レトロゲームレビュー/名作、クソゲー等ファミコン時代から網羅

「ルーマニア#203」



Media :DreamCast,PlayStation2
Maker :SEGA
種 別:人生介入型シミュレーションゲーム
   (というよりも、箱庭鑑賞型アドベンチャーゲーム)
発売日:1999年


 本当に不思議なゲームである。
簡単に内容を説明すると、主人公は一人暮らしのとことん平凡な大学生ネジ 
タイヘイ。
彼の人生に介入することを目的としたシミュレーションゲーム、ということ
になっている。

 ゲームはネジ タイヘイが住むワンルームマンションを舞台とし、部屋に
置いてある物をクリックすることにより彼の生活に介入することが出来る。
例えば、テレビをクリックすればネジはテレビを見るし、パソコンをクリッ
クすればチャットをはじめるといった具合だ。

 これと類似したゲームは非常に少ないのだが、強いていえば海外でのパソ
コンゲーム黎明期にアップルII用に発売されたリトル・コンピューター・ピ
ープルというゲームが最も近いかもしれない。
これは、パソコンの中に家があり、その中に一人の男性が住んでいる、彼は
彼の考えや生活習慣に従って家事をしたり娯楽を楽しんだりベッドで眠った
りする、というもので、基本的にプレイヤーは「見ているだけ」という非常
に変わったゲームだった。

 後にスクウェアがファミコン・ディスクシステム用ソフトとして発売した
「アップルタウン物語」はこのリトル・コンピューター・ピープルをアレン
ジ移植したもので、「家」に住んでいるのが男性から女の子へ変更され、僅
かながらプレイヤーとコンピューター・ピープルの間でコミュニケーション
が取れるようになったものの、やはりゲーム性という面では非常に薄いもの
に終わってしまっている。


 ルーマニア#203の場合も、プレイヤーがこれといった指示を出さなくても
主人公であるネジ タイヘイは思うままに日常生活を営んでいくが、プレイ
ヤーが介入することで彼の生活に変化をもたらすことが出来るのが特徴だ。

 ・・・というようなことが広告に書いてあるので、おいらはてっきり、例
えばCDをたくさん聞かせたりすれば音楽に興味を持ちバンドをはじめたり、
ゲームばかりやらせているといつしか「おいら的あの頃ゲーム」なるメール
マガジンを発行してしまうような、それこそプレイヤーが思い通りに彼の介
入できるようなゲームだとばかり思っていた。

 しかし実際には、プレイヤーが「介入」できるのは本当に些細なことだけ
で実際にはプレイヤーの考えで彼の人生そのものを大きく変えてしまうこと
は出来ない。
ルーマニア#203にはあらかじめいくつかのシナリオが入っている。
例えば、ネジが演劇を志して大学の演劇サークルに入る・・・というような
シナリオでは、ネジが演劇関係のチラシや雑誌などを読むようにプレイヤー
が介入することによって、シナリオが進行していくが、そこで繰り広げられ
るのあくまでも台本に則った物語であり、シミュレーションの結果ではない
のだ。

 少々わかり辛い喩えかもしれないが、「人生介入型シミュレーション」か
ら連想されるゲームのイメージはサウンドノベルで言えば「弟切草」や「か
まいたちの夜」のようにプレイヤーの考えで自由に彼の人生に変化を与えら
れるもの、だが、実際には「街」や「かまいたちの夜2」のような特定のシ
ナリオをなぞる事しか出来ないゲームなのだ。


 この点に於いて「シミュレーション」ゲームとは言えない本作だが、では
つまらないのか?というと、意外とこれが面白いのだ。
結局は決められたシナリオをドラマのように見せられるだけで、ゲーム性は
決して高くないのだが、全てがポリゴンで作られたネジの部屋の中でネジは
テレビを見たり、ラジオを聞いたり、留守電をチェックしたり、トイレに入
ったりとそれこそありとあらゆる行動を起こす。
彼の食生活は他人事ながら栄養状態が心配になるほどコンビニ弁当ばかりな
のだが、彼はちゃんとコンビニ弁当の透明の蓋を開けるところからはじめて
小さなソース入れのキャップを開けておかずにかけてから箸を使って弁当を
食べるのだ。
ラジオ番組もテレビ番組もちゃんとこのゲームの為に作成されており、ラジ
オやテレビで流れるコンビニ「キスミー」のCMソング「いつでもおいでよ、
キッス・ミー!」が流れるとナゼかちょっと嬉しそうにハモってしまうネジ。


 このゲームを一度でもプレイすれば「リアル」というものが決して「絵が
綺麗かどうか」などということではない、ということが分かる、そのくらい
作りこまれているのだ。


 結論からいえば、プレイヤーがこのゲームに魅力を感じる要素というのは
他人の人生に介入する楽しさ、というよりは、まず他に類を見ないほどに作
りこまれた「日常」が再現されるという箱庭的な楽しさ、いわば「電車でGo!」
的な魅力か、シナリオそのものに対する興味ということになる。

 シナリオの評価はどうしても個人差が出てしまう為、どちらも決して万人向
けの要素とはいえないが、長時間このゲームをプレイしていると、実に平凡で
当り障りのない青年ネジに妙な愛着を感じてしまったり、ゲームの中にのみ登
場する架空の番組や人物達にいつの間にか親近感を持っている自分を発見する
だろう。

本当に、不思議なゲームである。



AXL 2003

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