「誰か教えて!」の回答集

イギリスと九州のつながりって?? (00/05/23)
久しぶりのFeです。今日、新聞を読んでいたら、イギリスの大使が、サミットがてら、我が熊本の潮谷知事(熊本で初!!の女性知事)を訪問するそうです。新聞によると、「イギリスは九州と深いつながりがあるので、とても嬉しい」とか言うコメントが(イギリス大使から)あったそうです。九州とイギリスのつながりって何?知っているひと、いませんか?(よく考えたら私は地元民なのに・・・。)(TT)
Feさんの質問)

ぱぐさんの回答(00/06/06)
 九州と英国の関係はいろんなところにあります。鎖国前後と幕末が主です。
・1600(慶長5)年、オランダ船リーフデ号が豊後(今の大分県)臼杵に漂着したが、その中に英国人ウィリアム・アダムスがいた。彼は徳川家康に外交顧問として仕え、三浦按針という日本名をもらっている。これが英国と日本の最初の接触。今年オランダと日本は修好400年ということでいろんなイベントが行われていますね。天皇ご夫妻もオランダに行かれましたし。
・1613(慶長18)年、英国の東インド会社が肥前(今の長崎県)平戸に商館を設立するが、オランダとの競争に負けて1623(元和9)年に閉鎖退去。
・1808(文化5)年、オランダ船を追ってきたフェートン号が長崎に侵入。
・1863(文久3)年、鹿児島で薩摩藩と英国東洋艦隊との間に薩英戦争が起こる。前年の生麦事件(薩摩藩士が横浜付近の生麦で英国人を殺傷した)が原因。和議後、薩摩藩はかえって英国と提携し、倒幕への大きな勢力になる。  
以上、『日本史辞典』(角川書店)から拾ってみました。  
ほかに、幕末長崎で活躍した政商トーマス・グラバーは長崎に屋敷を構えていました(有名なグラバー邸)。彼はスコットランド人だそうです。  
薩摩藩はご存じのように明治政府で大きな勢力になりますが、藩の命令で英国に留学しのちに官僚などになったひとがたくさんいるはずです。たとえば文部大臣になった森有礼など。  
英国大使館から毎年発行されている『Quality Britain』という雑誌がありますが、その1997年版に「日本に生きる英国」という特集があり、くわしく載っているので参考になると思います。「UK NOW」のサイトにバックナンバーの情報がなかったかな?  
熊本のことがなかったので付け加えると、夏目漱石は熊本の第五高等学校に在職中、政府から英国留学を命じられています(1900=明治33年)。帰国後は東京に戻ってしまいますが。まだあるかもしれませんけど、私が思いついたのはこれだけでした。