お休みなさい鑑真さん  鑑真和上坐像(奈良 唐招提寺).

御影堂参拝記念に唐招提寺から貰った絵葉書。
御影堂内は、東山魁夷画伯によって描かれた、鑑真の故郷である楊州の原風景が襖絵として奉納されています。
故郷の風景に囲まれて、鑑真さんは御影堂内に佇まれています。

日本最古、そして肖像彫刻の最高傑作として名高い、鑑真和上坐像。
安らぎの地である唐招提寺にて、死の直前の姿を描いたものと言われています

私の持っている書物にこんなことが書いてあります。

〜森本長老は申される。「剃髪の頭に毛があります。耳からも毛がのぞいています。その耳は左右の大きさがちがいます」。〜
( 「国宝への旅」(NHK出版)第5巻 〜唐招提寺〜 より )

彫刻に毛が生えている?そんなことって…確かめなくては…
と、罰当たりかも知れませんが興味本位で唐招提寺の御影堂でこの「鑑真和上坐像」に会いに行ったのですが、この像を目の前にした瞬間、そんなことはとうに忘れてしまって、この像からにじみ出てくる「何か」の中に包まれて、ただジッと見つめることしか出来ませんでした…。
何故か解らないのですが、しばらくして何故か目頭が熱くなるのを覚えました。

芭蕉が詠んだ句……

     御目の雫(しずく)
          ぬぐはばや

のように数多くの人々がこの像を前にして涙を流したと言う。

鑑真。
視力を失いながらもようやく日本にやってきて、目にしたのは、随落しかけた奈良仏教界、政争。高僧たちは宮中に入って后や女帝を左右する。
あの困難を極めた渡航は何だったのか?…
悲しかったでしょう…

私寺にこそ自由が。そう願って新田部親王の旧邸宅を与えられた和上は、そこに私寺として唐招提寺を創建する。和上はここに安息の地をみつけて、ようやくホットされたに違いありません。

この像をみていると、鑑真和上の何事にも耐えてきた「意思」の強さと、それ以上に「安堵感」が感じられるのです。
戒律を学びたいものが、四方から集まってここに住み、戒律を学ぶ「戒院」の建立。
腐敗しかけた平城京から少し離れたこの地で、ようやく彼の思い描いた境地が開いたと言えるでしょう。

この像は、鑑真の弟子の一人が、77歳で亡くなる瞬間の姿をとらえて創ったと伝えられています。
ですから彼の理想郷でもある唐招提寺が出来て、ようやく安心して死を迎えられるといった気持ちがこの像からにじみ出ていると思わずにはいられません。

私の目頭を熱くさせた「何か」は、この鑑真さんの思いだったのか…?

故東山魁夷画伯が描いた襖絵。
丁度、鑑真さんが居られる厨子の前には東シナ海の打ち寄せる波が描かれています。まさに鑑真さんが「視力を失う寸前」に見ていた風景。
鑑真さんをよく見ると、左右の大きさの違う耳でこの波音を、聞き耳立てて聞いているようです。
そして視力を失った瞼の奥には、この襖絵のような、故郷の楊州の風景がしっかり焼き付いているはず。

そう考えると、この御影堂は襖絵を含めて、鑑真さんの「心の中」そのものではないのか?
御影堂に入って鑑真さんの前で向かい合い、鑑真さんの安らぐ風景(襖絵)の中で身を委ねる…つまり鑑真さんの心の中に入っていくことになるのでは?と思うようになってきたのです(う〜ん、うまく言葉では言い表せない)…


故郷の風景に囲まれて、いつまでゆっくりお休みなさい…
不謹慎かも知れませんが、今鑑真さんに声をかけるとすれば、そういった言葉が浮かんできます。

鑑真さんの心の中を覗きたくなったら、そして安らいだ気持ちになりたくなったら、また逢いに行きます…

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東シナ海のさざ波をひっそりと聞き耳を立てている、そして硬く閉じた瞼には、故郷の楊州の原風景が焼き付いているのでしょうか?鑑真さん…




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