レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

「ファミリーコンピュータ」

種  別:ROMカートリッジ式家庭用テレビゲーム機
メーカー:任天堂


 いわずもがなの80年代最強の家庭用テレビゲーム機である。
発売は1983年、本体発売時に同時リリースされたソフトは、任天堂の当時がリ
リースし、当時ゲームセンターで人気のあったドンキーコング、マリオブラザ
ーズなどが中心だが、家庭用であることを配慮して大人向けに麻雀、五目なら
べなども発売された。
 これは、子供だけでなく、大人も楽しめるように、文字通り「ファミリー」
向けの戦略の為だろう。

 後に世界中を席巻することとなるファミコンだが、始めから陽の当たる道を
歩いていたわけではない、当初任天堂は、主にパソコンゲームやアーケードゲ
ーム用のソフトを開発していたメーカーにファミコン用ゲームを開発してくれ
るように頼んで回ったが、「そんなおもちゃは相手に出来ない」と門前払いを
食った、というエピソードが残っている。

 しかし、ファミリーコンピュータは発売から1年余りしか経っていない1984
年暮れからブームとなり、1985年頃には既に国民的テレビゲーム機へと成長す
る。
この成功の直接的な理由は、ハドソン、ナムコを始めとする有力サードパーテ
ィを招聘することに成功したことや、任天堂自身がリリースした、メガヒット
ソフト、スーパーマリオブラザーズの存在は外せないが、そもそもファミコン
がビデオゲームのみに特化された非常に優秀なゲーム機であったことが最大の
要因だとおいらは思っている。

 1983年、ファミコンが発売された当時、ファミコンの性能は家庭用ゲーム機
としては驚異的なものがあった。
アーケードから移植されたドンキーコングや、マリオブラザーズはほぼそのま
まのクォリティで家庭で再現できるゲーム機というのは当時は夢物語だった。
ホビー用ゲーム機どころか、数十万円もする高級パソコンですらアーケード並
のクォリティのゲームリリースが不可能だった時代に、それを実現させたのが
僅か1万4千8百円のファミコンだったのだ。

 中学1年生くらいの時に、偶然インタビューを受ける任天堂の山内社長をテ
レビで見たことがあるが、そのインタビューの中で最も印象的だったのは、
「家庭用のパソコンというのは、なんでも出来ますよ、と言って売るでしょう?
ところが実際には、何かをするには大変な勉強や余計な出費が必要なわけです
よ、そこまでして何ができるかっていうと、大した事はできない。ウチは始め
からこれはゲームで遊ぶ為のものですよ、と言って売ったんです。だから、あ
とはそのゲームの内容がお客様の期待以上だったか、期待以下だったか、とい
う事だけなんですね・・・。」15年前の記憶なので、言葉の細かい部分は違
っているかもしれないが、内容はほぼこの通りのはずである。

 ここでいう「家庭用のパソコン」というのは当時の状況からしてMSXの事
だと思われる。当時おいらはファミコン、MSX両方のユーザーだったが、こ
の意見はもっともだと思った。

 実際あの当時のパソコンで何かをする、例えば絵を描いたり、ビデオの画像
処理をしたりしようとすれば、本体と同額くらいの金額をその為につぎ込まね
ばならず、それでどれ程の事ができるか?といえば、お世辞にもかけた金額と
同等の満足が得られたとは言いがたい。
しかも、パソコンは拡張性を考慮している為に、あらかじめさまざまなスロッ
トやポートが装備されており、その分が本体価格に跳ね返ってくる。
勿論、ある程度自由にやりたい事が出来るパソコンは、その意味で存在価値は
充分にあったが、殊テレビゲームに関してファミコンと張り合うには分が悪過
ぎた。
「ゲームをすること」に特化されたファミコンの強みはここにある。


 おいらは一番長く、そして密接に付き合ったゲーム機としてファミコン、そ
して任天堂という会社のことは嫌いではない。
しかし、ファミコンと任天堂がもたらしたものの全てが良いと思っている訳で
はない。
何よりも、ファミコンがゲームソフトの単価を跳ね上げたのは事実である。

 ファミコン発売当初、任天堂から供給されていたゲームソフトは3800円
だったが、ハドソンの参入の頃から突然旧作も合わせて最低価格を4500円
に値上げしている。
その後はある程度の大作になると1本当あたりの価格が5500円にまで跳ね
上がり、ファミコン全盛期はサードパーティ製のソフトでも6500円くらい
は当たり前になっていた。

 この傾向はスーパーファミコンでも続き、スーパーファミコンのゲームは一
時期、定価9800円という価格が珍しくない程に高騰した。
ソニーが5800円という価格設定をぶつけて来なかったら、ニンテンドウ6
4ではさらに高騰していたのではないかと思う。

 ちなみに初代ファミコン当時、単品のゲームソフトとして最も高価だったの
は、おいらの知る限り光栄の三国志の1万4千8百円という価格であり、これ
は何とファミコン本体と同額である。
昔の光栄は、家庭用ゲーム機だろうとお構いなしに、パソコン版と同じ価格に
設定していたが、光栄のゲームはそもそもが家庭用ゲーム機に「向いていない」
その上、光栄自体、あまり家庭用ゲームを開発することを得意とはしていない、
その為そのクォリティはパソコン版に比べてお世辞にも高いとは言えない。
少なくともおいらは、太閤立志伝2以前の光栄のゲームを家庭用ゲーム機でプ
レイしたいと思ったことは1度もない。
 にも関わらず同じ価格をぶつけてくるところに少々反感を覚えた記憶がある。


 ところで、「ファミリーコンピュータ」に「ファミコン」という愛称が付い
たのはいつの頃からだろうか?
実はおいらの友人の一人はこの件に関して、ファミコンブームに火がつき始め
た頃、久米宏と横山やすしが司会をしていた番組、「テレビ・スクランブル」
の中で、子供達の間で大ブームのゲーム機としてファミコンが紹介されたこと
があり、その時にインタビューされていた子供達が初めてテレビで「ファミコ
ン」という言葉を使ったのだ!と何故か強硬に主張しているのだが、おいら自
身には、そこまではっきりした記憶はないので、実際のといろはよくわからな
い。



AXL 2001

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