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リッジレーサー

Media :アーケード,PlayStation等
Maker :namco
種 別:3Dレーシングゲーム
発売日:1993年


 リッジレーサーは元々は1993年にリリースされたアーケードゲームだが、そ
の名を世に知らしめたのはやはりPlayStationのキラーソフトとして本体と同時
発売されたPS版ではないだろうか。
おいら自身、当時は既にゲームセンターから遠ざかっており、尚更PS版の印象
が強い。
あの当時はほぼ同時期にPlayStationとSegaSaturnが発売され、その後にもNEC
のPC-FXやNintendo64の発売が控えていた。
当時おいらが購入を考えていたハードは3種類、Nintendo64と、PlayStaiton、
それにSegaSaturnだった。
今でこそ64はマイナー機種というイメージが強いが、94年にはまだゲームの主
役はスーパーファミコンであり、任天堂が次に出すゲーム機(Ultra64とも呼ば
れていた)が大本命だ、という認識があったのだ。

 対するセガは、メガドライブの頃のイメージを一新するかのような大々的な
宣伝を行い次世代機SegaSaturnのイメージを作っていった。
少なくとも、後に少々自棄気味に行ったDreamCast発売前後のキャンペーンより
もこの頃のセガの方がユーザーとしては安心感があった。
Saturnのキラーソフトは、殆どゲームセンターに行かなくなったおいらですら
も1回や2回はプレイ経験のあった新世代格闘ゲーム、ヴァーチャファイター
であり、結果的に発売は少し遅れてしまったが、これも当時家庭用ゲーム機で
は再現不可能と思われていたデイトナUSAがあった。

 最後のPlayStationはSONYというブランドと、セガとは対照的にライトユー
ザーを意識した宣伝方法などから「何か面白いことをやってくれそうだな」と
いう意味で期待していたハードだった。

 結局、この中で一番最初に購入したハードはPlayStationで、最初に購入し
たソフトは、リッジレーサーと闘神伝の2本だった。
買ってきたPS本体を早速テレビに繋げ、リッジレーサーを1ゲームやっては感
涙にむせび泣き、おもむろにCDを闘神伝に入れ替えてはまたは1ゲーム、さら
に感涙にむせび泣いてはまたリッジレーサーで遊ぶ・・・というようなことは
半日くらい延々繰り返していた。


 PS購入以前に、3DOという32bitゲーム機を持ってはいたのだが、3DOはポリ
ゴンに弱く、リッジレーサーやヴァーチャファイターのようなゲームはほとん
どなかった。
目の前のテレビでこれだけ美しいポリゴンがぐりぐり動いてしまうというのは
当時のおいらにとって、ゲームに出会って以来、数えるほどしかない大きな衝
撃のひとつだった。


 後にセガサターン版のデイトナUSAも体験することになるおいらだが、デイ
トナの場合、なんというか、なかなかに不可思議な歌のついたBGMが強烈に
耳に残り、レースゲームなのになんだか独特の世界観のようなものを感じさせ
てしまうあたりに非常な好感を持てる半面、レースゲームとして見ると「走る
気持ち良さ」では圧倒的にリッジレーサーに軍配をあげたくなってしまう。


 思えば、ポリゴンレースゲームの登場と共にレースゲームは突如として難し
くなってしまった。
あくまで個人的な所感だが、おいらはそういう印象を持っている。
おいらがはじめてプレイしたポリゴンのレースゲームは同じナムコのウイニン
グランで、これはそれ迄のレースゲームとは比べ物にならないほど本物志向で
あり、硬派だった。
ポリゴンを使ったゲーム、ということで、よりリアルな演出が可能になったこ
とから、今までのゲームよりもリアルなものを!となるのは自然な流れかもし
れないが、下手っぴゲーマーの上に普通免許をもたないおいらがそんなリアル
なものに対応できるはずもなく、ゲームはほとんどやったことがないが、とり
あえず普通免許は持っている、という女の子にあっさりと負けてしまった。
他のゲームに関しても決して腕に自信があるわけではないが、これはあまりと
いえばあまりの屈辱である。
おいらはそれ迄、ゲームと名のついたものにかなりの金と時間を費やし、ゲー
ムセンターあらしに登場するインベーダーウーマンの正体があらしの母ちゃん
だ、という事実も清く正しく知っているのに、ここまできてどうしてインベー
ダーウーマンどころかゲームセンターあらしも知らないような女の子に負けな
くてはならないのだ。


 そんなわけで、急激にポリゴンへと装いを変えていったゲームセンターのレ
ースゲームにおいらは敢然と絶縁状を叩き付け、以後近寄らないことに決めて
しまったのだが、リッジレーサーはそういったおいらの偏見を粉々に打ち砕く
ほどにゲームに徹したレースゲームだった。

 勿論、コース取りやドリフトなどを覚えればその分タイムを稼ぐことも出来
るがとりえずはそんな難しいことが出来なくても何度もプレイすれば十分クリ
アは出来るくらいの難易度。
一度や二度くらい壁や敵車に激突しても「明日から頑張る」という方法論でな
んとかなってしまう懐の深さ。
おいらはリッジレーサーの虜となり、翌年に発売された「リッジレーサー・レ
ボリューション」、翌々年の「レイジレーサー」なども清く正しく楽しんでし
まった。
そして、98年のR4までリッジレーサーシリーズはPlayStationに於ける年末の風
物詩となっていたのだが、R4を最後にリッジレーサーシリーズは突如として元
気がなくなってしまった。
「学校で嫌なことがあった」といわんばかりに塞ぎこんでしまったのだ。

 間約一年を置き、PlayStation2本体と同時発売という晴れの舞台で「リッジ
レーサーV」が発売されたものの、この後はリッジレーサーシリーズは完全に
沈黙してしまう。
登校拒否である。

 以降、3年の長きにわたってリッジレーサーシリーズが全く発売されない、
という第一作以来のファンにとっては実に悲しい事態に立ち至ってしまったの
だ。
詳しいことはよく分からないのだが個人的に、やはり原因はアレの存在ではな
いか、という気がする。
リッジレーサーよりも後輩なのに、今やクラスの人気を独り占めしている感の
ある、奴のシワザではないか、という気がしてならない。

 GがついてTのつく奴である。
グランでありながらツーリスモを名乗っている奴の存在が、あんなに明るかっ
たリッジレーサーが学校に行きたがらなくなった最大の理由ではないか、とお
いらは思っているのだ。


 リッジレーサーの魅力はゲーム性にある。
走ることの気持ち良さが全てであり、車の挙動だのセッティングだのとうるさ
いことを言わないのが信条なのだ。
そんな天真爛漫なリッジレーサーに対してグランツーリスモは「キミィ」と声
をかけてきたのではないか。
銀ぶちのメガネを神経質そうにいじりながら「そんなんじゃダメなんだよ、キ
ミィ。」と批判を繰り返したのではないか。
しかも、あちらはハードホルダーであるSCEの秘蔵っ子。
いわば金持ちのお坊ちゃんである。
いかに今までPS人気を引っ張ってきた、と自負するリッジレーサーであっても
「っていうかさ、目玉商品が両方ともレースゲームっておかしくない?」と言
われれば引き下がるしかない。


 ・・・と、本当にそんなことがあったのかどうかは知らないが、傍からみて
いるとどうしてもそんな気がしてしまうのだ。
しかし、現実にリッジレーサーはグレてしまった。

 それは、リッジレーサーシリーズの血統を受け継ぐ最新作"R.Racing Evolut
in"を見れば明らかだ。
このゲームは、リッジレーサーの持つゲームとしての気持ち良さとMotoGPの持
つリアリティを融合させたナムコの新たなレースゲームと位置付けられている
が、リッジレーサーの直系作品ではなく「リアリティ」を出す為にMotoGPを引
っ張ってこざるを得なかったところに、汚れちまった悲しみに・・・・的な悲
哀を感じてしまう。
リアルこそが全て、という現在のレースゲームの流れにリッジシリーズも飲み
込まれていくのだろうか。
今までリッジレーサーシリーズといえば、PlayStationの目玉として発売され
ていたにも関わらず"R.Racing"はPS2,GC,X-Boxの三機種同時発売というところ
にも含みを感じずにはいられない。


 思えば、ゼビウスでファミコンブームに貢献したにも関わらずその後任天堂
と険悪となった為、ハドソンのPC-Engine構想に中心的なサードパーティとして
参加した怒りのナムコ。
しかし、PC-Engineだけでは苦しかったのか同時に任天堂ハードにもゲームは供
給せざるを得なかった悲しみのナムコ。
SCEの任天堂に対する怨念で出来上がったマシン、PlayStationに夢を賭けた微
笑みのナムコ。
ところが、SCE自身が発売し大ヒットとなったグランツーリスモの為になんとな
く目玉商品リッジレーサーの居場所がなくなってしまった怨念のナムコ。
リッジレーサー最新作を三機種同時発売とした疑心暗鬼のナムコ。

 家庭用ゲーム機サードパーティ界最強の風来坊となったナムコの行く末を今
後も興味深く見守っていきたい。



AXL 2003

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