本物の美、ニッポンの美意識の象徴 弥勒菩薩(京都広隆寺).

日本人はシンプルさや繊細さの中に秘められたダイナミズムや美しさを大切にしてきた。その代表がこの「弥勒」さんだと思う‥

本物の「美」とは何か?
「美しい」という言葉ほど、魅力的でしかし基準のはっきりしないものはないと思います。人それぞれ、美に対する価値観も違うし、千差万別。しかし誰もがこの弥勒さんを見て「美しい」と思うはず。

広隆寺の「弥勒菩薩」。
悟りを開こうと悩む若き釈迦の姿とも、釈迦の入滅後56億7千万年後の地上に現れて、いかに衆生を救おうかと思い悩む弥勒の姿とも言われております。
また近年の研究で、朝鮮半島で6世紀から1世紀半に渡って独自の弥勒半跏思惟像信仰が発展。その中心を担うのが新羅の「花郎」と呼ばれる貴族集団であったと言われています。「花郎」とは、「美しい青年」を意味し、現世に悩む若者の姿と重ねられて弥勒信仰が発展、飛鳥時代のわが国に伝えられてきたと言う説もあります。

像高わずか70cmに満たない小ささで、繊細で、シンプルで、華奢で、光背や装飾品を持たない仏像。
しかしなぜかそこには「弱さ」は一切感じられない。
見れば見るほどこの像の全身から湧き出るような「美しさ」に満たされていく、そう感じずに入られません。
今にも折れそうな指や手の表現、ちょっと微笑んだ口元、首の傾げ方や角度、シンプルでゆるやかな背中など、どれをとっても美しい。
「人間が表すことの出来る一番美しいポーズはこうです」とこの弥勒さんは我々に教えてくれているのでは?とさえ感じてしまいます。
専門家の間ではこの弥勒菩薩が「仏像鑑賞第一課」といわれているほど、多くの人がこの仏像をきっかけで仏像の魅力にとりつかれ、多くの仏像を鑑賞しては、またこの仏像にまいもどってくるそうです。

なんでこんなに美しいのだろうか?
なんでこれほどまでに魅力的なのだろうか?
思わず自問自答してしまいそう‥
もし許されるのなら、この仏像を持ってかえって何時までも眺めていたい(許される訳無い)‥

日本の古美術(特に仏像)って確かに「精神性」があると思います。
古美術評論家の赤瀬川原平氏がある本に書いていましたが‥
〜日本の古美術には「精神性」が確かにあって、しかしそれ自体は弱いものであり、西洋美術の「絶対性」の強さのように外に向かってビンビンに発していない。見る側、つまりこちらから近寄ってこそ輝き出すもの〜
たしかにそうだと思います。
何の変哲のない木造の仏像であっても、こちらから投げかけてやるとちゃんと何か返ってくる。近寄れば近寄るほど、見れば見るほど、覗けば覗くほどその仏像の精神性、美しさが見えてくる。

この弥勒さんには特にそれが強く感じられる気がします。

日本の美術は、古代からシンプルさや繊細さの中から滲み出るような美しさを大切にしてきた風土の中から生まれてきたと思います。だからこの弥勒さんが昔からみんなに愛されてきた。国宝第一号に認定された理由もそこにあると思います。

朝鮮半島から伝わってきた「弥勒信仰」を日本の風土で昇華して作られた仏像。
シンプルの中から美しさを求めた日本風土。その風土から生まれ育まれてきた精神性。
まさにニッポンの美意識の象徴ですね。


この弥勒さんの魅力の秘密はそこにあったのかもしれません。


「そうでしょう?弥勒さん」って弥勒さんに言ったら、
ニッコリ笑ってくれました(笑ってくれたように感じました)‥

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※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                

「若き悩む青年」をイメージしたのか?

ゆるやかな背中。正直そそられます‥

今にも折れそうな(実際には昭和35年に折られた事件がありましたが)指。
作られて千数百年経っても残っているのは奇跡的です。




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