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ダーククロニクル



Media :Play Station2
Maker :LEVEL 5/SCEJ
種 別:アクションRPG
発売日:2002年


「あの頃、ボクらはRPGを買う為に徹夜した・・・」
ドラクエ世代をターゲットにしたと思われるダーククロニクルのCMは印象的
だった。
しかし、ドラクエ徹夜世代のおいらは2002年末に流れたこのCMを見て、露骨
に「あぁ?」という顔をしてしまった。

 確かにあの頃、ゲームは今よりずっと楽しかった。
勿論、ボリューム、クォリティの面からだけ言えば、今のゲームより遥かに制
約が多かったあの頃のゲームが今より優っていたはずがない。
それでも当時のゲームを原体験として持っている人の一部がレトロゲームとい
うものに未だに魅力を感じてしまうのは何故なのだろう?

 皮肉な話だが、それはまだゲームそのものが未完成のものだったからではな
いか、とおいらは思う。
例えば小さな赤ちゃんが一生懸命自分の両手両足を使ってハイハイをし、やが
て捕まり立ちを覚えて歩き始める、その姿を見て心を動かされない親はいない
だろう。
しかし、20歳も過ぎたおにーちゃんが、捕まり立ちをしようが逆立ちをしよ
うが、残念ながら親は感動などしてくれない。

 あの頃のゲームには「出来るはずのないこと」がたくさんあったのだ。
その「出来るはずのないこと」を一つづつ可能していく過程に多くのゲーマー
達は心を動かされた。
「出来るはずのないこと」がたくさんあるということは、「これから出来るよ
うになるかもしれないこと」もまたたくさんあったということで、ゲーマー達
はそこに夢を託した。


 しかし、おいらにとっての今のゲームはもはや小さな赤ちゃんではない。
妻子を養い、休日にはパチンコに出かけ、上司のグチを肴に酒を煽るいい大人
になってしまったのだ。
もうそこには現実があるだけで夢を見る余地などはない。


 だからおいらはダーククロニクルのCMを見ても心を動かされるどころか露
骨に不快な表情を浮かべてしまったのだ。
「あの頃のドラクエに勝てるゲームなんかあるわけがない」
そう思っていた。


 その印象がすっかり書き換わったのは、ダーククロニクルの導入部のデモン
ストレーションムービーを見ている時だった。
正直、おいらは最近のデモムービー過多の風潮には嫌気がさしているタイプで
ひどい時にはオープニングデモの最中にそのゲームに飽きてしまうことすらあ
るのだが、どういうわけかダーククロニクルの時だけはデモを見ている内にゲ
ーム世界に対する期待感がどんどん高まってくるという久しく感じたことのな
かった気持ちにさせられたのだ。



 ダーククロニクルはタイムスリップを題材にしたアクションRPGだ。
主人公はユリスは、未来からやってきた少女、モニカと共に絶望の未来を変え
る為に冒険の旅に出る。
未来を変える為には、その未来の起源となっている現代を変える必要があり、
その方法としてこのゲームでは「ジオラマシステム」というものを採用してい
る。
例えば未来の世界に優秀な研究所を作る為には、現代の同じ場所にそれに必要
となる設備や人材などを配置しておく必要がある。

 冒険をすることで、未来世界の設計図ともいえるジオストーンを手に入れ、
正しい未来を再現するのに必要な情報や資材などを集めていくのがこのゲーム
の目的の一つである。

 ただし、一見、街を自分の自由に作れると思われがちなジオラマシステムは
あくまでも未来を変える為のもので、結局のところは、決められた通りに街を
作り、決められた人材を配置することを強要されてしまう。


 これはゲームのストーリー、システム上仕方のないことなのだが、この点が
他のゲームの「本拠地システム」とは似て非なるものとなっている。
他の多くのゲームで採用されている「本拠地システム」は基本的に主人公=プ
レイヤーの為のもので、例えば武器商人を本拠地に連れてきて武器屋を開かせ
ればわざわざ遠くの町まで武器を買いに行かなくても済むようになる、という
直接的なメリットがあるが、ダーククロニクルのジオラマシステムの場合はメ
リットよりもデメリットの方が多いのだ。

 仲間になった人々は一時的に主人公達が移動の為に利用している汽車の客車
の中に移動し、その後必要があった時に特定のジオラマに配置されていく。
ところがこのジオラマは各地に点在しており、仮にアイテムや武器などを売っ
てくれる人をジオラマに配置せざるを得なくなった場合は、それ以後わざわざ
その人がいる場所まで移動して買い物をしなければならなくなるのだ。

 ダンジョンを攻略する上で必要な消耗品はどうしても決まってくるので、一
度それらを補充する為にはいくつもの街をハシゴしなければならない、実はプ
レイヤーにとっては彼らが一ヶ所に集まっていてくれた方が、つまり、汽車の
中に居てくれた方がずっと楽なのだ。

 ところが彼らがいるべき場所に存在しないと未来に影響を与えてしまう。
例えば、ある武器屋がそこにいることで未来にも武器屋が出来ている、という
ような場合には、未来の武器屋を利用する為には、絶対に彼をその場所に配置
する必要がある、ということだ。

 これはストーリー面にシステムが引っ掻き回されてしまった悪例で、この為
にこのゲームの買い物は非常に煩わしいものになっている。

 次にこのゲームでは、モンスターを倒すことによって経験値を手に入れ、経
験値を貯めることによって武器をレベルアップすることができるが飽くまでも
経験やレベルの恩恵にあずかれるのは武器だけで主人公の体力や防御力には一
切影響を与えない、ではどうするのかというと、世界の各地に存在する特定の
アイテムを集めることでパワーアップしていくのだ。
ちょうどドラゴンクエストの「ちいさなメダル」を集めるようなものなのだが、
その場所に移動することさえ出来ればいつでも見つけることの出来る「小さな
メダル」と比べると、出現する位置は固定でも出現するタイミングがダンジョ
ンの攻略深度に関わっている為、場所を知っているからといってあらじめそれ
を集めてパワーアップすることは出来ないようになっている。

 しかも、普通に考えるとそれらを探すこと自体が決して簡単ではない為に攻
略本などであらかじめ場所を調べておく必要すらでてくるのだ。
その上、仮にひとつも強化用アイテムを取らずにゲームを進めていった場合、
クリアできないような難易度設定になっていることを考えると、このシステム
自体が不親切を通り越して横暴なものだと言える。


 またクリアまでに60時間はかかる内容に比してストーリーのボリュームは
驚くほどに貧弱で、特に中盤以降、物語の終息地点が予測できてきた時には、
ストーリー重視のプレイヤーはあまりのあっけなさにやる気を喪失する可能性
すらある。


 このようにシステム面での不備や消化しきれていないシステムを多く持つゲ
ームでもあるのだが、このダーククロニクルは、それらを全て差し引いたとし
ても余りある魅力に溢れている、とおいらは思う。
成長していくこと、つまり、自分が強くなっていくことの楽しさ、釣り、ギョ
レース、写真集め、アイテムの発明、スフィーダ(ゴルフ)などといった付随
的なやり込み要素の多さ、何か一つをやり遂げることによってより多くのこと
が可能になる、という期待感とやり遂げた時の達成感はかなりのものがある。
このゲームでの発明というシステムは、あらかじめ写真に撮った材料を組み合
わせることで可能になるのだが、例えばより強力な武器を発明するためには、
その先に存在する「あるもの」の写真が必要だとする。
その為にダンジョンをクリアして写真を撮ることによって、欲しかった武器を
発明することが出来たり、またはその写真を材料とした全く別の発明が可能に
なったりするのだ。

 それまでの不自由さがあるからこそ、達成した時の開放感はより大きくなる。
それは、ドラクエ2で初めて船を手に入れた時のそれであったり、ドラクエ3
で不死鳥ラーミアに初めて乗った時のそれと同質のものはないかとおいらは思
う。

 つまり、RPGの本質的な楽しさを達成感とそれによる可能性の広がりだと
仮定すればこれほど楽しいRPGはない、とおいらは思う。
プレステ世代のゲーマーより、むしろ「あの頃ゲーマー」達に是非ともプレイ
して欲しい一本だ。



AXL 2003

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