プライベート極楽浄土  雲中供養菩薩  (平等院鳳凰堂)

京都は宇治にある平等院鳳凰堂。この中堂におられる定朝作の御本尊「阿弥陀如来坐像」を取り囲むように中堂内壁に52体の「雲中供養菩薩像」たちが飛び回っておられます。
52体のうち51体は国宝。残りの1体は51体が国宝に指定された後にお寺の外で発見されたため1体だけ宙ぶらりん状態なのです(可哀想)。

浄土教の教えでは人は亡くなったあと、西方浄土より阿弥陀様が多くの菩薩を従えて、お迎えに来られるらしい。それがこの「雲中供養菩薩像」たちなのか‥

平等院鳳凰堂は貴族たちの別荘地だった「別業宇治院」といわれていたところを時の権力者であった藤原道長から受け継いだ息子の藤原頼通が「平等院」と号する寺院に作り変えたのが始まりとされているそうです。
父である藤原道長があまりにも大きな存在であったため、頼通は政権から身を引いた父から引き継いでも、父の影響力や影から逃れられず、よく政治をほったからして京から離れたこの平等院に逃げ込んでは極楽浄土を瞑想して一人、不安から逃れようとしていたようです。
従ってこの鳳凰堂、特にこの中堂内部には、頼通が思い描いていた「極楽浄土」が展開されているわけです。
黄金色の「阿弥陀如来坐像」の上にはこれまた黄金の2重の天蓋。そして一人ひたすら祈る頼通を優しく取り囲むように周りを飛び回っているこの「雲中供養菩薩像」。
本尊と同じ、定朝とその一門の作といわれている像らしく、荒々しいタッチ(彫り方)ですがどれも優しい顔立ちで観ていて飽きません。
頼通は自分が死んだらこの本尊の阿弥陀様が雲中供養菩薩たちを引き連れて自分を西方浄土に連れて行ってくれるようにと、ひたすら一人祈りを捧げているシーンを想像するとまさに「プライベート極楽浄土」。
本当は本尊も、雲中供養菩薩たちも、頼通はじめ藤原氏だけでなく悩める人々を全て救いたいと思っていたのかもしれません(仏像たちに聞いても答えてくれないでしょうが)。まさに権力者達の贅沢と言えなくもないのですが、当時は「武士」たちが徐々に力をつけてきた頃で、それだけに貴族たちにとって明日への不安、死への恐怖などが大きく横たわっていたのでしょう。

でもこの雲中供養菩薩たちを見ているととても楽しくなって、私だけのために踊りや音楽を奏でてくれたらいいのになぁと感じる今日この頃(おっと、これじゃあまるで独り占めしていた藤原氏と同じじゃない?)です‥。

本尊「阿弥陀如来坐像」と雲中供養菩薩たち

「南20号像」踊るシルエットがセクシーです。一番人気

「南1号像」笛のような楽器を手にしています。

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※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。



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