聖林寺本堂裏から続く「観音堂」へ向かう階段。
この先にあのお方が…

安部文殊院の帰り、駐車場前でN隊員の腕に止まったカマキリの子供。虫好きのN隊員は嬉しそうでした。

ご存じ「飛鳥大仏」(釈迦如来座像)。
解説のオジサンの「聖徳太子や蘇我入鹿たちはきっとこの仏像を見ているはず」の一言に、この仏像の歴史の重みがヒシヒシと伝わります。

安部文殊院で貰った朱印「文殊大士」と、聖林寺の朱印「国宝十一面観音」。
朱印帳はようやく三冊目に入りました。

聖林寺の山門。

聖林寺本堂から見る三輪三山方面の景色。

飛鳥寺山門。
この時はまだ晴れていた。

飛鳥寺の境内には何故か懐かしいポストが。オブジェではなくちゃんと使われているみたいです。
しかし何故紫色しているんだろうか…?

今回もマニアックな二人旅

今回のツアーは、奈良県南部、桜井から明日香方面を行きました。

安部文殊院で獅子から降りた状態で公開されている快慶作「文殊菩薩」、聖林寺で国宝「十一面観音」、飛鳥寺で「飛鳥大仏」を見るという王道ツアーとなりました。
今回も残念ながら直前でT隊員が所用(急な仕事)でキャンセルとなり、N隊員との二人旅となります。
今回も行く道中で、さぞやマニアックな話になると予想しましたが、まさにその通り。今回はお互いの共通の趣味である、オーディオ(アンプを手作りした話&古いスピーカーを再生した話)や歴史話(坂本龍馬の決して表に出ない『裏の事業』について&播磨地域における戦国時代の情勢)等、自分たちの家で話したら家族の誰も聞いてくれないような話なので、半年に一度見仏ツアーで会うためか、車中やサービスエリアで熱く語りながら奈良へ向かいます。


文殊院で恐ろしい目に逢う

出発から2時間半かけて安部文殊院に到着。駐車場から境内に入り、本堂へ向かう途中にある「文殊院西古墳」。安部文殊院の創始者と伝えられる安部倉梯麻呂(あべくらはしのまろ)の墓と言われています。古墳の石室が解放されていて、中に不動明王像が安置されているそうな。早速N隊員が入ります。私も続いて入ろうとするが、何故か心がソワソワする、そして石室の中に恐ろしいものが居そうな気配。先に進んだN隊員は石室奥に居られる「願掛け不動明王」にお参りをする。薄暗い石室の中でお不動さんの輪郭がやっとわかる距離で脚を停めて「もうこれ以上は無理や…なんでやろ?」と外を出る私。暫くして出てきて「何を怖がっているんや?」と不思議そうに私を見つめるN隊員と本堂の受付に向かいます。
受付で朱印帳を預けて本堂に入ります。客間のようなところに通されて、受付のお姉さんから「お茶を頂いてから拝観路に沿ってお参りください」言われる。暫く正座して待っていると、先ほどのお姉さんが抹茶と懐紙付きの和菓子を持ってきてくれました。しかしお茶の作法を殆ど知らない私はどう頂いたらいいか解りません。幸いN隊員の奥さんが裏千家のお茶教室に通っていて、彼もある程度作法も判っており、彼のやることを真似して頂きました。
そしていよいよ文殊様の祀られている部屋に向かいます。文殊さんの居られる部屋は広大で、赤い絨毯を敷き詰めた階段の上に拝殿がある豪華な造り。まず正面から見る。本尊の文殊さんは、最近まで乗られていた獅子の前に白い台を設置されていて、その上に座っている状態。丁度獅子がご主人である文殊さんの背中の匂いを嗅いでいるようにも見えます。
まずN隊員が注目したのは、見る角度によって文殊さんの表情が全く違って見えること。
N隊員「正面から見るとお優しい顔に見えるけど、斜め前から見ると厳しいお顔だな〜」確かにそう見えます。二人でレッドカーペットの階段の途中、端の位置からで座り込んで見たり、拝殿まで上がって正面から見たり、階段の下からしゃがんでみたり、位置を変えるたびに文殊さんの表情が違って見えるのです。後から来たオバチャンたちの集団に変な眼で見られながら、色々位置を変えて楽しんでいると、20歳前後の若い女性2人が拝殿に上がって柵を外して文殊さんのまん前に座るではないか!?するとすぐ後からお坊さんがやって来て「では祈祷を始めます」と。そうか祈祷に来たのか…
「しかしこの娘たちは若いのに祈祷を受ける程どんな悩みがあるんだろうか?」というN隊員を引きずって、祈祷の邪魔にならぬよう拝殿から離れる私たち。N隊員は離れた位置から双眼鏡で文殊さん御一行をしげしげと観察し始める。
N隊員「しかし文殊さんはシンプルなお人形さんにみたいなお顔なのに、獅子の綱を引くオジサンや先導の童子は超リアルに造られているなぁ」
私「そうでしょう、やはり本尊さんは『超越した存在』だからなんでしょうね。従者は人間ぽく造った方がいいのかもね、そこに快慶の狙いがあったのでしょう」
特にN隊員は綱を引くオジサン、つまり「優填王(うでんおう)」に惹かれたみたい。風を受けた衣の靡き方のリアルさ、腰を捻って力を入れたバランスの良さ。オーラが外に向かって出ています。凄いぞ快慶!
N隊員「去年、舞鶴で同じ快慶の『深沙大将』見たけどあれと同じ雰囲気が出ているなぁ〜」と関心しきり…
文殊さんの部屋のさらに奥には「釈迦堂」がありますが、釈迦堂と文殊さんの部屋の間にもう一つ小さな小部屋があるのですが、そこを通り過ぎる時、さっき「文殊院西古墳」で受けた「気配」を感じました。その部屋にも恐ろしいものが潜んでいるような…怖々入ってみると中央に全身真っ赤なお地蔵さんが居られるではありませんか。口をぎゅっと絞めて前を見据えて何かを訴えているような赤いお地蔵さん。今にも泣き出しそうなお顔にも見えてしまう。立て札を見ると江戸時代の「子育て地蔵」だとか。そのお方から出ているオーラが私に襲い掛かります。私はすぐに部屋を出て、まだ文殊さんに見惚れているN隊員に「こっち来て」と呼びつけます。
N隊員「子育て地蔵か…このお地蔵さんを怖がるとは…会長、さては子育てを失敗したとか?」
私「いやいや、いつも子供たちと仲良くしていますよ、しかしなんでこんなに最近お地蔵さんが怖いのかな?」
GWに奈良の白毫寺でもお地蔵さんに怖い思いをしたことがありました。
やはり私には、お地蔵さんから「地獄に行っても助けてやらないよ」と、御怒りを受けるくらい、煩悩がまだまだ沢山あるのかも…
その後「釈迦堂」に入って巨大な「釈迦如来座像」(室町時代)を観る。黄金に輝く光背に透かし彫りにされた「烏天狗」を見つけ、N隊員に中国から伝わった天狗が日本でどのように浸透し、擬人化され鼻の長い天狗に変わっていったかをレクチャーする。
帰りに地蔵さんの部屋と、「文殊院西古墳」の前を再び通り過ぎることとなるのですが、その時にも再び心がソワソワしました。初めて訪れた安部文殊院は、私にとって「鬼門」となったのか…


聖林寺でも地蔵にやられる


安部文殊院から車でわずか10分くらいで到着した聖林寺。
受付で貰ったパンフレットを広げて見ようとしたN隊員に「あ〜先に写真見ない方がいいよ、予習なしに初めて観たインスピレーションが大事なんだから」と諭す。このお寺にはN隊員に是非見せたかったあの国宝「十一面観音」が居られます。私は20年くらい前に初めてお逢いして、新人バッターが大投手に対戦して、ビビって「三球見逃し三振」を喰らったような衝撃。あの威厳のあるお方を見た時の印象を彼から聞きたかったのです。
まず本堂に入る。本堂内中央には、巨大な石仏である「子安延命地蔵」が居られます。二人の童子を従え、全身真っ白、頭でっかちで3等身かと思われるほど顔がデカイ。安産のご利益がある為か「腹帯」を付けていらっしゃる。
N隊員はこの地蔵さんの前に正座して暫く動かなくなる。
私は早く彼に十一面観音を見せたくてソワソワします。しかし彼はお地蔵さんを見つめたまジッとしています。交信が始まったようです…その間私は本堂内をウロウロしたり、本堂の窓から見える三輪山あたりの風景を見ていたりして彼が席を立つのを待ちます。
暫くして「このお地蔵さんってエロいなぁ」と言いながら立ち上がるN隊員。
彼にはにっこりしたお顔の表情が何故かエロく感じたみたい。確かに白い仏像ってエロい仏像は多いです。江戸時代以降の弁財天って白い肌で、全裸で琵琶を弾いていらっしゃる。浄瑠璃時の「吉祥天」も白い肌で、チョイ色っぽく感じます。そんな色っぽさやエロスをこのお地蔵さんから彼は感じ取ったのか?「どんなことをお地蔵さんと話したの?」って聞くと「いろいろ」としか言わない。
もう少し突っ込んで聞くと彼曰く、「最近精力が落ちてきたんで、このお地蔵さんから色々アドバイスをもらっていたんや。精力っても性欲ということではなく、仕事や色々な事全体にに対しての、意欲や頑張りも含めてやけどな」ということらしい…
「じゃあどんな返事が返ってきたの?」と私が聞くと「いや、何も答えてくれなくて、ただニコニコしているだけですな」と…そして続けて「つまり、まぁ心配するなって。年を重ねたらそうなってくるのは仕方ない事。気を落とさずワシのようにニコニコしていたら、その内にいやなことを忘れて良い事があるって事を言いたいんじゃないなかな?」とのこと。「笑う門には福来る」ということでしょうね。
次にN隊員は本堂内にある他の仏像、特に「宇賀弁財天座像」に見惚れます。やはり彼は「ふくよか系」の仏像にグッと来るタイプなんでしょうね。
そしていよいよ「十一面観音」の居られる、本堂の離れにある「観音堂」に向かいます。観音堂に向かう階段を上るたびに気持ちが高ぶります。
私は20年ぶりに逢う「十一面観音」。逢った瞬間、「ハハーッ」とひれ伏さなければならないような凄い威厳を感じます。しかし20年前には無かった(と思う)ガラスケースのせいで、少々威圧感が減ったかな?という印象は拭えません。
私「どうでしょう?凄いお方でしょう」の問いかけに彼は「ふーん」という一言。そして「この観音さんは怒ってはるなぁ」と…
あまりに素っ気ない返事&観音さんの前に正座する私たちが、ガラスケースに反射して映って、観音さんに叱られているように見えて思わす笑ってしまいそうになる。
この観音さんが数々の戦(いくさ)や「廃仏毀釈」から地元の人々に守られてこの寺にやってきた経緯をN隊員に説明して観音堂を出ることに。
聖林寺を出て、駐車場に向かう間も「あのお地蔵さんエロくて良かったなぁ〜」と呟くN隊員。
次の寺、飛鳥寺に向かう途中。
「人間が生きていく、あるいは子孫を残すための『根源』の一つが『エロス』なんだろうな〜だからあんなエロっぽい地蔵さんが存在するんだろうな」と車内で『エロスと地蔵の関係論』と銘打って、専門家が聞いたら呆れて笑ってしまうような議論を、まじめに展開する私たち(マニアックだなぁ)。


飛鳥の地で通り雨に打たれる

飛鳥寺に到着。駐車場に車を置いて突入します。
堂内には日本最古の仏像と言われる「飛鳥大仏」(釈迦如来座像)がいつものようにドーンと鎮座されています。
私にとって久々に逢うこのお方。「これが仏教を始めたお方なのだ」ということを伝えるために日本で初めて造られた仏像ということで、有難みよりも「人物像」といった感じがします。焼けては何度も受けた修復のせいもあって、痛々しくも感じます。「写真撮影OK」と広く知られているので、拝観者がカメラを手に撮影しまくっています。暫くして案内のオジサンが登場して飛鳥寺の縁起や飛鳥大仏の説明を始めまが、そのあたりから風が強まってきて、堂内に強く吹き込んできました。堂内にある提灯が揺れ、資料や紙などが飛び散ります。しかしオジサンはそんなことはお構いなしに何事もないようにマイペース説明を続けます。それがまたおかしくて笑いそうになる。外が次第に暗くなって、やがて雨が降り出しました。
「しまった、傘を車の中に忘れてきたよ…」と解説が終わっても堂内に佇む二人。本降りにならないうちに出ようと思っても、既に次の拝観者たちの団体にオジサンは解説を始めているので、その前を突っ切って出るわけにはいかず、本堂の更に奥に進んで第一展示室に入る。そこでなんと「深沙大将像」を発見。鎌倉時代の像だそうですが、何か変。深沙大将の特徴である、蛇や象、髑髏、そしてお腹にある人面は見当たらず、鎧を着ており、武将の出で立ちでポーズなんて新薬師寺の十二神将「迷企羅」そっくりではないか!「これ十二神将でしょう!?」と二人で話しながら本堂に戻ってもまだ続いているオジサンの解説。仕方なしに本堂裏にある中庭を暫く眺めている。しかし雨脚は収まるどころか段々激しくなってくる。当分やみそうにもないので解説が終わったところで「濡れても仕方ない、とにかく出よう」と意を決して飛鳥寺を走って出る。走りながら「ダメや、中間地点の土産物屋に入ろう」と駐車場手前にある土産物屋に突入。タダで雨宿りしては申し訳ないので何か買おうということで、二人して有名な「赤米アイス」を食べる。これが結構旨かった。暫くして私たちと同じ思い(雨宿り)の拝観者・観光客たちが店内に溢れだしていっぱいになる。特に若い女性グループがかわいそうでした。土産物屋のオバサンとの会話を聞いていると、彼女たちはレンタルサイクルで明日香を回っていて、この雨で足止めされてレンタルサイクルを返す時間やバスの時間が迫っており、途方に暮れている模様。「自然相手では仕方ないね」と「赤米アイス」を食べ終わって再び雨の中を走りだす私たち。
ずぶ濡れになって車に戻ってきて「そろそろ帰りましょうか?」
雨が降らなければ「二面石」や「蘇我入鹿首塚」も見たかったが、仕方ありません。姫路に車を走らせます。


帰りの高速道路。そろそろT隊員から電話がかかってくるなと思ったところ、私の携帯に着信が。運転中だったのでN隊員に出てもらったら、騒がしい声が受話器からこちらまで聞こえてきます。
電話を切った後、
私「どんな内容だった?」とN隊員に訊くと
N隊員「『こっちは仕事でヒーヒー言いながら頑張っていたのにお前らばっかり楽しみやがって』とか叫んでいたわ」
思わず二人して爆笑〜

「よーし今度はT隊員を、安部文殊院や聖林寺のお地蔵さんの前に連れて行って、あやつの煩悩を浄化させねば」と、自分のことはさて置き、心の中で叫びながら車を運転する私でした。

本当に煩悩の無くならない我々…

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雨の飛鳥寺中庭。
中々グッと来る石仏もありました。

安部文殊院の本堂。

2010年7月7日 第15回見仏ツアー 地蔵菩薩と煩悩を考える
       (安部文殊院〜聖林寺〜飛鳥寺)



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