07年10月17日  奈良

奈良夜明け前

「夜明け前の奈良公園はええでぇ〜空気が澄んで」
って言葉を誰かから聞いた覚えがあります。普段は観光客が沢山いて「人疲れ」さえしてしまう奈良公園。夜明け前にはどんな顔を見せるのかとても興味があって、「これは行かねば」と以前から思っていました。

昨晩は湖北からの途中で、名神高速の多賀SA内にあるホテルに宿泊。
朝4:00に起きて出発。日の出が6時前だったので車を飛ばして奈良公園に到着。車を参道の入り口に停めさせてもらって(スイマセン)、東大寺や奈良公園をぶらぶら歩く。空気が澄んで気持ちいい。でもこんな時間でもジョギングやウォーキングの人が多いことに驚く。
東大寺南大門。うす暗い中で見る金剛力士たちは大変不気味で、普段より更に大きく、そして恐ろしささえ感じました。そして日中以上に重い「気」を発して、見る者を圧倒しているように見えます。空気は澄んでいるのですが、逆にそれが張りつめた緊張感を生んでいるようにも思えるこの空間。
この雰囲気をカメラに残そうと、デジカメでバシバシ撮っていると、大仏殿の方から夜回りに来ていると思うお坊さんが、懐中電灯を照らしながこっちに歩いてくる。「だめだよ〜こんな所に車を停めちゃ」って怒られそうだったので、慌てて退散。車を「奈良奥山ドライブウェイ」に向けて走らせる。
そのころにはもう太陽も昇り始めて、だんだん周りが明るくなってきました。ドライブウェイの展望台から、歩いて若草山の頂上に裏から登ることが出来るので、そこから東大寺や奈良の街を見渡そうという魂胆です。
山頂に立つとさすがに寒い。でも見渡した風景は「これぞ絶景」。遠くに生駒の山々、そして平城京跡。手前の木々が邪魔して大仏殿や興福寺五重の塔は見えませんが、それを差し引いても「おつり」がくる位、素晴らしい眺めです。
しばらく眺めているとちょっと眠気が襲って来ました。ドライブウェイを下りることにことにしました。奈良県庁前の駐車場に車を停めて、車内で仮眠することにします。セカンドシートとサードシートをフラットにして足を延ばして横になるとすぐに眠ってしまった…
気が付くともう8:30。すぐ車から飛び出して出発します、今日の目的は、東大寺戒壇院に居られる「広目天」と興福寺の「阿修羅」を心ゆくまで鑑賞するということです。

再び東大寺に入ります。わずか2、3時間の間にすっかり風景は変わっていました。参道には修学旅行生・鹿・そして鹿のフンで溢れかえっていました。もちろん大仏殿はパス、今回は三月堂もパス。実はこの地には4日前に訪れたばかりで、今回目指すは戒壇院のみです。
しかし途中で大仏殿の中門に居られる「兜跋毘沙門天」を見る。
東寺のオリジナルのお方に通じるアニメチックなお顔と、彼を支える天女のクールなお顔の対照的なところが面白い。


こころゆくまで広目天…

大仏殿周りの喧騒はどこへやら。やはり戒壇院は静まりかえっていました。
戒壇院は私と係のオジサンと拝観に来ていた中年女性の3人だけ。
今回は四天王たちを正面から見るだけでなく、後ろからじっと見るようにしました。その方が彼らの「腰のひねり」が強調されて面白いと思ったわけです。
今まで気がつかなかったこととして、腰のひねる方向が西側前後のお二人(増長・広目)と東側前後のお二人(持国・多聞)がセットで、中央に向かって捻っていることに気付く。それをオジサンに言うと「よく気がついたですね〜」ってそこから話が始まって、色々教えてくれました。
四天王の四人のうち、「広目天」だけが獅噛(しがみ:肩口の獅子の装飾)に歯がないことや、結構ホコリが積もっているが、掃除する時に集められたホコリは国宝だけに捨てる事が出来ない事など、私がこれまで気づいていなかった事や知らなかった事を丁寧に教えてくれました。さすが数年間この戒壇院で四天王の「世話」を続けてきたお方。
現在は四人とも前に向いていますが、以前(戦後くらいまで)は多宝塔、つまり壇上の中心を向いていたそうな。現在は前に向いているということは、広目天と多聞天の睨む先は…増長天や持国天になるので、「内輪モメや喧嘩にならないか心配ですね〜」って言うとオジサンはニコッと笑っていました。
オジサンに色々教えて頂いて勉強になりました。厚くお礼を言って戒壇院を出ることに。
そいう言えば心ゆくまで広目天を見る事は出来なかったけど、色々勉強させてもらって良かった。
時間も迫ってきたのでそろそろ次の目的地、興福寺に向かうことにします。


こころゆくまで阿修羅…

興福寺の「国宝館」に一気に突入。めざすは「阿修羅」のみ。この国宝館も4日前に訪れたばかり。その時は仏像初心者たちとのツアーで、阿修羅は軽く流しただけ。今回は私一人で心ゆくまで鑑賞するつもりです。
「仏頭」「板彫り十二神将」「金剛力士」など、凄まじいお方たちを流すように通り過ぎて一気に「阿修羅」の前に立つ。
最初に感じたのは「なんか悲しそう」。
正面から見ると、中央の合掌した手の位置が中心より向かって大きく右にズレていることに気付く。脱乾漆像だけに歪みやヒビが入って千年の間にズレてきたのか?それとも釈迦に対する忠誠心がゆらいでいるためにわざと彼がズラしたのか?いずれにせよその中央の合掌した手が何かぎこちなく感じられる。
眉間にしわを寄せた表情は、いつものように「怒り」を感じることができず、「悲しみに暮れている」為に、険しくなっているように思われました。
彼の左隣には同じ八部衆の「迦楼羅(かるら)」。右を向いているのでよく見ると、「おい、大丈夫か?」と気にかけているようにも思える。
指先の破損も前回に逢った時よりもひどくなっているように思えてしまう。
今回阿修羅とは30分以上も対面の時間を持ちましたが、私からの投げかけに彼からの返事はなかった。いつもなら「これ以上近づくな」などと威嚇の気が発せられる(ように思う)のですが、今回はそれが無い。
今度逢いに来るときは彼はどんな表情を見せてくれるだろうか?元気を取り戻して、以前のように恐い顔を見せてくれるだろうか?などと期待しながらチョット寂しい気持ちで国宝館を出る。

外は夏か?と思うくらい厳しい日差しが私を待ち構えていた…


東金堂にて…

国宝館を出て、久々に東金堂に向かいます。
相変わらず、本尊の「薬師如来像」が「どうだ」って迫力で迫ってきます。
でも私はやはり本尊は、現在国宝館に居られる「仏頭」がしっくりくると思います。室町時代に火災で焼けるまでは、この「仏頭」が本尊でした。わたしはこの東金堂に来るたびに、脇侍の日光・月光のあいだに鎮座する「仏頭」を思い描いてしまう。同じ山田寺からやってきた(というか強奪されてきた)、日光・月光菩薩もそう思っているはず。
そして「十二神将」たち。壇上が狭いためか、配置されている仏像たちの隙間に置かれているので大変見にくい。「維摩居士(ゆいまこじ)像」の後ろに配置されたりしているところをみると、彼らは仏像たちの背後に隠れて、攻めてくる仏敵に「奇襲攻撃」をかけるためにそうしているのか?とさえ思えてしまいます。彼らの表情をみると悪や仏敵に対する怒りがリアルで、そんな恐ろしい表情をしているのなら、「隠れていないで堂々と正面で守らんかい!」って心の中(声を出すと彼らに襲われそう)で叫んでしまいた。
しかし東金堂の仏像たちは、十二神将や四天王、文殊菩薩まで「どうだ!」って迫ってくる、鋭気にあふれた仏像ばかりて、来るたびに身が引き締まります。
興福寺はかつて大規模な東大寺をしのぐ伽藍を誇り、春日大社の実権も握り、僧兵数千人を擁し、周辺寺院との諍いが絶えなかったことから、私には「武闘派寺院」の印象がありますので、余計に仏像たちにそういうイメージが心の中でオーバーラップしてしまったのか…。


時計を見るともうお昼を過ぎていました。
そろそろ次の目的地に向かうことにします。

車を南に走らせ、吉野を越え、熊野古道をかすめて太平洋に出て一泊しました。

明日は紀伊の観音浄土、「青渡岸寺」「補堕洛山寺」「道成寺」を巡ります。

早朝、日が昇りだした頃「奈良奥山ドライブウェー」の展望台から若草山の山頂に登る。
奈良の市街地が見渡せて遥か向こうには生駒の山々が。時より鹿が前を横切ります。
早朝の奈良、来て良かった…

南大門の夜明け前。
薄暗い中で見る仁王さんたちは本当に恐かった…

展望台に車を置いて、若草山山頂に向かう途中に見つけた風景。
佇む鹿に朝日が差し込んで幻想的な雰囲気です。

大仏殿の中門の「兜跋毘沙門天」。
やはりイイですなぁ〜なんでこんな素晴らしいお方を皆見過ごすのだろう…?

下で支える「天女」さん。
クールですねぇ…

人影もなく、ひっそりとした「戒壇院山門」。

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国宝「東金堂」。
建物自体も国宝だということは今回まで知らなかった(お恥ずかしい)。

しかし暑かった。




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