豆知識



テディベアのルーツとクマのプーさんの関係は


テディベア(Teddy Bear)のルーツ
世界中で大ヒットした小熊のぬいぐるみ(テディ・ベア)はドイツ南部の小さな街ギーンゲン(GIENGEN)のおもちゃ工場で、1903年に生まれました。
テディ・ベアの生みの親はマルガレーテ・シュタイフ(1847-1909)。彼女は建築職人の三女としてギーンゲンに生まれました。しかし生後間もなく小児マヒにかかり、右手と両足が不自由で生涯車椅子の生活を送らなければなりませんでした。しかし、マルガレーテはこの障害を乗り越えてぬいぐるみを作り、ついには自分の工房を持つまでになります。この工房は甥のリヒャルド・シュタイフがデザインしてマルガレーテが製作するというスタイルで運営されていました。
運命のテディベアの誕生は、ある時リヒャルドが、手足が動き本物の毛皮で作ったクマのぬいぐるみを提案したことに始まります。1903年、できあがったクマのぬいぐるみを彼らはライプチヒの見本市に出展します。しかし展示場での評判は散々でした。リヒャルドは落胆して展示していたぬいぐるみを全て片付けてしまいますが、アメリカ人バイヤーのハーマン・バーグが何も展示していない棚を見て不信がります。リヒャルドは渋々くまのぬいぐるみを彼に見せたところ、彼は「これこそ自分が探していたものだ」とその場で注文を出しました。そうして、アメリカで販売したところ、またたく間に世界中で大ヒットすることになったという事です。

テディ・ベアという名前は、アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルト(1858-1919)がクマ狩りに出かけたとき、小熊を見つけたが、撃ち殺すことができなかったというエピソードが世界中に報じられてから、小熊のぬいぐるみのことをルーズベルト大統領の愛称テディから取ってテディ・ベアと呼ばれるようになったそうです。

クマのプーさん(Winnie The Pooh)との関係
1926年にイギリスの作家アラン・アレクサンダー・ミルンが息子のクリストファー・ロビンと子供部屋のぬいぐるみ達をモデルに書いた世界的な児童文学の傑作として名高いこの物語は、ディズニーの映画にもなっていて、私達にも馴染みが深いものです。
クリストファー・ロビンのテディ・ベアは彼が1歳の時に母親がロンドンのハロッズで買い与えたものです。彼はこのベアに「プーのウィニー」という名前を付けました。
ミルンが書いた物語の舞台は、ロンドンから南東60kmに位置するハートフィールド村の近くにあるアッシュダウンの森です。登場人物(動物?)は、くまのプーさん、クリストファー・ロビン、ロバのイーヨー、子豚のピグレット、ふくろうのオウル、ウサギのラビット、とらのティガー、カンガルーのカンガとルーです。
今、クリストファー・ロビンのテディベア「プーさん」とその仲間のぬいぐるみ達はニューヨーク公立図書館に所蔵されています。