英国の歴史



「ばら戦争」の人間関係は


1455年から1485年の30年間にわたって「赤ばらランカスター家」「白ばらヨーク家」とが王位をめぐって争ったのが「ばら戦争」です。(ここまでは世界史で習いました。以下に関係を述べますが複雑なのでランカスター家を赤ヨーク家を青で示します。詳しくは王室の家系図をごらんください)

そもそもは、1399年にエドワード3世の孫である正当な後継者リチャード2世(エドワード3世の長男エドワード黒太子の息子)を従兄弟のヘンリー・ボリングブルック(エドワード3世の四男ランカスター公ジョンの息子)が廃位に追い込みヘンリー4世として王位についた事に端を発しています。

ヘンリー4世の息子ヘンリー5世は武勇に優れ、「アゼンクールの戦い」で仏軍に大勝しフランス王につくなど、国威昂揚に貢献しました。(百年戦争)
しかしヘンリー5世は若くして急逝し、1歳の息子ヘンリー6世が王位につきます。ヘンリー6世は武勇のかけらもなく戦争を嫌って学問に没頭します。また彼は狂王シャルル6世(仏)の孫にあたり、かれ自身も精神を病んでいたとも言われています。
これにつけこみエドワード3世の五男ケンブリッジ伯エドモンドの孫ヨーク公リチャードが反乱を起こします。
リチャードの母アンはエドワード3世の3男クラレンス公ライオネルの曾孫だったので、長子継承からいってエドワードV世の三男の裔ヨーク公爵家の方が四男の裔ランカスター公爵家よりも王冠に近いというのが、ヨーク公リチャードの反乱の大儀名文でした。

1455年、「セント・オールバンズの戦い」でヨーク家軍がヘンリーY世の王妃マーガレット率いるランカスター王家軍を破り、ヨーク公リチャードの長男エドワード4世が王位につき、「ばら戦争」が勃発します。

ランカスター家を壊滅的状態に追い込んだヨーク家でしたが内紛によって自滅していきます。長男エドワード4世が病に倒れ余命幾ばくも無いことを知った四男リチャードは、1478年に三男のクラレンス公ジョージを無実の罪をきせて殺します。1483年にエドワード4世が崩御すると、幼い二人の王子エドワード(12歳)とリチャード(9歳)を共にロンドン塔に幽閉して殺害し、1483年にリチャード3世として王位につきます。(シェークスピア「リチャード3世」を観てね)
リチャード3世の謀略によってヨーク家は自らの手で王位継承者を根絶やしにしたことになります。
ただし王子達の殺害にリチャード3世が関わったのかどうかは史蹟がありません。二人の王子はいつの間にかいなくなったという事になっており、真実は今も謎のままです。ちなみにロンドン塔に王子達が幽閉されていた塔は「ブラッディ・タワー」と呼ばれ今も残っています。

1485年、「ボズワースの戦い」で赤ばらランカスター家の最後のプリンス、ヘンリー・チューダリチャード3世を打ち破ってばら戦争を終結させました。これによりヘンリー7世として王位につき、チューダ王朝が始まります。
戦争終結の翌年、ヘンリー7世エドワード4世王妃エリザベスの長女エリザベスを王妃に迎えて赤ばらと白ばらを一つに結び、両家の争いに終止符を打ちました。