対する阿形(あぎょう)。
力の漲る硬そうな体と、柔らかい衣の流れが対照的。これも見どころです。

吽形(うんぎょう)。
顔の中央に寄り過ぎている目・鼻・口、そしてありえない血管の浮き出し方など…これも視覚的効果を高める為の手法か?さすがは慶派!

ダ・ヴィンチにも見てほしい  金剛力士 (奈良 興福寺) .
※ここに掲載する写真は朝日新聞社「日本の国宝」第五巻からスキャンしたものです。まずかったらまずご一報を。                                
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興福寺の国宝館にいる国宝「金剛力士立像」のお二人です。
慶派の仏師である、定慶(じょうけい)作といわれ、慶派の仏像らしく写実性に富み、私は「リアリズムの終着駅」といつも感心する仏像です。

しかし私は本当の「リアル」とは思ってはいません。
血管の浮き出し、胸から肩にかけての筋肉など…一般的に見れば写実的に見えますが、よく見てみると、人間の本来の人体構造から明らかに違う部分も見ることができます。

阿形の短すぎる首、浮き出た血管の位置、中央に集約しすぎる目・鼻・口、胸の筋肉に浮かび上がるはずのないアバラ骨…数えたらきりがありません。
では鎌倉時代当時の解剖学は、「いい加減」だったのか?といえばそうではなく、当時は先進国の中国(宋)から医学など多くの技術が日本にもたらされていたはず。

しかし「リアルじゃないけど、リアル!」って思えてしまう。
そこにこの仏像を彫りあげた、仏師集団「慶派」の狙いがチラチラ見え隠れするのです。

このお二人の前に立つ。
金剛力士たちの力の漲る形、怒りの表情。見ているこちらも硬くなります。
力のオーラは外に向かって出ているのではなく、彼らの内面に押し込められているように思えてしまう。
例えば、自ら引力を発生する地球の内部、特にマントルから核にあたる部分は、何十万気圧という、地上に住む私たちには、考えられないような気圧になっているという。同じようにこの金剛力士たちの中にも、私たちには想像もつかないような、圧力(または怒りの力)が押し込められている、そう感じてしまうのは私だけだろうか…?
その内部で沸き上がる力を、視覚レベルで訴えているから、こちらも硬くなってしまう、そう思えるのです。
つまりツイツイ真似をしてしまうのです。これはこの金剛力士以外にも、同じ慶派の仏師が作り上げた、六波羅蜜寺の「空也上人像」にも言えると思います。
空也さんの前に立つと、思わずこちらも腰を後ろに引いて、口を開けてしまいそうになってしまう(私だけか??)…
平安後期〜鎌倉時代にかけて慶派が中心になって造られた仏像。それ以前の仏像は、ふくよかであったり、腕が長かったり(それはそれで仏教の教義的には意味があるのですが)…人体とはかけ離れた体躯の仏像が多かったせいで、こういった慶派の「より写実的」な仏像が突然現れると、思わず「おお!リアル」と言ってしまいそうになったのでは…
今になれば慶派の仏師たちの「俺たちだって、もっとリアルに造ろうと思えば出来たわけよ。それよりも視覚的にリアルに訴える仏像こそが、我々のネライなのよ」って言う自慢げな声が、天上界から聞こえてくるようで…。

近世のヨーロッパに忽然と現われた、天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。
彼は解剖学にも精通していて、実際に遺体を解剖してスケッチをとり、それを絵画や彫刻にも生かして「人体」を忠実に再現して見せている。
すなわち「リアリズムの終着駅イン・ヨーロッパ」と言っていい。
そのダ・ヴィンチにも一度この金剛力士像を見てほしいと思う。
そして感想を聞いてみたい

「こういった『リアリズム』の表現もあるのよ」慶派の声が聞こえそうです。

これぞ「視覚に訴えるリアリズム」VS「解剖学に基づいた忠実再現のリアリズム」か…




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