ちょっと触っただけで、折れそうな細い腕。
重心が高く、バランスも悪くてすぐ倒れそうな身体。
「阿修羅」という名前からは想像できない位、華奢な身体。
近づいてぶん殴れば、すぐ粉々に砕け散ってしまうような、もろい印象。
でも何故か近づけない。
「阿修羅ってこんなものなのか?」と、邪険な気持ちで近寄ろうとすると、足がピタッと地面に吸い付き、金縛りにあったような感じがして、何故か近寄れない‥
なんだこの仏像は?「天部八部衆」なんて名乗っているけれど、他のメンバーの七人と全く別物。「妖気」さえ感じられる。
コイツは何者?
近寄るものを遠ざける何者かが潜んでいるのか?
これが初めて阿修羅に出会った時の第一印象でした。
阿修羅の起源を色々調べてみると‥
彼の故郷はメソポタミア地域(今のイラク)。紀元前に住んでいたアッシリアの人々が信仰していた拝火教(ゾロアスター)の太陽神、それが阿修羅のオリジン。
異民族に侵略されて、インド西部に逃れてきた太陽神は、異教の神として迫害を受けて悪神にされてしまう(佐藤任著「悲しき阿修羅」より)。
インドでは、日照りや洪水などが起きると、阿修羅が海の中で暴れていると古くから言い伝えられているそうです。そして戦闘を好む悪神の代表として、アスラ(阿修羅)とインドラ(帝釈天)とのバトルはあまりにも有名。
いきなり悪神にされて、悲しかっただろう、辛かっただろう‥
最後は帝釈天に破れて、いつの間にか仏法を守る守護神として「仕立て」られてしまった‥
今阿修羅は何を考えているのだろうか‥?
自分の思いを叫びたい、怒りを表したい、そう思っているのではないのか?
京都の三十三間堂にいる阿修羅は、堂々とした体躯で雄叫びを上げていて、「俺に比べたらまだマシだよ‥」こっちの阿修羅はそう思っているのかも‥
インドでは迫害され、悪神にされて最後はお釈迦さんのボディーガードをさせられている‥オレず〜っとこのままなのか?これでいいのか?
本来、この像は太陽と月、弓と矢を持っていて、「四六時中お釈迦様を守っています」というメッセージを送っている。
この像を発願した藤原氏も、「どんな悪人も(阿修羅さえも)仏の世界ではガードマンに出来る、仏の道にすがれば優しくなれて救われる」という思いでこの阿修羅を優しい像に仕立てたのでしょう。
しかし実はまだ彼の中では「魔性」が残っていて、暴れたくて暴れたくて仕方がないのでは‥
あまり知られていないのですが、彼の腕に打ち込まれている無数の針には「阿修羅の本性が出て、暴れ出さないように」との思いが仏師にあったのでは。
だから彼に打ち込まれている針を抜いてあげて、六本の刀を持たせたら、すぐに国宝館のガラスケースから飛び出して暴れ出すのではないでしょうか‥
その後何度か阿修羅に逢いに行ったのですが、私は彼と距離を置いて、離れて見るようにしています。何故か彼を見ていると近づいて行って、「ぶん殴ってやりたい」と思ってしまう。自分でも何故か分からない。自分の中の「魔性」を呼び起こしてしまうのか‥でも近づいて行こうとすると、何故か今にも暴れ出しそうに思えて恐い。
「近寄ろうとしても近づけない」阿修羅の謎がほんの少しだけ解けたような気がしました。
やはり魔性が宿っている。
ヤツは魔物だ‥
でも何度も逢いに行きたい‥
私にとっては「麻薬」のような存在、それが阿修羅。
どこがやさしい顔なのか?見る角度によっては「ドキッ」とするくらい、恐ろしい表情に変わります。作られた当時は、身体は真っ赤で口ひげも蓄えておりました。魔性を秘めた恐ろしい相手‥これが阿修羅の正体なのか‥
唇をグッと噛んで何かに耐えているような表情
三つの顔を持つ異様な阿修羅。一度見ると絶対忘れられません。
チョットと触れただけで壊れそうな身体。