良弁を連れてきた金色(こんじき)の鷲だったのか?
    不空羂索観音
(奈良 東大寺).

この羂索で獲物を一網打尽にする…
まさに取りこぼすことがない狩猟用の索(なわ)のこと。
この観音様は狩猟の神でもあるのです…
鷲のように良弁を捕らえてこの地に連れてきたのか…?

もう何度逢いに行ったことだろうか…?
そして何度この観音さまと見つめあうと、動けなくなったことだろうか…?

逢う度に、威厳に満ちた三目の眼差しで私を見つめ続けるこの観音さま。

作られた当時はみずみずしく、人々を魅了してきたと思われます。しかし歳月によってお顔の金箔が剥落したたためか、表情は幾分厳しくなっています。
しかしその「厳しさ」が現代の人々を魅了している。作られた当時と比較して平和になった現代。しかしこの時代でも、この観音さまが今だ人々を魅了し続けるのは、人々がどこかで「厳しさ」を求めてるのからなのでしょうか…?

東大寺法華堂。
この不空羂索観音を囲む仏像たち…
左右を梵天・帝釈天、四方を四天王、前を金剛力士に守らせ、他に日光・月光菩薩、吉祥天、弁財天、不動明王、地蔵菩薩。背後にはあの「執金剛神」が…
凄まじいばかりの仏像に囲まれながらも、一番の存在感。
作られた当時の輝きは、歳月の流れによって幾分薄らいでいますが、それでもいまだに周りの仏像を圧倒する輝きを見せています。

この不空羂索観音を語る上で忘れてはいけない人物が、良弁(ろうべん)上人なのです。
良弁…
伝説では二歳になる良弁は金色の鷲にさらわれて、春日社の前の杉に置かれて、法相宗の義淵(ぎえん)に救われて養育されたたそうです。
東大寺の前身である「金鐘寺」で華厳教学を研究し、後に東大寺の初代別当になる。
そしてこの地に法華堂を建てた良弁は、本尊の不空羂索観音の造立に並々ならぬ執念を燃やしたと聞く。
良弁はこの不空羂索観音を法華堂に本尊として置いて、なにを表現したかったのであろうか?

放射状に広がる、この時代にあまり例のない光背。それに注目して、この法華堂で唯一、黄金に輝くこの観音さまの全体をぼんやり見ていると、何か大きな鳥が翼を広げているように見えてくるのです…
良弁の伝説が真実であれば、良弁は自分をこの地に連れてきた金色の大鷲を重ね合わせてこの不空羂索観音を発願したのか…そう思えてくるのでした。

不空羂索観音…
あらゆるものを全て取りこぼさないように、左手に持つ狩猟用の索(なわ)で一まとめにして救うという、最高の法力を持つ観音です。
だから獲物を絶対に取りこぼさないように、厳しい眼差しで我々を見つめているのか?
見つめられた私も、この観音さまと目が合うと動けなくなるのもそのためなのか…

この観音さまは、この先いつの時代でも鷲の如く厳しい眼差しで、私たちを捕らえて魅了し続ることでしょう…


まさに金色(こんじき)の大鷲…

大きな鳥が翼を広げているように見えるのは私だけなのだろうか…?

威厳に満ちた眼差しで、私たちをいつもでも虜にしてください…まさに狩猟の神。

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