騒がしいお地蔵さんに逢いに行く

第4回目の姫路市内の自転車石仏巡りです。
今回も姫路市の文化財パンフレットをお供に自転車で走ります。
今回は荒川地区に居られる西庄地蔵石仏、別名「ガチャガチャ地蔵」と言われるお方。
パンフレットによると、西庄集落の西の山腹の断崖の岩陰に祀られており、古老の話によるとこの地蔵さんを村中に移したところ、元の所に帰りたいと夜中にガチャガチャガチャガチャゆれて音を出したので、元の岩場にもどったと言われている…なんとも騒がしいお方です。
そして1367年作で、姫路市の地蔵石仏では最古の部類に入ると言われているお方。
これは会わねばなりなせん、朝一番涼しい内に自転車に乗って行きたかったのですが、起きてみると生憎の雨。雨が上がるまで2時間ほど待って、朝9時の出発となりました。
夏の終わりですが、まだまだ暑い。30分ほど汗だくになりながら走ってようやく、西庄の西にある空き地に到着。ここから自転車を置いて更に山道を歩いて登っていきます。山道は階段状になっていて歩きやすいのですが、歩くたびに「ガサガサ」と、何処かで生きのもが動めく音が(たぶんトカゲや蛇でしょうね)…。雨上がりで滑りやすいので、トレッキングシューズを履いていて正解でした。5分ほど歩いてようやくお地蔵さんの元に到着。
岩肌に削られたくぼみにチョット仰向けに傾けられて立っておられました。1メートル足らずの大きさで、下にさらに小さいお地蔵さんたちを従えていました。800年近く前の制作なのに、それほど傷んではおらずお顔の表情もよく残っております。長い間岩陰に居られるので、風雨や直射日光による影響が少なかったためだと考えられます。
お顔をよく見ると、目を閉じてお休みのようです。右手に持つ錫状や左手の宝珠は赤い前かけで見えないのがチョイ残念です。


お城を見たかったのか?

このお方が夜な夜なガチャガチャ暴れていたなんて…やっぱり「夜行性」なんでしょうかね…?
しかし何故この場所に帰りたくてガチャガチャ騒いだのだろうか?
私はこのお地蔵さんの目線、つまり今見ている景色を見てみると…現在は木が鬱蒼と生い茂り、下界の景色は伺い知れませんが、木の枝の隙間から時より見える風景には、丁度お地蔵さんの眼先に姫路城があるではないですか!
そうかもしやこのお地蔵さんはお城が見たくてこの場所に帰りたかったのか…?だとすると今は目の前の景色が見えなくて、夜中に「もって景色のいい場所に移してくれい」とガチャガチャ騒いでいるかもね…なんて想像していると、ヤブ蚊の大群が私を襲ってきたので、そろそろ山を降りることにします。
自転車に戻ってポカリスエットを一気に飲み干す。


夜啼き地蔵に逢いに行く

帰る途中、まだ時間があったので、私の住む手柄地区に居られる「夜啼き地蔵」にもお逢いすることに。
パンフレットの地図によると、なんと私が住んでいるマンションの「眼と鼻の先」状態の場所に居られました。なんせこの地から私の住むマンションが見えるくらいの距離なのです。
またまたパンフレットによると…室町時代応仁の頃、敵討の武士に父を殺され、母を連れ去られた乳飲み児が夜な夜な母を恋して泣きやまなかったが、母の尊んでいた地蔵に助けられ、乳を呑んだという。乳の出ない婦人の参詣者が多かった言われております。
高さ1メートルくらいのお方で、風化や傷みが進みお顔の表情は全くうかがい知れません。縦や横に亀裂が入り、それをコンクリートで固めて修復している状況。「立っているのがやっと」といった感じで痛々しいです。
しかし足元には小さい赤ちゃんのようなお地蔵さん達が沢山祀られていて、赤ちゃん地蔵たちの「お母さん的な存在」に見えます。夜な夜な夜啼きする赤ちゃん地蔵たちに乳を呑ませているのだろうか…?
地元の人たちに今でも愛されている様子が感じられました。


今回の走行距離は約10キロ。
未だ見ぬ地元の文化財を、パンフレット片手に自転車でブラブラ巡るツアーは続く。

この広場から続く山道を登って行きます。

夜啼き地蔵。私の住むすぐそばに、こんな謂れのある石仏があったとは…

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左:西庄地蔵石仏、別名「ガチャガチャ地蔵」。昼間はゆっくりお休みのようです。
右:「夜啼き地蔵」。やはり赤ん坊が好きなのか?小さい地蔵に囲まれています。

視線の先、遠くに見える姫路城。お地蔵さんはお城を見たかったのか…?

09年8月29日 第4回自転車石仏巡り  騒がしいお地蔵さん
( 姫路市 西庄地蔵石仏〜夜啼き地蔵)

お地蔵さんとツーショットの汗だくの私。
お地蔵さんが見ている風景を見る。




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