2005年07月16日 一人見仏  思い出の地へ再び (姫路市 書写山 円教寺)

3連休が始まり、ソフトボールの試合中に転倒して痛めていた足も全快したということで行くことに決めました一人見仏。
前回の「子連れ見仏」では仏像を見ることが出来ずにフラストレーションが募るばかりでしたが、今回は一人でゆっくり仏像鑑賞が出来ると言うことでウキウキで車を書写山ふもとのロープウェー駅まで走らせる私でした。
ロープウェイを降り、参道を歩きます。参道と言っても、勾配のある山道で、入り口の受け付けである「志納所」から600m先の本殿である摩尼殿まで1キロ以上の道のりに感じられます。
丁度ロープウェーで一緒だった「ジイサンバアサン軍団」たちは志納所から全員バスに乗り、私を追い越して一気に摩尼殿まで行っちゃいました(元気だったら歩かんかい!)。
志納所で拝観料200円を払い、参道に入ります。

リベンジ、再び書写山 円教(えんぎょう)寺へ

参道は「西国三十三箇所」めぐり?

参道にはたくさんの仏像が配置されています。円教寺は「西国三十三箇所」の27番目の霊場で「西の比叡」と言われるほどの鎮護国家の道場でありました。
その三十三箇所のお寺の本尊(もちろんレプリカの銅像)を配置しているわけであります。
まず一番最初に配置しているのはもちろん円教寺の本尊「六臂如意輪観音」であります。
本物は秘仏で1月18日の「鬼追い会式」のときのみの御開扉であるため、普段は見ることが出来ないため食い入るように見ましたが、やっぱり本物が見たい。
でも一度に三十三箇所のご本尊が拝めるわけで、これで三十三箇所を巡らなくても十分に三十三箇所分の御利益があるわけです(そんなわけない)。
でも見ているだけでも充分楽しめるのでキツイ山道でも楽しみながら歩いていけました。
しばらくして仁王門に到着。漫画チックなお顔の金剛力士を通り過ぎてしばらく行くと本殿である「摩尼殿」にようやく到着。とにかく暑い。摩尼殿下のベンチでアミノサプリを飲みながら休んでいると、さきほどバスで私を追い越した「ジイサンバアサン軍団」がやってきて、その中でリーダー格と思われる派手な色のワンピースを着たバアサンが「写真撮ってちょうだい、オニイチャン」とカメラを差し出して言う。
「オニイチャン」と呼ばれた「オジサン」(私ですが)はいい気になって「いいですよ、そこに並んで並んで」と言うと、バアサンたちは「タナカさん、早く入って」「あんたもはよ、入って入って」「チョッと待って、汗で化粧がボロボロ‥」などと騒がしく言い出し、静かな伽藍内にバアサンたちの声が響き渡りました。
周りの人がみんな振り向いて恥ずかしい。でも40歳過ぎても「オニイチャン」と呼ばれるとは。関西のオバアサンたちにとって、年下の人はみんな「オニイチャン」なんだなとつくづく感じました。

ご本尊のレプリカ。やっぱ本物が見たい。

こんな感じでレプリカが配置されています。

ロープウェーの上の駅からの眺め。

バアサンたちに撮って貰ったタオルを首に巻いている私。とにかく暑い。

30年ぶり、久々に仏像に対面。グッとくる大日如来

摩尼殿下でしばらく休んでからさらに進んで今回の目的地である「食堂」(じきどう)に到着。
食堂は「常行堂」「講堂」とともにコの字型に並んでおり、3つの建物ともスケールのでかい堂々とした造りをしています。
食堂は寺院では珍しく2階建ての建物で、その2階が仏像や絵画などを展示している宝物館となっているわけです。
30年ほど前、小学校4年生の時林間学校でこの書写山に来たときに、ここに来て仏像を見たのですが、はるか昔のことなのでどんな仏像あったのかよく覚えておらず、それよりも食堂の軒下にたくさんあったアリ地獄の巣が気になって、アリ地獄を捕まえようと枝などを穴の中に入れて遊んでいたことを覚えています。
時折「パチン」「パチン」と何かを叩く音が聞こえてきましたが常行堂の入り口に「座禅中、静かに」という注意書きがしてあって「なるほど」と頷きながら食堂に入っていきました。
食堂の1階で拝観料200円と朱印代300円を払い、2階に上がります。いよいよ30年ぶりに仏像たちとの再会です。
まずビックリしたのが「弥勒菩薩」、まるで七福神の布袋さんじゃないか!お腹の出たおじさんが座っていいるような石仏で、どこが弥勒なのか、まさか表示が間違っているのではなかろうかと思うくらい私の概念をひっくり返すような仏像です。
それにめげずに次。その横には定朝作の「大日如来坐像」。これにはグッときました。
切れ目の端正なお顔でしかも何か固い決意で衆生を救済しようと考えているようにも見られます。いかにも定朝作であるように平面的で瞑想的な表情。丁度この大日如来の目線が私と同じ高さでガラスケース越しにジッと見つめあっていました。如来像というのは絶対に私たちと目線が会わないよう造られているのですが、チョッと私がしゃがんで眼を下から合わすと眼があったように見えてきます。こうしてこの大日如来の前でしゃがんで見つめあっていると1階から老夫婦が上がってきたので恥ずかしくてやめて隣の仏像たちに移りました。
その他の仏像で眼を引いたのは不動明王を中心とした「五大明王」です。中でも「降三世明王」、京都の東寺の降三世明王ように自在天(シヴァ)と妻の烏摩(ウマ)を足で踏みつけているのではなく、座って二人をお尻の下に敷いているのが面白い。

食堂・常行堂・講堂がコの字に配置されています。

なるほどなるほど。

食堂の2階から講堂を望む。

奥の院にて、左甚五郎(ひだりじんごろう)のリアルさに驚く

次に奥の院である「開山堂」に向かいます。食堂から100mほど入ったところに奥の院がありそこに開山堂があります。小学生の林間学校のとき、この開山堂の屋根の下に4人の「金剛力士像」が配置され、屋根を支えているのですが、あまりにも重いため、ある日一人の金剛力士が逃げ出したという言い伝えを聞きました。
この金剛力士像の作者はあの左甚五郎だそうで、実際に残りの3体をみるといかにも苦しそうな顔つきで、大変そう。奈良の法隆寺の金堂には同じように邪鬼が屋根を支えていますが、こっちの左甚五郎作の金剛力士のほうがやはりリアルで、苦しさが伝わってきます。さすがは左甚五郎。※このとき見仏スコープ(双眼鏡)を持ってくるの忘れてて悔やみました。見仏スコープで拡大して見たかった。
しかし左甚五郎って大工・彫刻家だったようですが、仏像を彫ったって話をあまり聞いたことがありません。もし彼が仏像を彫ったら、かつての慶派もビックリの超リアルな仏師になっていたかもしれません。この苦しそうな金剛力士を見てつくづくそう感じました。

いかにも苦しそう、見事な苦しみっぷり、さすがは左甚五郎。

摩尼殿にて

奥の院から摩尼殿下に戻ってきてました。
ベンチで途中のコンビで買った「ミックス海苔弁当」を食べていたら、また先ほどの「ジイサンバアサン軍団」が前を「おいしそう」と小声でしゃべりながら横切って行きました(恥ずかしい)。
摩尼殿内に上がると中はお遍路さんたちで賑わったいました。読経が流れる中、線香を焚いて煙を浴びて、蝋燭に火をつけて奉納して、舞台から下界を見下ろして一息入れました。
この摩尼殿の周りにはもみじがたくさんあって、緑がとてもきれい。秋の紅葉シーズンには摩尼殿の周りが真っ赤に染まってきます。たしか小学生のときにこの場所の紅葉を写生に来たこともあったっけ。


地元(姫路市)に住みながらもこの書写山 円教寺の素晴らしさを再発見した、夏の一人見仏でした‥

秋にまた行きたくなりました。

摩尼殿内の様子。

もみじの緑が映える摩尼殿。

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