飛鳥人が見た初めての仏像  釈迦三尊像 (奈良 法隆寺) .

世界最古の木造建築物である法隆寺金堂、その金堂の須弥檀の中央に居られる釈迦三尊像です。
中央の「釈迦如来」の両脇を右に「薬上(やくじょう)菩薩」、左を「薬王(やくおう)菩薩」が固めております。
この釈迦三尊は、安居院(あんごいん)の「飛鳥大仏」とともに、仏教が日本に伝来して初めて作られた仏像の一つであります。そして渡来系の仏師である、「鞍作止利(くらつくりのとり)」の手で完成した、飛鳥時代の金銅仏の代表でもあります。

光背の銘文を見ると、聖徳太子の母である「鬼前太后(かなさきのおおきさき)」が崩じて、翌年には聖徳太子自信も病に倒れたため、后と王子、諸臣が発願して等身大の仏像を、止利仏師に作らせたとあります。
面長の顔、分厚い表現の衣、そして衣文の流れが台座につながっている。それらの特徴が中国・北魏などの仏像に源流が求められています。

仏教が日本に伝来して、初めて見る「仏像」に当時の飛鳥人たちがどう思ったのかとても興味があります。それまでは目には見えない「神々」を信仰してきた飛鳥人に、「これが仏教を開いたお釈迦さまだ。祈りをすれば救われるであろう」と仏師やこの仏像を発願した人々は説いたのでしょうか‥

法隆寺に行かれたことのある人ならわかると思いますが、金堂内では釈迦三尊像の細部はよく見えません。薄暗い堂内、拝観する位置から須弥檀までの距離もあるため、細かく見ようとすると、「見仏スコープ」や写真に頼るしかありません。私はこれまで2回ほど法隆寺に行きましたが、じっと見ていても後から拝観者が、雪崩れの様にやって来るので、どうしてもじっくり見ることが出来ません。肉眼で見ても飛鳥仏の特徴である「アルカイックスマイル」と、両脇侍の右手に持つ「宝珠」がかすかにわかる程度。

私が思うには、一言で言うと「素朴」。
無駄を一切省いた線と面で構成されている表情。光背や天蓋など、拝観する距離からは細かく見ることが出来ない部分に、凄く緻密な造詣があるのに、中心に居られる釈迦如来は本当に素朴な創り。実はここに、止利仏師の「ネライ」があったのかなと素人ながら勝手に思うようになりました。

始めて仏像をみる人々に素朴で親しみやすい(簡単に言うと単純明快)、されど細かい部分や、目に見えにくい部分には手を抜かない‥

作家の故井上靖氏が私の持つ本に、この釈迦三尊についてただ一言、「日本の文化の原点です」。その仏像が好きだとも、どの部分がいいのかとも言わず、ただ「原点です」と。その意味が少しだけ分かってきました‥

本当に素朴な仏像なのですが、細かい部分を写真で見ていくと段々引き込まれていく‥そんな仏像だと思うようになってきました。

誰もが教科書で見たことがある「釈迦三尊像」。でもやはりもっと近くで見てみたい。

面長で杏のような形の目、正面性を重視したのが飛鳥仏の特徴。
そのためか前半身のみの彫刻で、頭の螺髪(らほつ)も後頭部はありません。

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※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                

火焔紋(かえんもん)の流れが美しい光背。
七体の化仏が配置されています。緻密な造詣です。

天蓋には飛天が。
童子ような顔で色々な楽器を手にしています。
通常は見えない部分にも力を入れています。
さすがは止利仏師。




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