N隊員初の欠席、新加入F隊員含め3人ツアー

今回の行き先は大津。見仏クラブ初の滋賀県、園城寺(三井寺)です。その後京都に入って二寺ほど回る予定です。ツアー直前にN隊員と音信不通となり、心配しているとT隊員から「どうやら仕事の関係で海外にいるらしい、彼の家に電話したら奥さんからツアー当日までに帰国できるか解らないだって」の連絡が…
私の方から「とにかく帰国したらメールなり電話するなり連絡せよ」と留守電やメールで送りつけると、ツアー前日の夜11時に漸く「今やっと伊丹空港に着いた。メキシコ3,000mの高地にある工場に納めた設備のトラブルの為行ってきました。周りに日本人私だけ、スペイン語よくわからんかった…明日はスマヌ行けません」との内容のお疲れメールが私の携帯に。
ということで、通算18回のツアーで初のN隊員欠席となり、前回ツアーから加わって今回隊員に昇格したF隊員と三人のツアーとなりました。
姫路を出発して約2時間で大津にある園城寺に到着。
到着するや園城寺の歴史と比叡山との抗争の歴史を簡単に説明して仁王門に向かいます。
私は園城寺は二回目で、前回来た時は紅葉の季節は過ぎた時(11月)でチョイ寂しかったが、今回は紅葉の緑が映えて境内がとても清々しい。
まずは目の血走った似王さんの二人に挨拶して国宝の金堂に向かいます。


金堂は「仏像ワールド

金堂内はいつものように「仏像ワールド」。あらゆる種類・時代の仏像が所狭しと配置されています。
まずは強面の「大黒点坐像」。室町時代の作で四天王のような勇ましい姿で座っておられます。本来大黒点は、ヒンズーやチベットでは恐ろしい鬼のような形相で表されていましたが、日本での「七福神」の優しいイメージに変わる「過渡期」にあたるお姿なんじゃないかな?とメンバーに説明する。堂内の後半では表情が優しくなって、袋を担いで走っている姿の「走り大黒」さんがいました。
次に「釈迦如来坐像」。(たしか前回は「胎蔵界大日如来」と説明板に記されたように思えが…)目がリアルで怖い。いきなりF隊員が「このお方は目は書いてあるのかな?それとも仏像によくある表現で水晶やガラス玉が入っているのかな?」と訊いてくる。玉眼のことね、結構詳しいじゃん、F隊員。
そしてメンバーに一番見せたかった「尊星王像(そんじょうおうぞう)」。片足を上げて後ろで折り曲げて「4の字」にしてダブル錫状を持ち頭上には鹿の頭を乗せ、緑色の肌の変わった像です。掲げた日輪には三本足の鳥、「八咫烏(やたがらす)」が…神道と密教の入り混じった神秘的なお方の前で思わずうっとり…
そして二体の「不動明王」。一体は平安時代の立像、もう一体は鎌倉時代の坐像。鎌倉以降は目玉や牙の向きが上下に向いている「天地眼」で、その時代時代によるの違いをメンバーに説明。そして「阿弥陀三尊」。前かがみになって蓮華座を差しだす「観音菩薩」の構え方が可愛い。「徳の高い人は死んだらこのように阿弥陀さん達が迎えに来て、蓮華座に乗せてくれて西方浄土に運んでくれるが、徳の低い人はこの蓮華座だけがポツンとやって来て、我々が自らヨッコラショと乗らないといけないのよ」と説明。T隊員がすかさず「煩悩だらけのワシらだったら蓮華座だけやな、決定!」と宣言。
仏像を満喫したところで金堂を出て境内をブラブラします。
「閼伽井屋(あかいや)」。天智・天武・持統の三天皇の産湯を汲んだとされる泉が湧いています。屋根の廂にはあの左甚五郎が彫った30cm位の龍の彫刻が。説明書きにはこの竜が夜な夜なここを飛び出して琵琶湖辺りで暴れたため、甚五郎みずから目に釘を打って動きを封じたとある。
F隊員「しかしあんな小さい龍が暴れたって大した被害なんてなかったはずやな」確かに…
T隊員「多分バルタン星人のように大きくなったり、分身したりして暴れたんじゃないかな?」なんという発想…
次に有名な「弁慶の引き摺り鐘」を見に行きます。かつて比叡山と抗争している時、暴れん坊将軍の弁慶が園城寺から鐘を奪って比叡山に引き摺りながら持って帰っているときに、鐘が「帰りたい」なんてしゃべったことで「そんなに帰りたいか!?」と怒った弁慶に谷底に投げ落とされたという可哀相な経歴を持つ傷まみれ鐘です。しかし二人は鐘本体よりも、鐘が展示してあるお堂内で売られている土産グッズに夢中で「この鐘小さくていい音色やな」とか「この鐘らなら熊除けになるかな?」なんて鐘のストラップをチリンと鳴らしている。係のオバちゃんも「それならこのお土産の方がもっと良い音で鳴ります、熊除けにはこっちかな?」なんて我々のくだらない話に食いついてくる…
次に重要文化財の「一切経堂」。堂内にはお経を納める、高さ7mはあろうかデカイ八角形の蔵があります。各面に40個くらいの引き出しががあり、そこにお経が入れられているみたいです。
F隊員「おおきいなぁ〜もしかしてこれ回転するんじゃない?」
T隊員「そんなばかな、これを回そうとすると相当な数の人がいるやん」
まさかといいながら、蔵の下を覗いてみると蔵の下部は軸になっていて、床に設置された「軸受」に乗っている構造となっていました。
私「スゲー、本当に回るんだこれ」
受付で貰ったパンフレットを見ると「回転式の八角輪蔵」と記載されていました。
しかしどうやって回すんだろうか?どこかに棒でも差し込んで回すのだろうか、それだったら「差し込み口」があるはずだし…悩みながら「一切経堂」を後にした私たち。
次に檻で飼われている孔雀を見ます。ここで密教における孔雀に対する思想を二人に教えました。その間も孔雀はじっとして全動かない。羽を広げたらシャッターチャンスなんだけど…
F隊員「全く動かないんで置物みたいやね」
園城寺は本当に「引き出し」も多く、まだまだ見どころはあるのですが、次のスケジュールがあるので次の寺に向かいます。
T隊員「今度は紅葉の季節に時間かけてじっくり見たいね」確かに。
駐車場に隣接する土産物屋さんで木刀を見つけて「なんで観光地にはいつも木刀売っているんだろう?」と言うF隊員に「次は40分一本勝負の寺、三十三間堂です。」と告げます。
F隊員「なんじゃそりゃ?」
私「とにかく行けば解りますよ」と車を発進します。


「40分一本勝負の寺」三十三間堂でAKBを語る

大津から車で15分位で到着した三十三間堂。
駐車場に入るなり、いつものように係のオジサンが来て「駐車時間は40分以内でお願いしますね。」とお決まりのセリフ。F隊員も「そういう訳なのね」と納得。
私「いかに40分間でじっくり見るのが課題なのね」
平日もあってか、入り口の下駄箱周辺もいつもの混雑は無く「ハイハイあんたはここに靴を置いてね」のオバちゃんもいませんでした。混雑していないとはいえ、40分間で長大な堂内での見仏。自然と早足になってきます。いつもは参加しているN隊員がいつも「天部二十八部衆」の一人一人の前でお祈りをし、お気に入りのお方の前で交信しているので冷や冷やしながら時間を気にしていますが、今日は欠席ということでスムーズに見仏できます。しかし「天部二十八部衆」のなかでも「五部浄」や「迦楼羅」」「婆藪仙人」などお気に入りのお方の前に来るとツイツイ足が止まってじっくり見てしまう。
中尊である国宝「千手観音坐像」で前で足を止める。
台座・光背を含めると7mを超える巨像で、運慶の息子である湛慶が82歳の晩年作り上げたという渾身の仏像。見ているこちらはただ圧倒されるのみ
私「千手と言いながら実は脇手四十手ですが、一手が二十五の法力を持つと言われており、千本の手を持つことと同じことなのですよ」
F隊員「そうなんや」
私「でも本当に千本の腕を持つ千手観音もあるんやで」
F「本当か!?」
私「奈良の唐招提寺や大阪の葛井寺の千手観音が有名よ」
T隊員「たしか数年前のツアーで唐招提寺の千手さん、修復中やったな」
私「そうそう、たしかあの時は脇手を全部外されて、『千手観音』が『ゼロ手観音』になっていたな」
次に笛吹き「迦楼羅」の前で足が止まる三人。
私「このお方は古代インドの伝説の怪鳥『ガルーダ』から伝来したお方で、ほらインドの『ガルーダ航空』のシンボルマークになっていますね」感心する二人。そして調子に乗って説明を続ける私。
私「さっき『金毘羅王』ってお方がいたでしょう。金毘羅はインドのガンジス川にすむワニの化神『クンピーラ』からきているのよ。これと似ているのがAKB。秋葉原という地名の由来は、その地に居られた『秋葉大権現』という天狗神からきたネーミングなので、AKBのメンバーは自分達の名前の由来が、天狗だということを知ってるのだろうか?」段々話が逸れていきます。
私「AKBっても結局forty-eight(48)でしょ。こっちはthousant(1,000)だもんね。AKBが予備軍入れてかかってきても勝てないよ」と熱く語りだす私。
F隊員「しかしこれだけの数の千手観音、一体何の目的でつくたんやろうな?」と感心する。
そこで私は三十三間堂の創建された時代背景、清盛と後白河法皇のパトロン関係などを簡単に説明します。
そして有名どころの仏師(快慶や湛慶など)が作った千手さんは「○○作」と札とともに最前列に並べられており、そういう千手さんに限って、「○○博物館に出品中」なんて札とともに欠席している。ここですかさず私は「AKBと同じで人気のあるお方はやはり最前列ですね。そしてTVなんかで忙しい選抜メンバーはAKB劇場にはいつも居ないやろ。したがって三十三間堂はAKBの先駆者かもね」我ながら凄まじい理論。
ふと時計を見ると、すでに駐車場に車を停めて25分経過。堂内の裏手に回って今度は有名な「通し矢」について説明しながら早足で進みます。


汗まみれで突入本能寺

三十三間堂から京都市役所近辺の駐車場を探します。
前回京都ツアーで行った時に、京都市役所隣にある洋食屋「アローン」が美味しくて安かったのでもう一度行ってみようという魂胆。
しかし市役所周辺は駐車場は満車ばかり。京都の街中って広い幹線道路から一歩入ると、一方通行も多いし道は狭いし…苦労して数箇所目でようやく探し当てたタイム制のパーキング。ちょっと距離は増えましたが「アローン」目指して空腹を我慢しながら歩きます。
しかし前回ここにあっただろうと思う場所に来ても看板が見当たらない。
T隊員「あれ…たしかここだったよな???看板無くなっている」
私は近くの洋品店の中に居たおばあさんに訊いてみました。
おばあさん「たしか去年お店を閉めたんですよ。姫路からわざわざここまで?残念ですね」ガーン!
「どうする?」という二人の前で私は、「こういうものを持ってきました」と紙切れを出す。
実は人気店だった「アローン」が満席だったことを考えて、京都市役所周辺で美味しそうな店を「ぐるなび」から幾つかピックアップしてプリントアウトしていたのでした。
協議の結果、その中で「ぐるなび」の点数の大きかったラーメン店「花洛(からく)」に行くことに決定。歩いて2、3分で着きました。
店の看板で書いてあった通り「コラーゲンたっぷり!」のとんこつラーメンでした。スープが旨い!
食べているうちに汗が吹き出てきました。食べ終わっても汗は止まりません。
F隊員「やはりコラーゲンの成せる業か?」と。クールダウンしなくては…
T隊員「どっかこの辺でコンビニ行かへん?何かアイスでも食いたくなった」賛成!
店を出た後、早速付近のコンビニに突入して、T隊員と私はアイス。F隊員は缶コーヒーを買い、店の前で飲み食いする(まるで高校生か?)。
F隊員「さっきここを車で通ったときに『本能寺』の看板見えたよ。」
そういえば市役所の大きい通りを挟んで南側には本能寺があったっけ…
実はこの後、もう一寺、東寺でF隊員に「立体曼荼羅」でも見せようかとも考えていましたが、歴史大好き(最近は戦国時代にはまっています)の私は急に本能寺に行きたくなってしまったのです。
他の二人は異論なし。市役所に面した大きい通りを地下道に潜り込んで渡ります。
本能寺に到着。本能寺はビルの間に囲まれた京都人のオアシスといった感じか。ご近所の人と思われる人たちがのんびり過ごしている。
まず大きい本堂に入ります。堂内は広大で最近貼り替えたのか畳の臭いがほんのりします。内陣の中央には僧形のお方がお二人。一人は片手に剣を持っておられる。このお寺は日蓮宗なので、おそらく日蓮さなのでしょうね。しかし締め切った堂内はさすがに暑い。逃げるように本堂を出ます。でも外も蒸し暑い。逃げ場のない暑さに参っているとF隊員が「あそこに宝物館なるものがあったよ。あそこなら涼しいんじゃない?」
ということで逃げるように宝物館に突入しました。宝物館は1階が受付、2階が展示室となっており、受付で入館料を払ってエレベーターに入りますエレベーター内は本日一番の涼しさで極楽。
私「入館料払った分だけでも涼まないとね」とセコイ私。
2階の展示室には仏像は有りませんでしたが、信長が使用したと思われる茶器や香炉、信長にまつわる書状などが展示されていました。特に三本足の小さいカエルの香炉が良かった。本能寺の変の時に鳴いて信長に危機を知らせたという可愛い香炉です。そして本能寺の変の時の錦絵など、特に信長ファンには堪らないでしょう。汗がひいて完全にクールダウンしたところで宝物館をでます。境内に吹き抜ける風が心地よい。
境内を出て、振りかえって「本能寺」の石碑を見る。本能寺の「能」の「ヒ」の部分が「去」になっていました。後で調べると、これは何度も火災に遭っているため、火を忌み嫌う目的から「火(ヒ)を去る」をということで「去」になったとか…

そんな話を聞くと本当に熱い(暑い)京都だこと…

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ラーメン店「花洛(からく)」。
コラーゲンたっぷりのとんこつスープが甘くて旨い!

加藤清正が奉納した「牛臥石」。
よく見ると牛が一休みしているように見えます。

いつ見ても長〜い三十三間堂

園城寺の国宝本堂。紅葉の緑が美しい。

本能寺の本堂。本能寺はビルに囲まれた都会のオアシスと言った感じのお寺でした。本来本能寺はこの地に有ったのではなく「本能寺の変」後にこの地に移されたとか…

本能寺の宝物館(大寶殿)

仁王門と目の血走った怖い金剛力士さん。目が合うとさすがに怖い。

じっとして全く動かない様子。
動け孔雀!

これが噂の「暴れ龍」。
ペットにしたいくらいの起きさです。

  2012年7月11日 第18回見仏ツアー 夏の京都は汗まみれ
   (大津 園城寺 京都 三十三間堂 本能寺)

写真では見えにくいですが、本能寺の能の字が「ヒ」ではなく「去」になっています。




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