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コリントスはペロポネソス半島の北東に位置し、この地域は海上交通の要所として古くから発展していた。そして早くから海外への交易に積極的に乗り出し、特に東方との交易によってギリシア地域の中でいち早く幾何学様式から脱して東方化様式の時代に入った。
コリントス式陶器の特徴は、その製品のほとんどが水差しなどの中型のものと香油入れなどの小型のものからなっていることである。また後に現れるアッティカ式陶器と比較すると、陶土に含まれる鉄分の量が少ないため、焼成後の色調は淡黄色を呈する。その装飾の中心となったのはライオンや豹などの動物や、スフィンクスやグリフィンなどの空想の動物であった。幾何学様式の時代ともっとも異なるのはその描写法であった。
その技術は黒像式と呼ばれ、黒色によって像のシルエットを描き、乾いたところで刻線によって細かな描写をするものであったが、部分的には紫をはじめとして白、黄色などの色彩が用いられることもあった。東方化様式におけるコリントス式陶器はプロト・コリントス式(Protocorinthian)と呼ばれるが、まれにではあるが、すでにこの時代において神話の表現が見られるようになる[1]。この時代を代表する「キジの壷(villa giulia)」と呼ばれる陶器には、神話表現は見られないものの、陶器の表面はいくつかの装飾帯に分割され、肩には重装歩兵の対峙する場面が、その下には狩りの場面がかなり細密に描かれている。
七世紀の後半にはいると画像は比較的大きくなり、個々の像の描写が細かくなる一方、プロト・コリントス式では割と自由であった像の構成や形式は定型化し、ロゼッタ文を中心とする空間充足文が隙間なく用いられるようになり、ここにコリントス式が確立する[2]。その装飾の中心は相変わらず動物や空想の動物である(図1)。また陶工など当時の職人を描いた一連の陶板は奉納用と考えられる(図2)。アッティカにおいて優良な陶器が制作されるようになると、その影響を受けてコリントスでも神話を描いたものが多くなり(図3)、大型の陶器が作られるようになるが、その描写はアッティカのものに比べてかなり劣るものであった(図4,図5)[3]。
図1
図2
図3
図4
図5
550年頃のルーヴル美術館所蔵のアンフォラは描写はそれほど優れたものではないが、神話には伝えられないオイディプスの娘のイスメネの最後が描かれていて興味深い(図6)。これ以降コリントス式陶器は陶器市場から姿を消し、アッティカ式陶器がこれを独占していくが、これについて見る前に、市場の独占権がコリントス式からアッティカ式へ移行するわずかの期間に花開いたその他の地域の陶器について説明する必要があろう。
図6
[1] |
プロト・コリントス式陶器については、Johansen,
K. F., Les vases Sicyoniens,
(1923), Payne, H., Protokorinthische
Vasenmalerei, (1933), Dunbabin,
T. J. and Robertson, M., "Some
Protocorinthian vase-painters",
BSA 48, pp.172-181参照。 |
[2] |
コリントス式陶器については、Payne,
H., Necrocorinthia: a study
of Corinthian art in the Archaic
period, (1931), Hopper, R. J.,
BSA 44, pp.162-257, Benson,
J. L., Earlier Corinthian Workshops,
(1989), Amyx, D. A., Corinthian
vase-paintings of the Archaic
period, (1988), Neeft, C. W.,
Addenda et Corrigenda to D.
A. Amyx, CorVP, (1991)参照。 |
[3] |
アッティカの影響を受けた後期コリントス式陶器については、Campbell,
M. T., Hesp. 7, pp.560-564参照。 |
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