英国の歴史



ヘンリー8世と6人の妻達について


6人もの妻をもった王は長いイギリス王室の歴史の中でも、この人ただ一人です。ロンドン塔にあるヘンリー8世の鎧の前のふくらみの大きさを見ると、その絶倫だったことが伺えるらしいです。身長も歴代の王の中では、最も大きかったようです。(もしかしたらウィリアム王子が彼を超えるかもしれませんが・・・)

(1)キャサリン王妃 (1509-1533) Catherine of Aragon ( 1536没)
スペイン王家の出身であるこの王妃はヘンリー8世の兄アーサーの後家で 1509年にヘンリー8世の王妃となっていました。キャサリンとの間には、 王女メアリーしか子供ができませんでした。その当時イギリスでは女系への 王位継承は認められていなかったため、1527年にヘンリー8世はキャサ リンとの離婚を決意します。 当時、ローマカトリック教会では、離婚は認めれらていなかったため、専制 君主のヘンリー8世は、英国国教会を設立してローマ教会と決別すること で離婚を強引に実行しました。(とんでもないヤツだ!) この結婚に反対したトマス・モアは斬首されて、ロンドン橋にさらし首にされ ています。(シェークスピアの「サー・トマス・モア」をご参照の程)

(2)アン・ブリン (1533-1536) Anne Boleyn(1533没)
侍女であった彼女のに手を出したのは好色のヘンリー8世でしたが、 結婚を強く迫ったのはアン・ブリンの方だったと言われています。 1533年にアンが懐妊したため(要は出来ちゃった結婚ですね)、もともと キャサリンとの結婚はなかったことにして、アンと結婚してしまいます。 この年に生まれた女児が後のエリザベス1世(あのスペイン無敵艦隊を破 った)です。 その後、アンは男児を流産してしまい、これを境にヘンリー8世の寵愛は覚 めてしまいます。

(3)ジェーン・シーモア (1536-1537) Jane Seymour ( 1537没)
この名前を聞くと、アメリカのTV番組「Dr.クイーン」の主演女優を思い出し ますね。 それはさておき、アン・ブリンの女官であったジェーンと関係を持つように なったヘンリー8世にとって、アン・ブリンは邪魔者でしかなく、不貞の罪を 着せて、ロンドン塔に送り処刑してしまいます。このとき、アン・ブリンの近し い人達の多くが密通の罪で処刑されました。 ヘンリー8世はアン・ブリンの処刑の10日後にジェーン・シーモアと結婚式 を挙げています。(全く、恥じも外聞もないとはこのことだ!) しかし、ジェーンは1537年にエドワード王子を出産しますが、産後の肥立ち が悪く、急逝してしまいます。

(4)アン・オブ・グレーブス (1539-1540) Anne of Cleves (1557没)
ヘンリー8世はジェーンの亡き後、しばらく独身を続けていましたが、1540 年にアン・オブ・グレーブスと結婚します。これは政略結婚で、王は一度も 彼女と寝室を共にしないまま、半年後に離婚します。

(5)キャサリン・ハワード
(1540-1542) Catherine Howard (1542没)
アン・オブ・グレーブスと離婚した同じ年の7月に、アン・ブリンの従姉妹にあた るキャサリン・ハワードと結婚します。この当時王は49歳。キャサリン・ハワード は30歳も若い妻でした。しかし、キャサリンは弁護士や従兄弟と不倫の関係 をもって奔放な振る舞いをします。当然、彼女の所業は王の知るところとなり、 1542年にアン・ブリンと同じ場所で処刑されてしまします。

(6)キャサリン・バー (1543-1547) Catherine Parr (1548没)
キャサリン・ハワードの処刑の一年半ほどもたって、ヘンリー8世は最後の王妃 となるキャサリン・バーと結婚します。キャサリン・バーは類稀な才女でしたが、 今度はヘンリー8世が梅毒が元で1547年に57歳の意外と短い生涯を終えた のでした。