漆黒の太子の母親    菩薩半跏像像    (中宮寺)

とても女性っぽい手つき、しぐさ。

斜め前から見ると優しい表情。

正面から見るとチョッと違った表情、男性っぽくも見えます。

最古の尼寺である中宮寺の本尊、あまりにも有名な「菩薩半跏像」です。
聖徳太子が亡き母親を偲んで作らせたという、クスノキの「寄せ木作り」の国宝です。

中宮寺の本堂の手前に池があり、その池の上に掛かった橋を渡って本堂に入るという「池の上に浮かんだ本堂」といった感じでとても新鮮な気持ちにさせられます。
本堂の入り口まで来ると、奥に座っておられるこの本尊がすぐ視線に入ってきて、拝むことが出来、靴を脱ぎながら「こんにちは」と、挨拶したくなってきます(ちょっと不謹慎か)。それくらいオープンな本尊の配置をしてくれているので逆に親しみが感じられるのです。

元々は極彩色で彩られていた菩薩半跏像ですが、色が落ちて線香の煙にさらされたためかよく分かりませんが真っ黒な姿に変わってしまっています。
正面から見ると男性のように時に力強く見え、斜め前から見ると女性っぽく見えます。仏像というより、一人の人間に見えてしまうのはやはり聖徳太子が亡き母(穴穂部間人皇女:あなほべのはしひとのひめみこ)を偲んで作らせたと言われるだけあって、そういうことで私は人間に見えてしまうのかもしれません。

最初にこの像を見たとき、みんなが言うように「癒される」とか「とても慈悲に満ちたお顔で安らぎます」という感じが沸いてこなかったといのが正直なところ。やはり人間の彫刻という見方が強かったためかどうしても慈悲をさそう仏像としてはどこか認めたくなかった部分があったのかもしれません。

しかし仏師であり、僧侶の西村公朝氏がどこかの著書で書いていた解説で少しこの像に対する気持ちが変わりました。
当時としてはあまり例のない「寄せ木」という技法。当時はこのサイズの仏像では一本作りがほとんどであり、なぜ寄せ木にしたかというと、おそらく太子が「この木で彫ってくれ」と仏師たちに命じたのではないか、というのです。それが細い木で、母にとても縁のある木か、それとも太子に何か思い入れがあったためどうしてもその細い木でないといけなかったため「寄せ木」になったのではないかということなのです。
もしそれが本当であればなんとも美しい話ではないでしょうか(すぐ感化される私)。
母親というのは時に父親(男性)ぽく、時に優しく(女性ぽく)子供に接しなくてはいけない。それでこの像が見方によって男性ぽく、女性ぽく表情が変わるように私が感じたのかもしれません。
それ以来私はこの像を単に人間としてではなく、仏像というより「癒してくれる母親」、「癒しの対象」として見るようになってきたのです。

このゴールデンウィークに久々にこの菩薩半跏像と対面していきなり「グッ」ときてその後なんとなく癒されたのは年齢を重ねて最近疲れ気味でどこかに「癒し」を求めてきたため、そしてこの菩薩半跏像がそれに答えて癒してくれたためなのではないのでしょうか。

さすがは「母親」。

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※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。



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