怖いぜ「脱衣婆」(中央)!
罪人の服を脱がせて、髪をつかんで三途の川へ引きずっていきます!
地獄に行っても、この方には絶対逢いたくない!

白毫寺に向かう石段。
「歩き地獄」の始まり…

早朝の東大寺、法華堂への参道。
日が昇り始めて、参道を照らし始める。
この風景に出合いたくて、夜明け前から走ってきた。

早朝の奈良に佇みたくて…

東大寺法華堂が間もなく拝観停止になります。耐震調査・対策や仏像の修復が終わった後は、日光月光菩薩や吉祥天・弁財天などの塑像たちが別の建物に保存されたり、法華堂の拝観もこれまでの正堂まで入ることが出来ず、礼堂(らいどう)からの拝観に変わるそうです(残念)…文化財保存を優先的に考えると仕方ない事なのですが、あの16体の仏像たちの姿をまじかで見れなくなる寂しさはあります。忙しい中、GWに突入してようやく一人で奈良に行ける都合がついて、急きょ行くことになりました。
出発は未明。人出のない、早朝の奈良公園&東大寺の澄み切った風景が大好きで、日の出の時間に間に合うように姫路を午前3時過ぎに出発。カーステのボリュームを上げて眠気と戦いながら、夜の高速をひた走ります。曲目はクラシック、ホルストの交響曲「惑星」です。気持ちを昂らせるためにかけたのですが、そのおかげで眠気は吹っ飛び、ハイな気分で阪神高速を突っ走りました(でも速度はあくまでも安全な範囲です)。
奈良県に入ったところで月は西の空に消えて東の空が明るくなり始めます。「早く着かねば」と焦る気持ちを抑えながら走って朝5時過ぎに奈良市内に到着、ならまちにある24時間営業の駐車場に停め、誰もいない興福寺の境内を通過して東大寺に歩いて向かいます。
やはり東大寺の境内には人影はほとんどありません。時より目の前をジョギング姿の人が走り去るくらいです。そしてチョイ寒かったが空気が澄んでいてとても気持ちいい。人があまりいないためか、境内のあちこちにいる鹿の姿もまばらでした。普段は沢山の拝観者や鹿で溢れかえっている境内が、この時ばかりは静まり返っている(嵐の前の静けさか)…この素敵な景色を収めようと写真をバシバシ撮りながら、法華堂・二月堂方面に向かって参道を歩きます。
2月堂に上がると、ご近所に住むご老人達が、散歩がてら集まって世間話をしています。
「そういえば、アンタ昨日の雨で来ていなかったなぁ」
「行きたかったけど膝が痛くて…湿度が高いと痛くなるんや」
なんておじいさんたちの会話を暫くそばで聞きながら時間を潰し、拝観開始時間の7時30分と同時に法華堂に一番乗りしたくて、10分前に入口に立っていると、ジョギング姿の若いお兄さんが現れて5分前に私より先に入っていくではないか!すると受付のオジサンが中から私に向かって「もう入っていいよ」の手招き。それにつられて私も入ることに。
受付で拝観料を払い、朱印を預けながらオジサンに訊きます。
私「今後、礼堂からの拝観に変わるそうですが、正堂内はどうやって見ることが出来るんでしょうか?」
オジサン「ここの仕切りの蔀戸(しとみど)がガラスに変わりますので」
礼堂と正堂の間の仕切りになる部分がガラス張りとなって外からの拝観になると言うことでしょう。今後仏像たちとの距離が出来ることによって、あの堂内の「引き締まった空気感」が感じられなくなる寂しさ…


16体の世界に別れを告げる


しかし堂内の寒い事。足元がすぐに冷たくなってきます。一番乗りのお兄さんは何故か5分くらいで法華堂を出てしまいます(もったいない)。
ようやく私ひとりになり、本尊の不空羂索観音の正面の畳に座ります。
堂内の暗さにようやく目が慣れてきたころで、やけに本尊の光背(線状光背)がいつも以上に明るく輝いてくるように思えました。
東大寺の根本である「華厳経」の教義はよくわかりませんが、不空羂索観音の線状光背から放たれる「華厳思想の光」が巨大な大仏殿を含め、東大寺全体、そして見ている私、更に世界全体をも包み込む…そんなことをボーっと考えながら他の仏像たちには目もくれず、本尊のみを見ていました。
そうしているうちに徐々に堂内の拝観者の数が増えて、ゆっくり座って見れなくなるくらいになってきました。何時までも特等席(本尊の正面)を占領しては悪いと思って、今度は立ち上がって各仏像の見仏を始めます。ふと時計を見るともう9時半。朝一番で冷え切った堂内で2時間過ごしていることに気付く。最後に各仏像に向かってサヨナラを言いながら、16体揃った最後の姿を目に焼き付けて法華堂を出ます。
外はそれまでと景色は一変、拝観者と鹿達で溢れかえっていました。
次に四月堂に突入。受付で朱印を預けて本尊の千手観音を見ます。ぐにゃりとした分厚い脇手、それがかえって今にも動き出しそうな錯覚を覚える。そして以前から気になっていた、横に回ってみると更に小さいスプーンのような脇手が申し訳なさそうに付いている。私は朱印を受け取りながら受付のオジサンに訊きます。
私「後ろから更に小さい脇手がありますが、あれは最初からあったものなんでしょうか?」
オジサン「ああ、あれはただの飾りです」とあっさり…
オジサン「この観音さんは飾りの手を除けて、四十二手が正しい姿です」
あらら…本来は真相千手だったのか?と思っていた期待がもろくも崩れ去りました。四月堂を出るとさらに気温が上がっていて、思わずシャツの腕をまくる私。


「石仏龕(せきぶつがん)」はもう「アバター」を超えています

次はどこへ行こうか…?(実は法華堂しか行先は決めていなかった)
そうだ十輪院に行こう、ここなら駐車場に近い。
まず駐車場に戻って三脚やお土産など重い荷物を置いて、近くにある十輪院に行きます。以前から「十輪院にある石仏龕(せきぶつがん)は独特の世界観がある」とネットお仲間から聞かされていたので是非見たいと思っていました。「石仏龕(せきぶつがん)」とは、手前にある引導石(いんどうせき)にお棺を乗せて死者を極楽に導くためにある石の廟だそうです。
十輪院は拝観者は私一人で境内はひっそりしていました。受付のオバサンにで拝観を申し込むとすぐ社務所から若いお坊さんが出てきました。本堂を開けていただいて入ることに。
石仏龕は本堂奥に祀られていました。
中央に弘法大師が彫ったと言われる石仏の地蔵菩薩中心に、左に釈迦如来、右に弥勒仏が彫られた石板が斜めに末広がりに置かれています。その左右を不動明王や四天王などが彫られた石板が配置され、龕(がん)の手前には引導石と呼ばれる、死者が収められた棺や遺骨を置く石板があります。
死者を極楽浄土に導く装置(ステージ)と言ったところか。見ていると凄い奥行きが感じられ、龕の向こうには本当に浄土の世界があるのではと?錯覚してしまいます。とにかく凄い立体感!そして中央のお地蔵さんの優しい表情!この世界観にグッときました!
私「す、凄い立体感ですね。映画館に行ったときに感じるワイド画面の迫力ですね。そしてこの立体感、例えがおかしいかも知れませんが、アバター以上でしょう」と興奮気味に語る私。
「そ、それはありがとうございます…」と返事に困るお坊さん。
以前はもっと近くや周りも見ることができたそうですが、石板なので風化が進んで今では石仏龕の周りは柵で囲まれています。「本当はもっと近くで見てもらいたいのですが…」とお坊さんの話に、保存か?拝観優先か?と東大寺法華堂の事を思い出したりして…
お坊さんにお礼を言って、本堂を出るときに入口にあった私の靴が外に向かって綺麗に並べ替えられていることに気づく。きっと受付のオバサンが預けた朱印を届けてくれるときに並べ直してくれたに違いない。
石仏龕にせよ、心遣いにせよ、このお寺イイ!
その時の青空のような澄み切った気持ちになって十輪院を出ました。


またしても「おたま」に逢えませんでした

次はどこへ行こうか…?まだ行ったことのないお寺…と奈良の観光ガイドを見ていると「白毫寺」が目に留まる。「新TV見仏シリーズ」で見た白毫寺。近くまで車で行こうか?しかしGWのこの時期、一旦車を出してしまって、近くで空いている駐車場があるか疑問がわく。目に付いた駐車場はどこも満車状態、「歩くか?」悩みながらも足は自然に白毫寺方面へ…
気がついた時にはもう高畑町、新薬師寺あたりまで来ていました。「ちょっくら一休み」&「もしやお願いしたら『おたま』さんに会えるかも?」という思いで新薬師寺に入ります。
「まずは『おたま』だ!」と、おたま地蔵の居られる離れの方に向かいます。すると「拝観は本堂で申し出てください」と貼り紙が。仕方なく本堂に入って受付のオジサンに訊く。すると「今は予約しないと拝観出来ないんですよ、すいませんな〜」と…(残念)
本堂で久々に見る十二神将と薬師如来。この世界観もイイ!
この時既に歩きすぎて足が痛くなってきたので、特に薬師さんには「最後まで脚がもつように」とお祈りしておきました。特別公開の「香薬師如来」(模造)も久々に見仏して新薬師寺を出ることに。さらに歩いて白毫寺に向かいます。


「地獄の裁判」を受ける

白毫寺の前に立ちはだかる坂&階段にもうハアハア状態でようやく到着。
受付で目にした「閻魔手ぬぐい」を思わずゲット!以前から欲しかったんです。
閻魔さんの顔がどアップで染められた手ぬぐい。「お部屋に飾られるんでしょう?」と受付のオバサンの問いかけに、「いえいえ、使ってこそ手ぬぐいですよ、その方が閻魔さんも喜びますよ」と返事する。チョイ驚いた表情のオバサンに朱印帳を渡して境内に入ります。『眺めのいい寺』の宣伝通り、本当にイイ眺めです。奈良平野を見渡して向こうに生駒の山々が良く見える。この景色を見ながら老夫婦がお弁当を食べている。気がつけば朝3時から何も食べていない。腹が減ってきましたが、我慢して宝蔵に入ります。
宝蔵の入って左手に居られる「閻魔王」・「司命・司録」の地獄の裁判員たち。その正面に座ります。「般若心経」を唱え終えてからじっくり見仏します。しかしなぜか「見ている」というより「見られている!」と感じてきました。いつのまにか自分が裁判を受けている…特に向かって右に居られる「司命」が怖かった。真っ白なお顔で細い目つきで筆を取り、私の今まさに受けている「裁判」の記録をしているように思えます、左には「おまえは生前こんな悪さをしてきたのか!?」と声をあげる「司録」さん、正面にはあの凄まじい表情の「閻魔王」が…
「怖い!」と感じてお地蔵さんの助けを仰ぎます。丁度都合のよいことに、裁判員の三人の右横に「地蔵菩薩立像」が居られましたので、そちらに向かって「お助けを…」と願い出る。しかしそのお地蔵さんの表情は、「慈悲」というより「意志の硬さ」が滲み出ている。それがかえって厳しい表情に思えて、「しっかり裁きを受け、罪を償うがよい」と逆に怒られているように思えてきます。
地獄の裁判員たちと地蔵さん印象があまりに強すぎて、他の素晴らしい仏像たち(阿弥陀如来や文殊菩薩など)の印象があまり残っていなかったのが悔いでした。


歩き地獄と空腹地獄

自販機で買ったペットボトルを片手に汗をかきながら、ならまち方面に歩いて戻ります。
お腹がすいて疲れも溜まってきたので、食事処を探しながら歩きましたが、目ぼしい処は全て満席状態。気が付くとなんと近鉄奈良駅付近まで歩いて、結局いつも「見仏クラブ」で利用するラーメン店(天下一品)に入ることに。キョーザ定食(ラーメン大盛り)で腹を満たして「空腹地獄」を脱した後、猿沢の池で休むことに。
池のほとりのベンチに座って次に向かうお寺を探すためにガイドブックに目を通す。すると長岳寺が現在、桃山時代に狩野派が描いた「大地獄絵」が特別公開中とか…先ほど既に白毫寺で地獄を見たのですが、この際「地獄繋がり」(どんな繋がりや!)で行ってみようと決意。
猿沢の池は修学旅行の学生で溢れかえっていました。
女子高生「先生、池をバックにうちらの写真撮ってーな!」
先生「アカン!制服ちゃんと着な撮らへんでー!」
女子高生「ちゃんと着るから!みんなはよ集まろうぜ−」
なんて関西弁バリバリのお下品な会話を聞きいて、思わず吹き出しそうになりながら、猿沢の池を発つことに。


また「地獄」を見る

ここからは車に乗って南(天理方面)向かいます。
20分ほど走らせて長岳寺に到着。
このお寺は実は25年ほど前にバイクで訪れたんですが、その時は本堂は開いておらず、ウロウロしただけで帰った記憶があります。
今回は本堂はもとより、地蔵院も開いているそうなのでまずはそちらに突入。中に祀られている「普賢延命菩薩」にグッときました!凛々しいお顔で多面多臂、数体の白象上にまたがり、その台座の下は更に何十体もの象に支えられている。凄い表現です!
次に本堂に入る。本堂内の壁に掲げてあった「大地獄絵」。数巻の巻き絵を繋げた地獄絵です。
人間が死んでから、地獄の裁判を受けて、三回忌を過ぎて極楽浄土に導かれるまでを描いた巨大な絵図(大きさは巻き絵を合わせて4m×11m)です。
解説のオジサンがパイプいすに座って「さあ、解らんことがあったら何でも聞いてくださよ〜」手ぐすね引いて待っている。
まず地獄の入口にいる「脱衣婆(だついば)」が怖い!裸のおばあさんで、三途の川にやってきた罪人の服を脱がせて丸裸にした後、三途の川に放り込む怖いお方。
「この人、脱衣婆って言うんですよね、怖い顔だ」って言うとオジサンが
「脱衣婆を知っている人ってまず居りませんな、アンタ詳しいなぁ」と。
「御住職が居ったら、もっと詳しく教えてくれるんですけどね」と言うオジサンに、人が死んでから三回忌で極楽から観音さんたちが迎えに来るまでのストーリーを簡単に説明して貰いました。
その中でなんと「阿修羅」を発見!なんと軍隊を率いて「風神・雷神」の軍隊と戦っているではないか!解説のオジサンに聞くと、生前に争いの絶えなかった罪人が落ちる「修羅道地獄」で、阿修羅に引き連れられて、わざと「負け戦」に駆り出されて、ボコボコにやられるという地獄。
負け戦にわざわざ駆り出される罪人も可哀想ですが、負け戦をさせられる阿修羅も可哀想…
「写真を撮っても良いよ」という解説のオジサンのお言葉に、申し訳なさそうにシャッターを押す私でした。
そして同じ本堂に居られた「阿弥陀三尊」にもグッときました〜
玉眼をはめた最古の仏像だそうで、「目が生きている!」藤原期の仏像ですが写実的で鎌倉期の先駆的な存在になるのか?本尊の阿弥陀さんの穏やかな表情がイイ。



今回のまとめ

今回は法華堂の16体との別れから始まって、後半はまさに「地獄まみれ」の一人ツアーになりました。
今回のツアーで感じたのは、十輪院もそうでしたが、かつては死後の世界と生きている人間との生活が密接にあったか(信仰されていた)ということ。いかにしたら地獄に落ちないか?どういう生き方をすれば極楽に行くことが出来るのか?ということが昔の人たちは常日頃から考えていて、浸透していたということがつくづく感じられました。
現代では、「地獄」や「死後の世界」なんてあんまり考えなくなっています。


長岳寺での地獄絵の解説のオジサンが最後に言っていた言葉
「最近の子供なんて『鬼』ってのは、豆まきの時にやられて逃げる『鬼』くらいしか知りまへんのやろなぁ〜」
って言葉が印象に残りました。(我ながら上手いまとめ方だなぁ〜)

家に帰って万歩計を見ると、2,3000歩も歩いていました…
翌日から「足が痛い」地獄が始まったことは言うまでもありません…

家に帰って見た万歩計。
2,3072歩も歩いていたなんて…

長岳寺「大地獄絵」より。
左に月と太陽(白と赤)を持った「阿修羅」の軍隊と、右に雲に乗った「風神雷神」の軍隊が戦っています!
わざと負け戦に駆り出される阿修羅たちが可哀想…

「閻魔てぬぐい」遂にゲット!
手ぬぐいのデザインもイイが、パッケージの袋のデザインも激シブだ!

25年ぶりに来た長岳寺の楼門。
25年前もこの場所で写真を撮りました。

■ 戻る

未明の阪神高速PAにて。
この時時刻は4時過ぎ、東の空がもうすぐ少しずつ明るくなるはず。

早朝の二月堂から見た眺め。
大仏殿の屋根が輝いていました。

2010年4月30日 一人見仏 さらば法華堂&奈良地獄めぐり
(東大寺法華堂〜十輪院〜新薬師寺〜白毫寺〜長岳寺)

白毫寺の境内からの眺め。
さすがは「眺めの良い寺」。

新薬師寺本堂。
青空が清々しかった。

朝日に照らされ始める東大寺四月堂。

十輪院の山門。




■ HOME