐ反応。「良いでしょう〜私も好きなりましたよ〜」って心の中で呟いて本堂を後にしました。
最後に山門を出た時に、もう一度本堂に振り返って思わず合掌してしまった。
自分でも何故か判らない。これは多分本堂の千手さんがそうさせたのでは…?
そう思っておきましょう…
夕日に照らされる道成寺を後にすることにしました。



今回の一人旅ではたくさんの素敵な出会いがありました。恐い思いもしました。でもトータルで考えると、本当に実りのあった巡礼ツアーだったと思います。

海から湖(うみ)、そして海へと巡礼した一人旅。
まさに満腹状態で帰路に就く私…

帰りに見た紀伊半島の海は観音さまのような穏やかさでした。

青渡岸寺の山門。
ようやく長い石段も終わり。

本殿(如意輪堂)。

朱印と貰った「散華」。
散華には観音経の最初の文字「観」。

三重塔から那智の滝を見る。
風で流されていますが、小さな虹が出て、イイ感じです。

復元された「渡海船」。
思った以上に小さいことに驚く。

ひっそりと建つ本堂。

渡海上人の碑。
軽い気持ちで行ってはいけません。「気」に充ち溢れた恐ろしい場所でした。

重文の道成寺山門。
最近塗り直された朱色が鮮やか。

これも重文の本堂。
この中にあの方が…

これが私をグッとさせたお方。
重文の「千手観音」(胎内仏)。
古様ですがそれがかえって「清い」。
(ある本からのスキャン)

三重塔。
手前の大きな木が「安珍塚」。
この場所で安珍が鐘ごと焼き殺されたという。

■ 戻る
※ここに掲載する写真は一部パンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                



■ HOME