国東の浄土  阿弥陀如来坐像 (大分 富貴寺) .
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※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                

本当に素朴な如来様です。
九州は大分県。瀬戸内海に向かって突き出た、国東(くにさき)半島のほぼ中央にある富貴(ふき)寺。

国東は昔、「六郷満山(ろくごうまんざん)」と言って、海に囲まれた半島ながら、海べりにでも出なければ海が見えない山国の盆地のような囲まれた地形に六つの郷が集まって独自の文化が形成されていったのでした。
そして京都や奈良からの文化、九州ならではの大陸文化(特に朝鮮半島、北魏)の影響がミックスされて独自の仏教文化が平安末期から鎌倉時代にかけて、花開いたのでした。

そんな国東の富貴寺の大堂に居られる阿弥陀如来坐像です。
大堂内に描かれた「浄土曼荼羅」を背にポツンと一人鎮座しています。
よく見ると、京都や奈良の文化よりも、朝鮮半島の影響を受けたような表情。
カヤの木の寄せ木つくりで漆箔または彩色像でありましたが、今ではほとんど剥落しており、素地があらわになり、木目もくっきり見えます。
創られた当時の姿はうかがい知れませんが、素地をあらわにした今の姿はかえって素朴で何も味付けのない「優美・繊細」さがにじみ出ている感じです。
明王系や守護系、癒し系の仏像とはまた違った、「素朴系」、と言ったら言いのでしょうか?傍にいてても癒されはしないが、緊張もしない。空気のような仏像(チョット変な例えか?)‥
そんな仏像だと思います。

戦国時代はキリスト教に帰依した大友宗麟から焼き討ちを受けたり、戦時中にアメリカのB29から落とされた爆弾で大堂の屋根が吹っ飛ばされ、阿弥陀様と曼荼羅壁画がしばらく雨ざらしになったりとまさに「異教徒からの迫害」を受けながらも国東の人々から守られた。
そう思うとまさにこの大堂、浄土曼荼羅壁画、そしてこの阿弥陀如来坐像は国東の人々の願いを受け止めてきた「浄土」なのだと思います。


遠いけど、いつか会いに行きたい、そう思う仏像がまた一つ増えました。

表面の彩色や漆箔が剥がれ、木目、素地があらわに。

重文の阿弥陀如来坐像、浄土曼荼羅を背に鎮座しています。本当に素朴なお顔をしています。

富貴寺の大堂(国宝)。
九州最古の和洋建築物で、周りの風景とマッチして美しい。
内部は阿弥陀信仰の元、浄土曼荼羅(壁画)が描かれています。
この中で阿弥陀如来は何百年もの間、国東の人々の願いを受け止めてきた。

夕暮れに大堂内部をライトアップすると阿弥陀様がポツンと浮かび上がってとても素朴で美しい。まさに「浄土」。
今まで何人の国東の人たちの願いを受け止めてきたのだろうか‥




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