駐車場から見た達身寺の本堂。珍しく茅葺の屋根です。

達身寺の本堂奥にある収蔵庫の仏像群(お寺のパンフレットから)。
ただ圧倒されます…

達身寺の駐車場から見た丹波の田園風景。
最近こんな田舎の景色に癒される私。しかし寒かった…

大国寺の本堂(重要文化財)。
唐様と和様の折衷形式で、珍しいとのこと。

謎の仏像巡り

久々の一人見仏です。今回の目的地は丹波の古刹、「達身寺(たっしんじ)」と「大国寺(だいこくじ)」です。

達身寺は、以前NHKの「仏像100選」で紹介されていたお寺で、謂れが詳しくわからない、破損や風化が進んだ仏像群が祀られているとのこと。しかもその中に国の重要文化財指定が12体、県の指定文化財が34体もあり、別名「丹波の正倉院」と言われています。
大国寺には本尊の「薬師如来」。体躯は宝冠を乗せた大日如来、しかし印は定印(つまり阿弥陀如来)、しかしその手には薬壺が乗せられている薬師如来という不思議な仏像。これは天台教義の「一仏三体」を表しており、つまり「一つの像から三つの仏を見る」という思想を表していると言われている。
これら不思議な仏像達に逢いに行くために冬の丹波に向って車を走らせます。丹波地方って雪深い印象があるため、車にはスタッドレスタイヤを装着して向かいます。


仏像群に圧倒される

昼過ぎに姫路を出発。中国自動車道から舞鶴若狭自動車道を経て氷上ICを降りる、しかし雪がどこにもありません。でも外気は5℃と予想通りに寒い。しばらくして達身寺に到着。

駐車場から階段を上ってすぐにある本堂に到着。本堂の入口には「チャイムを鳴らしてください」と…
本堂の柱に取り付けてあるチャイムを鳴らそうとすると、入口の障子があいて中からおばさんが出てきました。
「さあどうぞお入りください」とおばさんに導かれるまま本堂奥の収蔵庫に導かれます。そこにはNHKでも見た破損仏が数十体所狭しと並んでいました。
なぜこんなに沢山の仏像たちが安置されているのか?いまだ謎だそうです。しかしNHKでも紹介されていました、ある郷土史家が唱えた「工房説」。この地に仏師集団がいて、各地のお寺に依頼された製作中の仏像がそのままこのお寺に遺された説。一寺に本尊として一体あればよい「兜跋毘沙門天」が十六体もあること、腕や頭の一部など寄せ木造りの仏像のパーツも多く遺された点も考えると「工房説」が有力か?と言われています。しかし古文書が何一つ遺されていないので確定は出来ないとのこと…
「それを証明できるのが、唯一生き証人と言えるこの仏像たちなのですね」と私。「そのとおりですね」と頷くおばさん。
でも仏像たちに問いかけても何も返ってきません(当たり前ですが)…
この仏像群の前に立つと本当に圧倒されます。
こちらから何も問いかけるまでもなく、破損が進んですでに口も無くなっている筈の仏像たちから何か語りかけてくるように感じます。
とにかく圧倒されまくりの収蔵庫を出て、次に宝物館に案内されます。
宝物館には収蔵庫配置されている仏像よりも大きめで、比較的保存状態のよい仏像像が安置されているとのこと。
宝物館の扉が開いた瞬間「おお…」って声が漏れてしまった…
正面の像高2mを超える「阿弥陀如来」を中心に仏像たちが並んでいる。ここでも圧倒的迫力でこちらに迫ってきます。言葉が出ない…
特に私がグッときたのは「地蔵菩薩坐像」。目・鼻・口が中央に寄り気味で、童子のような顔立ちですが、強い意志も備わっているように見える。衣の流れも繊細で、達身寺の他の仏像のおおらかな造りと一線を引いている。
「この地蔵さん、一目しただけで好きになりました」と私が言うと、おばさんが「あら、あなたもですか?」と。
なんでもこのお地蔵さん、今回は所用で不在だった御住職もお気に入りだそうで、おばさんによると御住職の名刺にもこの地蔵さんがプリントされているとのこと。
「どうぞごゆっくり見ていってください」とおばさんは私を残して社務所に帰っていく。一人残された私に、周りを囲んだ仏像たちから発せられる気に怯えながらも一体ずつ見ていくことに。「十一面観音」や「兜跋毘沙門天」をはじめ立像の殆どが、「ぽっこり出たお腹」、いわゆる「達身寺様式」でチョイユーモラス。
この宝物館だけでも3体の「兜跋毘沙門天」が居られます。そのうちの一体、国の重要文化財のお方が凄い。両腕が無く、下で支える地天女も破損が激しくお顔が確認できないほど傷んでおられますが、凄まじい「睨み」で圧倒されます。特に目が怖い。
次にグッときた「十一面観音」。うつむき気味、そして素朴で湖北の点在するお方たちに通じる親しみやすさ。頭上の十一の化仏の顔は全て「面」だけで表情が判らない。これは「習作」あるいは製作途中で、化仏の顔を彫りこむ前に捨て去られたのか、それとも風化が進んで面相が無くなったのか判りません。「習作」であるのならこの地の「工房説」がやはり有力か…
しかしおばさんの説明で聞いたが、私も尊敬する西村公朝先生が以前この寺を訪れたときに「これらは客仏ですね」って一言行っていたそうな…
いずれにせよ想像を膨らませる仏像群であることは確かです。
暫くして足底が寒さで痺れてきました。そろそろ帰ることにします。社務所による前にもう一度、本堂奥の収蔵庫に行って仏像群を見る。その時気になった像として、顎鬚を生やした「神像」っぽい座像を発見。しかも円空っぽい鉈彫り(ノミの跡を残す)ではないか!他の像には「如来形像」とか「観音像」なんどと札が立てかけているのですがこの像だけはない。
社務所に行っておばさんに朱印を貰いながら聞いてみる。
「その仏像はみなさん気になって聞いてくるんですよ。でもよくわからないんですよね」って…
「温かくなったら植えた花が咲き始めますので、またおいでください」というおばさんに厚くお礼を言って本堂を後にします。


御住職に圧倒される


達身寺から車で40分くらい走って大国寺に到着。
駐車場から境内に入ってみると人影がない。
丁度入口で造園業者らしい二人の作業者が庭の整備をしていました。社務所に行って、入口にあるチャイムを鳴らしても反応がない。
困っている私を見てか「御住職、さっき子供を連れて出て行ったっけ」という作業者同士のの話し声が聞こえる。


拝観時間は16:00まで。時計を見ると16:00前になっていました。
「もうだめか?」と思いつつ、私はガイドブックに記載された電話番号に連絡して暫く待っていると、軽トラックが境内の駐車場に飛び込んできました。中から頭にタオルを巻いて作業服を着た男性が出てきました。業者のオジサンかと思ったら「すいません、拝観の方ですね、お待たせしました」って話しかけてくる。このお寺の御住職のようです。
なんでも子供をサッカーの練習に連れて行って、そのまま近くで水道管の修理をしていたそうな。
「いえいえ、こちらこそこんな時間に突然やってきてすいません」と頭を下げてあいさつする私。
早速御住職に本堂のカギを開けてもらって拝観することに。
重要文化財の本堂内部、内陣の中に5体の仏像。
本尊の「一仏三体」の思想を表した「薬師如来」。左に「阿弥如来」、右に「胎蔵界」の印(法界定印)を持つ「大日如来」。左右を「増長天」と「持国天」が守っている。いずれも藤原期の作だそうです。今回は御住職と一緒に内陣まで入れてもらいました。
まず本尊の薬師如来を見る。確かに宝冠を被り、「二重円相光」の光背など大日如来の特徴だ。しかし印は「定印」。その手には薬壺が…初めて見る珍しい仏像です。御住職も「丹波に訪れた専門家たちはまずこのお寺を訪れてこの仏像をみますよ」とのこと。
次に本尊左の阿弥陀如来にグッときました。美男子系のお顔ですが、指が細く繊細な表現に、時代は違えど奈良の西大寺の「四方四仏」の如来を思わせる。これはきっと名のある仏師集団が作ったんだろうなぁと御住職に聞いてみると、「ここから京都までは近くて、一日か二日あれば通えるので、名のある仏師を呼んで作らせたんでしょうね」とのこと。
そして四天王ではなく、「二天」で守っているのも御住職によると「増長天が口を閉じ、持国天」が口を開けているので、仁王のように『阿吽』で守っているということでしょう」とのこと。
そこから御住職のオンステージが始まる。仏像の説明から大国寺の縁起、本堂の建築様式の説明、そして天台教義に到るまで一気に説明してくれるのでこちらは「はい、はい…」と返事をしたり頷くことしかできません…
しかしその話の中には、このお寺の良い所をもっと知ってもらおうとする熱い気持ちがヒシヒシと伝わってきます。
「このお寺は、檀家さんは居られないので、祈祷料と拝観料で維持するのは大変です」と…
確かに境内には花を植えたり、茶室を作ったり、境内を整備や維持して努力をされているのが伝わります。

「しかし最近の子供たちって中々言うことを聞いてくれませんなぁ〜さっきサッカーの練習見てきましたが、ダラダラして時間を守ってくれない」なんて突然御住職がぼやいたりして…寺とまったく関係ない話で盛り上がる二人…
屈託のない笑顔の御住職ともっと話をしたかったが、時計を見るともう17時前。私もそろそろ帰らねば…

小高い位置にある本堂から見る夕日に照らされた丹波の町並みは、寒さを忘れさせるほど素敵でした。

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2010年2月20日 一人見仏 丹波の古刹巡り
(丹波  達身寺 〜 大国寺)

境内で見つけたかわいい像。
木魚に小坊主が乗っております。

宝物館(お寺のパンフレットより)。
三尊は江戸時代に修復されて黒漆で衣が塗りなおされているそうです。

宝物館で私がグッときた「地蔵菩薩坐像」(お寺のパンフレットより)。




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