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六世紀の中頃において、東部ギリシアの陶工たちはアテネで作られた新式のカップを真似るようになった。陶土の質も色もアッティカに近く、全体的に淡いことが多いが、目では判断のつかないものもある[1]。
生産された量は少なく、これだけを専門に作っていた工房はなかったらしい。器形そのものは新しいが、描かれた動物の様式はフィケルラのものとかなり似ている。また刻線を用いない描法は東部ギリシアの伝統といえる。ただ装飾の文様についてはアッティカの影響が強い。
初期の画家の様式は特にフィケルラのアルテンブルクの画家に近く、彼本人であるとする説もある。これよりやや後に描かれたカップには二本のブドウの樹の間に立つ男が表されているが、その自然な描写は陶器画には極めてまれである[2]。
次第にフィケルラ的要素が薄れてくると刻線が多用されるようになり、アッティカとの関係が強くなる中で、見た目ではどちらで作られたものか判断のつかないものさえ現れる[3]。基本的な装飾はLittle Master Cupと同じで、リップカップのように口縁部と内側のトンドに動物や人物が描かれる。
出土地は様々で、サモス、ナウクラティス、エトルリアのほか、アイギナ、黒海地方などからもわずかに出土している。出土量などからこれらの製作地をサモスに同定する学者が多いが、特に初期におけるフィケルラとの関係からミレトスもその候補地に挙げられている。複数の工房があった可能性も高い。年代は560年頃に始まり、六世紀の第三四半期まで続いたと考えられている。
[1] |
サモスの陶器については、Walter-Karydi,
E., Samos 6.1, (1973)、Kunze,
E., "Ionische Kleinmeister",
AM 59, (1934) pp.81-122参照。 |
[2] |
Paris,
Louvre F68, Diam.23cm |
[3] |
特に後期のリトルマスターとアッティカとの関連については、Shefton,
B. B., "East Greek influences
in sixth-century Attic vase-painting
and some Laconian trails",
in: Greek vases in the J.
Paul Getty Museum. vol.4, J.
Paul Getty Museum Occasional
Papers on Antiquities 5,
pp.41-72, (1989)参照。 |
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