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五世紀も終わりに近づくにつれて陶器の装飾はより華やかなものとなる一方で描写の質は低下するという傾向が見られる。また古典時代の洗濯の画家に始まる女性を中心とする描写が引き継がれ、またアフロディテやエロスが頻繁に描かれるようにもなった。メイディアスの画家(Meidias
Painter)はこの時代を代表する画家で、その描写はエレトリアの画家を思わせる[1]。また大型の陶器に複雑な構成を用いることを好み、遠近法や様々なポーズの人物を描いているがその描写に美しさは感じられない。それでも彼はこの時代で最も優れた画家であり、アリストファネス(Aristophanes)をはじめとする多くの画家たちの手本となった。
これらにやや遅れるのがプロノモスの画家(Pronomos Painter)とタロスの画家(Talos
Painter)である。彼らは白の色彩を多用し、衣服に対しては非常に細かな模様を描き出している[2]。このほかにもミキオンの画家(Mikion Painter)やケクロプスの画家(Kekropus
Painter)などがいるがいずれもその作品は少ない。
白地レキュトスはここで最後の時代を迎える。その大きさは初期のものとは比較にならないほど大きくなり、用いられる色彩も多様になった。女性の画家(Woman
Painter)はその名前の通り女性の描写が得意で、メイディアスの画家など同じ時代の赤像式に比べてかなりシンプルに描かれている。葦の画家を中心とするRグループはより大型のレキュトスを好み、その描写はより現代の絵画に近い印象を受ける[3]。このほかにも一メートルを超える巨大なレキュトスが製作されたが、これを最後に白地レキュトスは姿を消し、その伝統はレキュトスを型取った大理石の墓碑に受け継がれた。
この時代の坏を得意とした画家は、キュリクスを好んでメイディアスの画家の強い影響を受けた画家たちと、ステムレスカップを好んだ独自の道を進む画家たちとに分かれる。前者を代表するのがロンドンE106の画家(Painter
of London E106)で、その描写にはメイディアスの画家やその周辺の画家からの影響が強くうかがえる。後者の画家はいずれも少作で、小さな、ややずんぐりした像を好み、この伝統は次の時代に花開くことになる。
[1] |
メイディアスの画家については、Burn,
L., The Meidias painter,
(1987), Hahland, W. , Vasen
um Meidias, (1930)参照。 |
[2] |
プロノモスの画家については、McPhee,
I., "Turin 4122 and the
Pronomos Painter", AJA
82, pp.551-553参照。 |
[3] |
葦の画家については、Karouzou,
S., ADelt 8, pp.117-参照。 |
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