レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

F1レース


Media :Family Computer
Maker :任天堂
種 別:擬似3D カーレースゲーム
発売日:1984年


 ファミコン初のレーシングゲームであり当時としてはまだ珍しかった(ファ
ミコンゲームとしては初めて)擬似3Dスタイルを採用している。
内容はシンプルなもので、ゲーム開始時に難易度を選択し、時間内に決められ
た回数コースを周回すれば1ステージクリアとなり、次のステージへと進む。
順位というような概念もなく、擬似3Dタイプのレーシングゲームとしては必
要最低限のものだ・・・と思っていたら、後になって416km/hを超える
とターボがかかるという裏技が発見されたりして、発売からしばらくして再
度盛り上がりを見せた、スタンダードで地味めなものが多かった当時の任天堂
のタイトルとしては珍しいゲームでもある。

 さて、レーシングゲームというのは、当時シューティングゲームやアクショ
ンゲームに並ぶ人気ジャンルで、特にゲームの主たる購買層である男の子達に
とってはひときわ訴えかけるものの大きかったジャンルである。

 このゲームは、ベースボールやテニス、ゴルフなどと同じように任天堂製初
期ファミコンソフトに多かったスタンダードゲームの1本で、特にこれといっ
た主義主張もなく地味に「F1レース」などと名乗ってはいるものの、当時既
に家庭用ゲーム機としてはかなりのシェアをもっていたにも関わらず、シュー
ティングやレースものなどの人気ジャンルに限ってはラインナップ不足だった
ファミコンにとっては、それ以前に発売された「スタンダードもの」とは全く
違った期待感を持って受け入れられたソフトであるといえよう。


 実は任天堂はファミコンをリリースする5年も前、1978年に「レーシング1
12」という家庭用レーシングゲームを発売している。
これはファミコンのようなカートリッジ式ではなく本体とROMが一体化した
旧世代のTVゲームで、それ以前に任天堂がリリースしていた「カラーTVゲ
ーム6/15」(1977年発売)や「ブロック崩し」(1979年発売)の中間に位置
するテレビゲーム機である。

 「カラーテレビTVゲーム6/15」というのは、15種類のゲームが入っ
ている(これは15の場合のみ。6種類のみの廉価版は6という名前だった)
のだが、その実は全てテレビゲームの始祖PONGのかなり微妙なアレンジで
あり、例えばPONGを「テニス」と位置付け、さらに左右のバーを2本づつ
持たせたものをダブルス(二人同士プレイ可能だったような気がする)と位置
付けこれで2本分、または、中間点に障害物のあるものをまた別のゲームにし
て1本増やす・・・というようなもので、15種類の独立したゲームが入って
いる、というよりは一つのゲームを15種類のルールで楽しめる、といった程
度のもので、既にゲームセンターでは、スペースインベーダーがブームを起こ
していた時期だけに、正直おいらはこの地味なゲーム群に馴染めなかったのだ
が、後に発売された「レーシング112」の方は当時本当に欲しかった。

 こちらは、当時アーケードで人気だったタイトーの「スーパースピードレー
ス」に代表されるトップビュー、敵車避けまくり型のレーシングゲームで、本
体には操作用のハンドルやギアがついていた。
しかし、残念ながらこちらの方は買ってもらえず、いつしか忘れてしまってい
たがそれから6年の歳月を経て、ファミコンというハードで「F1レース」と
いうゲームが発売される、という噂を聞いた時、おいらの胸は躍りまくった。


 ・・・・が、しかし、F1レースはおいらの予想を大きく裏切って、トップ
ビュー画面ではなく、擬似3D、いわばポールポジション型を採用していた。
これは勿論、当時としては大変に凄いことだったし、そのこと自体にはおいら
も驚いたのだが、それでもおいらはトップビューのレースゲームがやりたかっ
たのだ。

 ポールポジションのレビューでも少し触れたことがあるが、同じレースゲー
ムというジャンルにあっても旧世代のトップビューものと擬似3Dものでは全
く別のゲームになってしまっている。

 トップビューものにはその性質上(当時は)カーブという概念が存在せず、
ただひたすらに敵車や障害物をよけるゲームで、アクセルは基本的にベタ踏み
でどれだけのスピードで走れるか、というようなゲームだったのに対して擬似
3Dものはよりカーレースというものに踏み込んでおり、カーブでは適切なブ
レーキングが求められる。

 「少しでも早く走ることこそレースの醍醐味なのに、プレイヤー自らにブレ
ーキを踏ませるとは邪道である!」

 なんだかヘンな理屈であることは否めないが、当時小学生だったおいらは真
っ直ぐにそう思っていた。

 ちなみにさらに余談になるが、1982年にポールポジションを発売しレースゲ
ームに変革を起こしたナムコは1989年にも「ウィニングラン」という国産初の
ポリゴン本格派レーシングゲームをアーケードに投入してレーシングゲームと
いうジャンルを再び変革した。

 当時としてのウィングランの本格派っぷりは、おいらにとって涙なくしては
語れないほどで、ロードファイター(KONAMIのトップビューレースゲーム)を
ニコニコとノーミスクリアできていたおいらが、免許取りたての女の子に初プ
レイでケチョンケチョンに負けてしまい、免許を持っている連中からは「これ
はやっぱ実車の感覚であるな、ゲームもついにここまできたか!」などと褒め
そやされていたが免許を持っておらず、ついでに取る気ゼロだったおいらは、
「レースゲームの癖に実車感覚とはふざけるのもいい加減にしろ!」と、再び
あらぬ方向に怒りを噴出させてしまい、頭から布団を被って寝るはめになり、
その後、おいらのレーシングゲームへの欲求はナゼかゼロヨンチャンプシリー
ズへと異常な偏りを見せていくのであった。


 というようなわけで、一般的には当時のファミコンユーザーの歓喜の声に迎
えられたF1レースだが、おいらとしては、擬似3D=ブレーキング必須とい
う点にかなり引いてしまった。
勿論購入はしたものの、ヘアピンカーブに差し掛かっても意地でもブレーキを
入れない漢っぷりが災いし、はっきりいってほとんど攻略できなかったという
悲しい思い出に包まれた1本である。



AXL 2003

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