熱き論争する二人  維摩居士&文殊菩薩坐像(奈良 興福寺) .

自信ありげに熱く語る維摩居士(ゆいまこじ)さんとそれを落ち着いて聞く文殊さん。
まさに仏教界の「タイトルマッチ」か?お互いの威信を掛けて引くに引けません。

奈良興福寺の東金堂。本尊の「薬師三尊」を挟んでこのお二人は鎮座されています。
国宝「維摩居士(ゆいまこじ)坐像」と同じく国宝の「文殊菩薩坐像」のお二人です。

『維摩経(ゆいまきょう)』という経典にある、「文殊利問疾品(もんじゅりもんしつぽん)」に説かれている話…
仏教の教理に極めて詳しい維摩居士という資産家(実は菩薩の化身)がいて、ある日病気にかかる。それを聞いた釈迦は、自分の弟子たちを見舞に行かそうとする。しかし弟子たちはかつて維摩居士と問答で高度な教理にやり込められた苦い経験があり、だれも行こうとはしない。
そこで「文殊の知恵」と言われるほど知恵の豊富な文殊が行くことになったわけです。
じつは維摩居士は病ではなく、「生きている者が病むから私も病む」という思想的な問題を提示して、大乗思想の核心について文殊と熱き問答を展開するのです。

維摩居士は、信仰心の厚い実業家であり、「現実社会」「実践」を重んじる考えの持ち主。
だから文殊たちのように、ただじっと坐って瞑想にふけってばかりいるような人たちには、納得がいかなかったでしょう。

この東金堂に居られるお二人を見ても、それがよく分かります。

「維摩居士坐像」。
写実的で、まさにそこに実在の維摩居士さんが座っているかのようです。慶派の流れを汲む仏師、「定慶(じょうけい)」の作といわれており、額に浮き出た血管、顎に表されたしわも超リアル。口を開け「文殊よ、ワシの話をよく聞くがよい」って自信ありげな声が聞こえてきそうです。まさに「現実社会」を重んじた維摩居士らしい造形です。まさに「実践派」。

対する「文殊菩薩坐像」。
リアルな造形を追求した、「維摩居士坐像」とは対照的に若々しくおおらかな造形。ただじっと維摩居士の話を聞いているようで、反撃のチャンスを伺っているような余裕の表情にも見える。

結局、維摩居士は保守的な大乗仏教の教えを批判し、究極の境地を立ったまま沈黙によって示します。これを見た文殊は感激したそうな…
経典の本義は私にはまだまだよく分りませんが、この対照的な造形は、両者の緊迫した問答の応酬をよく表現しています。

現在お二人は東金堂にて正面に向かって座っておられるので、いっそのことお二人を一つのお堂に向かい合わせに置いて、とことんまで論争をさせてあげたいと思う今日この頃です。経典では維摩居士に軍配が上がったそうですが、興福寺ではどうなるか…?

まさに仏教界の「知恵と知恵」を掛けたタイトルマッチか(?)

若々しい文殊に対して老獪な維摩居士。
この対比も見ものです。
しかし興福寺の東金堂に入る度、身が引き締まり、何故か緊張するのは、このお二人のせいなのか…?そう思えてしまいます。

■ BACK
■ HOME
※ここに掲載する写真はパンフレットや雑誌等からスキャンしたものです。まずかったら訴えずにまずご一報を。                                



■ HOME