レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

はじめてのパソコン


「パソコンを買おう!」
おいらはかなり真剣にそう思っていた。
中学1年の12月の話である。
当時は、ファミコンブームが頂点に達そうとしていた時期であり、かのスーパ
ーマリオブラザーズが発売されて間もない時期だった。
だが、おいらは、この頃すでに「ファミコン」というなんだかいまいち威厳と
締りに欠ける愛称を持つこのゲーム機を、露骨に「ケッ!」と言ってしまうほ
ど、かなり蔑んだ視線で見るようになっていた。
というのも、当時、何故か地元に新装開店してしまった(そして、いつの間に
か消えてしまった)ラオックスで、「パソコン」というものを目の当たりに見
てしまったからである。

 「ポートピア連続殺人事件」だとか「信長の野望」などといったパソコンな
らではのタイトル群をショーウィンドウごしに眺めながら、
「こうなったら何としてもパソコンを買おう!」
と、かなりイキッて、同志約一名をひきつれ、予算5万円を握りしめて、師走
の秋葉原へと向ったのである。

 当時のおいらにとっては、夢のような5万円という軍資金は、うちの家族の
中では最も先進的な考えを持ち、同時に「ちびまる子ちゃん」の「さくら と
もぞう」より孫に甘かった「故・ウチのじいちゃん」を口説き落として手に入
れたものである。
秋葉原に同行した同志約一名は、なぜか既にMSXを所有しており、ファミコン
一色だったおいらの周りでは、ちょっと珍しい存在だった。
その同志約一名も、ちょうど手持ちのMSXを持て余し、新機種を買おうと思
っていた矢先であり、おいらと意気投合して意気揚々と家電の都秋葉原へと向
った。
 おいらが自分の意志で秋葉原に行ったのは、この時が初めてだったと思うが、
とにかく電気屋ばっかがうじゃうじゃと立ち並び、「ここなら何でも手に入る
んだからな!」という王者の風格を漂わせていた。

 うちらは、これといったアテもなかったので、とりあえず、駅の目の前にあ
るラジオ会館にするすると吸い込まれていった。
 今はもうコンピュータは置いていないが、その当時は4階だか3階のサトー
ムセンのコンピュータショップになっており、5階だか6階だかには、ソフト
販売をメインにした「パソコンランド」なる やはりサトームセンの店があっ
た。

 早速4階のサトームセンで店員を捕まえて、
「予算は4万くらいで、MSXの64Kバイトの出来れば2スロットのが欲し
い。」とこちらの意向を伝えた。
64Kバイトの2スロットというと、当時のMSXでは最高級品の部類に入る。
しかしながら、今にして思えば、一般的な使い方をした場合、MSXにとって
32K以上のメモリは何の役にも立たないし、2番目のスロットも、せいぜい
「コナミのゲームを10倍楽しむカートリッジ」でも使わない限り無用の長物
であった。
しかしながらもう頃から、後の「ハイエンド偏愛主義」は始まっていたのであ
る。

 本来なら、この程度のMSXでも当時は6万以上が相場だったが、おいらが
秋葉原に出向く1ケ月ほど前から、クリスマス商戦の為か5万以下の低価格ハ
イエンド(?)モデルが出回るようになっていた。

 店員は、うちらの話を聞きながらもっともらしく頷いて、
「そうですねぇ・・・」
などと言いながら臨戦体制にはいっていった。
この時の店員は、なんだか自転車の空気入れで身体を膨らませたような、小型
ヘイスタック・カルホーンを思わせる体型の持主で、冬だと言うのに汗をふき
ふき、せかせかと動き回っていた。
 ちなみに、この店員はその個性的なキャラクターから、後に「変な店員」と
いうミもフタもないアダ名で呼ばれ、おいらの半径1Kメートルという、かな
り限定されたローカルエリアで本人の知らぬ間に勇名を轟かせる事となる。

「ナショナルの、FS−1300なんかどうですか?」

おお!
おいらは思わずココロの中で、唸ってしまった。
実は前もって雑誌で下調べをした時にも、このFS−1300は、おいらの購
買欲を激しくそそったマシンだったのである。

「さすが、天下のアキハバラ!」
「侮るなかれ、変な店員!」

おいらはちょっとばかり尊敬の目で「変な店員」を見ながら、それでもすぐに
は欲しそうな顔をしないという事前の予行演習通りの反応を装いつつ何気なく、
「それ、いくらですか?」
と、聞いてみた。

 敵は最終兵器の「電卓」をピコピコと叩きながら、
「定価は4万9千8百円ですけど、3万9千8百円でどうでしょ?」
ふくよかな表情をにんまりとほころばせた。

 おいらはこの時点で、もう無条件降伏だった。
冷静に計算してみると、5万が4万というのは2割引きである。
わざわざ秋葉原くんだりまで来たのだから、もうちょっとねばっても良かった
のだが、4万9千8百円が3万9千8百円!と目の前で、魔法のように1万も
安くされてしまうと、コプロセッサの搭載されていないおいらのアタマは、一
気に天まで昇ってしまった。

1万円も安くしてくれるなんて、さすがアキハバラだ・・・。
なんていい人なんだろう・・・。
おいらの口もとは、目に見えてほころんでいた事だろう。

「じゃあ、それ下さい!」

おいらは、もうほとんど駄菓子屋にむらがるガキんちょだった。
「はぁ〜い。ちょっと待ってくださいね〜」
どうやら現物は倉庫にでもしまってあるらしく、「変な店員」は、大きな身体
をゆすりながらせかせかと何処かへと走っていった。

おいらは、同志約一名の尊敬の視線を受けつつ、「えへへ」と笑ってみせた。
激戦の一部始終を見守っていた同志約一名も、すっかり「変な店員マジック」
の虜となり、自分も同じものを同じ値段で、変な店員から買う!と、熱っぽく
語った。

 しかし、肝心の変な店員がいつまでたっても帰ってこない。
おいらは店内BGMの杉山清貴&オメガトライブの「ガラスのパームツリー」
を聞きながら、同志約一名と顔を見合せていた。

「お待たせしましたぁ〜!」

変な店員が再び姿を現したのはその直後だった。
やはり変な店員は、せかせかと身体をゆすりながら、MSXの箱をかかえて小
走りでこちらへやってきた。
何処まで行ったのかは知らないが、はぁはぁとやたらに息を切らせ、12月だ
というのに、額の汗を拭き拭き走ってくる様子が、彼の疲労の深さをあらわし
ていた。

「オレ・・もうちょっと後にするよ。」

さすがにもう一度行かせるのは不憫だと思ったのか、同志約一名が、少しばか
り意気消沈した様子で、小声で言った。
おいらも、「そうしてあげた方がいい。」と、小さく頷いてみせた。

 そこで時間稼ぎを兼ねて、うちらは6階の「パソコンランド」へと向った。
そこでは当時全盛を誇っていた8ビットの名機達が所狭しと並べられ、おいら
にとっては「夢のような」パフォーマンスの高さを競いあっていた。

PC88SR、FM77、X1などの猛者達の中で、MSXシリーズだけが「
15、16、17とアタシの青春暗かった・・・。」というように他の3機種
より明らかにクォリティの低いグラフィックで、かくんかくんと動いていた。
なんだか、おいらはさっきまでの興奮が少しづつ冷めていくのを感じていたが、
8ビット最強軍団はいずれもモニター込みで、30万以上。
どう考えても、おいらに手の届くシロモノではなかったので、「あれは、業務
用だ。おいらも会社に勤めるようになってから買おう。」と自分を慰めつつ、
MSXゲームの品定めに入った。

 おいらは当然、ファミコンでは出来なかった「ウィングマン」だとか、「ポ
ートピア連続殺人事件」のようなアドベンチャーゲームが欲しかったのだが、
それらはいずれもテープ版で供給されており丸裸のMSXだけでゲームを楽し
む事は出来なかった。
仕方なく、ROM版のゲームをあさっていたおいらの目の前に飛込んできたの
が、当時新発売されたROM版の「ハイドライド」である。
このハイドライドは、MSXの最低メモリ搭載量である8K(メガではない)
でも動作するというなんだかもうわけのわからないゲームであったが、当時国
産初のアクションRPGとして、大ベストセラーになっていた「ハイドライド
」のウワサは、今は亡き、「パソコンサンデー」(この番組は、今から15年
以上前にマルチメディア社会の到来を声高においら説いていた予言者のような
故・うちのジイちゃんから、「ちゃんと毎週見るように。」ときつく言い渡さ
れていた番組である。)でも、何度も取上げられており、RPGというのが何
だか全然わからなかったおいらとしても「買わねばならぬ・・・」作品であっ
た。

 結局、この日は、本体、ハイドライドの他に、ボーステックのROM版マク
ロスを、同志約一名は、同じMSXと、パックインビデオのROM版「ランボ
ー」を買って帰ったのだった。
変な店員は二台目のMSXの時もやはり、せかせかと走りまわっていた。


1995,2000 AXL

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