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Dの食卓


Media :3DO,SS,PS
Maker :WARP(開発・発売)/三栄書房(3DO版発売)
種 別:インタラクティブ・シネマ
発売日:1995年4月(3DO版)

3DOというゲーム機を代表するゲーム。
だが、後に当時の主力ゲーム機に移植されてしまい、現在では3DOの〜という
イメージはあまりない。
だが、なんというか一癖も二癖もあるゲームで、その点が母体となった3DO
というハードにそっくりなゲームである。

 プレイヤーはヒロイン、ローラ・ハリスを操り父が院長を勤める病院に単身
乗り込む・・・といういわゆる謎解きアドベンチャーものなのだが、全編が美
麗なムービーで彩られ当時注目されていたインタラクティブ・ムービーという
ジャンルの王道的な内容となっている。

 当時としては非常に美しかったCGと、非常に多くのムービーが使用されて
いることを覗けば、中身はミステリーハウスの時代から脈々と続く昔ながらの
「館もの謎解きアドベンチャー」なのだが、このゲームには特異な点が二つあ
る。
一つは、2時間というプレイ時間の制限であり、もう一つはゲーム中のセーブ
が一切できない、という制約だ。
これはいわば制作者側からのプレイヤーに対する注文であり、アドベンチャー
ゲームにありがちな総当たり的な間延びしたプレイを防ぐ為の手段ではないか
と思うが、それらならばそれで総当りを防ぐようなシステムをゲーム側が提示
すべきであり、安易にプレイ時間やセーブ機能を制限するというのは、クリエ
イターの芸の無さを露呈するに等しい。

 冷静になって考えてみれば発売日初日から既に大コケの雰囲気を発散してい
た、3DOというゲーム機のユーザーだったおいらは正直このゲームにかなり
期待していた。

 このゲームが発売されたのは3DO本体が発売されてから約1年後のことに
なるが、それ迄ほとんど満足の行くゲームがリリースされることはなく、この
Dの食卓というのはいわば「3DO必勝の一本」という期待が寄せられていた
のだ、ジャンルが個人的にも好きなミステリーアドベンチャーということもあ
り、発売前の雑誌等での評判も上々で、発売日に購入して胸をときめかせてプ
レイしたのは今でも覚えているが、結論からいうとあまり面白いゲームではな
かった。

 おいらが感じた最大の不満は、シナリオやゲーム内容に関するものではなく
「1プレイ2時間」、「セーブ不可能」という不自由さとそれを平気でプレイ
ヤーに強いてくる制作者の姿勢そのものだった。

 この「Dの食卓」というゲームは詰まるところ、やはりアドベンチャーゲー
ムではなくてインタラクブ・シネマなのだ。
平たく言えば「ゲームではなく、ヒネた映画」ということだ。

 まず、2時間の制約に関して言えば、このゲームのバランスを考慮して初プ
レイの2時間でゲームをクリアすることはまず不可能である。
ではこの「2時間」という時間がどこから出てきたのかといえば、映画の一般
的な上映時間に安易に符号させたのではないかと勘繰りたくなる。

 仮にプレイ時間に制約を設けて緊迫感のプレイを演出するのであれば、もっ
と長い時間を提示すべきだし、あくまで2時間にこだわるならセーブ機能をつ
けるべきである。
結局のところ、このゲームの解法というのはまず2時間分プレイをし、次のプ
レイでは前回のプレイで解き明かしたところまでを作業として進めてさらに残
った時間で攻略を再開する・・・というスタイルにならざるを得ない。
これはつまりセーブ・ロードの部分を手動で行っているのと何ら変わりがない
のだ。

 これこそ時間の無駄であり、そういったプレイをするくらいなら(されるの
が分かっているのなら)、初めからセーブ機能をつけておけば良いのにそれも
しない。

 この「オレ様至上主義」とも言うべき厚かましさがプレイを繰り返す内にど
うしても鼻についてしまい、当時のおいらをして「フ・・・どうでもいいや・
・・」などといいつつ、おもむろにセガ・サターンを起動してワンチャイ・コ
ネクションなどを始めて、あくまでも幸薄そうなフッくん(布川敏和)やら、
当時既にタレント生命が「嵐の前の塵に同じ」だった杉本彩を見ながら憂鬱な
溜息を漏らす原因ともなった。


 コンピュータゲームがはじめて登場した頃、画面の中で跳ね回るボールを見
て映画を連想する人間は一人もいなかっただろう。
スペースインベーダーと映画スターウォーズ同じメディアの作品として比較し
て優劣を付ける、などという行為は誰が考えたってバカげている。

 しかし、コンピュータゲームの進化と共に実写映像に迫るほどの表現力を身
につけた頃から、「ゲームの為のゲームを作る」というこれまでの方法論とは
別に、「映画に匹敵するゲームを作る」というワケの分からない方法論が大手
を振って歩き出したのもまた事実である。

 ゲームというのも元々、「何でもアリ」という懐の深さがその魅力の一つだ
と思っているので、誰がどんな方法論でゲームを作っても構わないのだが、「
映画的なゲームを作る」というクリエイターの多くが本質的に映画というメデ
ィアに対して劣等感を抱えており、「ゲームだって映画に負けないものが作れ
るだ」という発想を原点にゲームを作っている姿勢が見え隠れしているのがお
いらにとっては不愉快なのだ。

 少なくともそういった発想でゲームで作り続けている限り、ゲームは映画程
度のメディアにしかなりえない、これだけは確かだろう。



AXL 2002

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